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やっと両親に報告できたこと
どうもみなさんこんばんは
doughmaker 店主です
タイトルの通りですが
僕は両親にはドーナツ屋をやってることを
言わずこの1年半営業をしておりました
実家に帰ることもなく
特に連絡することもなく
ただがむしゃらにいつか報告できたらいいなと
そのくらいの気持ちで
過ごしていたんですけど
嫁さんにもスタッフにも
ドーナツ屋をやってることを伝えた方がいいと思うと散々言われ続けて
この度伝えることができました
これもひとつ自分の事業の点で
お店づくりを本格化していくと決めたことが
分岐点になったと思うし
やるからには応援してもらいたいな
と心境の変化はあって今回伝えることになったなと
思い出の味は母のドーナツなのに
母はそんなことも知らず
僕はドーナツ屋をやる
親父はどこか淡々としてるというか
仕事人として
僕の背中に喝を入れてくれたというか
お客様を大切にしないといけないんだと
アドバイスというか
大人としてというか男としていろいろなことを伝えてくれたような気がしていて
母は母で
なんでドーナツなの?
とちょっと恥ずかしそうにしながら
"あんたがやりたいことならいいんじゃない"
と嬉しそうに話してくれて
この2人の親の元に生まれてきて幸せだなと
改めてもっと親孝行しないとなとも
思えたことも人としても少し成長したのかなと思ってます
反抗期もありまくりで、
専門学校の時なんてほとんど家にはいなくて
どこか関係性が希薄というか
1人で生きてやるんだとか
捻くれた性格が関係が悪いわけでは無いですけど
特別良くは無いみたいな不思議な感覚です
お店で親子連れのお客さんたちを見るたびに
僕の幼少期もこんな感じだったんだろうなと思うたびに
心の奥底が掴まれるようなモヤがあって
両親にドーナツを食べてもらったことは残念ながらまだなくて
電話口でドーナツ屋をやっていることだけ伝えたので
近いうちに実家へ帰って揚げたてのドーナツを無理矢理にでも食べてもらおうかなとも思ってます
そんな僕もお店づくりを本格化していく中で
自分の表現がはたして合っているのかどうか
考えることが多くなりました
営業が終わってから
ほっと一息ついたそのとき思うことで
もし明日お客さんが1人も来なかったらどうしようとか
嫁さんや従業員を守れなかったらどうしようと
漠然とした不安が増えました
今までの自分だったら
成り行きと勢いでどうにかなるだろうと
そんな考えでしたが
1日1日の営業を繰り返すたびに
お客さんに満足してもらえなかったら
美味しいと思ってもらえなかったら
イメージが先行して食べてみたら
イメージと違った
なんて考えるとただただ不安になります
流行という言葉に囚われてるような
いつかドーナツが流行らなくなって
目も向けてもらえなくなったら
僕のドーナツは終わり
やっぱりお客さんあってのお店だなと
自分の表現だけで食べていける人は
本当に一握り
天才と凡才は紙一重
僕は天才では無いからこそ
地道にコツコツやるしか無い
誰かの笑顔が一つあれば
また明日の笑顔をもらうために努力して
その繰り返し
だから毎日繰り返しやるだけ
ひとつの作業に変化を加えながら
ちょっとの変化が新しい人の感性に触れてもらえれば
なにか変わるかもしれない
僕が両親に伝えたことも
表現には何らかの変化が生まれたのかもしれない
だから昨日の自分とは違う
新しい自分で
新しい表現を模索していく
負けたくない
誰かと競うわけではない
あくまで自分との戦い
弱音を吐いて
自分で吸って
また強くなる
強くありたい
今の自分がちっぽけに見えるくらい
かっこいい人間になりたい
明日もドーナツ作って
一歩ずつ進もう
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疲れた時にこそ真価が問われる
doughmaker 店主