見出し画像

平行線夫婦。

私と夫は分業制をとっている。

私は夫から「生活費」を受け取って家事・育児・地域ボランティアを担当している。
こどもの消耗品代と習い事のお月謝を稼いで支払っている。

夫はほかの家庭にまつわる「支払い」すべてと自動車関連と地域の祭り関連を担当している。

私は夫の持っているお金をひとつも知らないし、貯蓄をしているらしいが、どのように毎月遣り繰りしているのか不明だ。
このやり方がいいのかどうか。
令和でこのスタイルは少ないのかもしれないと思う。

私は、ただ雇われている家政婦のような動きをしているだけだ。自分のパート代を少し出してはいるけれど。

曖昧さはいっさいなく、もし私が先に逝けば家事の担い手がいなくなる。
もし夫が先に逝けばお金がなくなる。
それだけ。   
そうなった時にどうにかするだけだ。

私は夫に預金を見せろと迫らないし、何か買ってとねだることもない。
家庭生活に絶対必須の物以外は。
夫は倹約家だし、私も高価な物や遊びにまったく興味がないのでちょうどよかった。

淡々と生活するのが苦にならないし、互いに適度な趣味をもつくらいで、強い刺激は心がざわつくしサプライズもプレゼントも特に必要ではない。
地味なのだ。

学生の頃、私はたくさんアルバイトをして、あちこち日帰りや泊まりで出掛けたり、記念日にちょっといいことやサプライズプレゼントもしたし、寺社巡りだとか美術館博物館巡り、秘湯、パワースポット巡り、グルメ探訪など、おとなの遊びを先駆けてしてしまっていた。
私がしていたのは中高年の好む遊びなんだと最近知った。いろいろ先にできたのは楽しかった。
たぶん夫もそんな感じだったろうと思う。

ゆえに、夫といまからあれこれしたいというのはなくて、ひたすらに安全に暮らしたい願望が強いのだ。

これには理由があって、お互いに生まれ育った家庭が不安定だったから。波風立てないで生きたい。

こどもにはいつも退屈で悪いなぁと感じているので、姉に預けたり、実母に預けたりして景色を変える工夫はしているし、小さなイベントは作るようにしている。
気がつくと、彼らは自分で友だちを見つけて勝手に遊んでいる。
派手なことは自分で稼いでからやれ、と伝えている。
それはそれで働くモチベーションになるだろうと都合良く考えている。与えすぎは良くない。


振り返ってみて、平和な生活というものはやはり得難いものだ。
私は刹那主義でもあり、未来永劫つづく愛や平和などないと感じている。このような生活はどこかで終わるのだ。
社会情勢とか病気とか災害とかのせいで。
しょうもない喧嘩とかは有り得ない。
私と夫は事を荒立てないよう常に細心の注意を払っている。これはほかのカップルには驚くべきことかもしれないが、私たちには先にも述べたように最重要課題だから。
本音を伝えるにしても注意深くやるのだ。



こどもたちには、令和◯年くらいまでは平和だったと微笑ましく思い出してほしい。
大したことをしない代わりに、変わり映えのしない毎日だけを与えているのだ。

海外留学させたり、中学受験させたり、民間のキャンプに行かせてあげたりはできない。
それは必要に感じないから。
「なにもないこと」が案外いいことだと、気づけるのはずっとずっと後になるんだろうけれど。




覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また、私の12ハウスに遊びにきてくださいね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?