邪道やで。
娘も私も今日は約束の相手にドタキャン(私の相手はメッセージ未読スルー)されて、好かれてんだか嫌われてんだか何だかよくわからない窪みに落とされた感じになり、腹立つのでふたりでジョリパでパーティーした。
私たちは積極的に声をかけなくても話しかけてもらえたり、急に好かれたり距離を詰められたり、逆にぞんざいに扱われたり、ひとに極端な態度をとられがちだ。
実際のところ、他人など信じられるものではないし、ひとりかふたりの親しいひとがいれば、あとはその場その場のノリでいいやと思っている。
今日みたいに失礼すぎることがあっても、まぁどうせみんなそうでしょ?ってどこかで考えている。
自分からは熱心に行かないが、八方美人的な態度をとるのはほんとうに親しくなりたいわけじゃないから。
あまり真面目に思い詰めないほうがいい。
娘は今日ばかりはちょっと落ちていて、自分をおぱんちゅうさぎに例えて、かわいそうな不憫なところ、報われないところが好かれてるんだろうか……って言っていて面白かった。
笑っちゃいけないが、なるほどそうかもしれん、と思ってしまった。
私自身は異様に気が強く一匹狼なところが興味を持たれる理由かと自己分析しているが、娘はなんか寸足らずな構ってあげたくなる感じがモテる理由であるかもしれない。
どちらも王道ではない。
学生の頃から◯◯屋とか◯◯師(士)を目指したことがない。
まっすぐに何かに取り組んで目覚ましい結果を見たことがない。
たまたま小さい賞をもらったり審査員がほめてくれたりしたことはあった。
コンクールはがんばっていたけど先輩は全国大会へ行ったのに自分はダメだった。
環境が自分の意思と関係なく急変することが多く、引っ越しで転校とか、現場が解散とか、家庭の事情とか。
腰を据えて、貯金を投入して、周りを説得して、時間をかけてひとつのことに夢中で取り組む、そういうことを考えもしなかった。
人間関係と同じで、どうせ信じられるものはないから面白いと思えることをその都度やってきた。
状況以外の気持ちの面で言うと、なにか同じことを繰り返しているとある時急に
「これほんまに自分に要るんか?」
と疑問に思い始める瞬間がやってくる。
物事でも対人関係でも。
そういう気持ちが一度芽生えてしまうとどこまで突き詰めても
「やっぱもういらんわ」
のほうに急速に傾いていってしまう。
10代のコたちの言う『蛙化現象』のように対象がキモく見え始める、醒めるというのとは違って、必要かどうかの究極の選択が始まってしまう。
単なる飽き性という表現に値するのかわからない。
私の場合、どういうヒト・モノなのか理解できるまではがんばって触れていくけど、概要が見えてくると本気で取り掛かるほど価値のある対象かどうかの費用対効果を考えるフェーズに入ってしまう。
そんな調子で生きてきてしまったので、運転免許をはじめなにも免許や資格を持っていない。
ただ、追い込まれても生きられるように、若いあいだに水商売と清掃の仕事を経験しておいた。
結果的にはそれがさまざまな場面で役立った。
結婚生活、子育てにおいてもそうだった。
占い師には狙ってなったのではなく、趣味の延長で下手の横好きというレベルでありながら、しゃべりがなんとなくウケてしまった感じだ。
これも20代の水商売、客商売時代のもの。昔取った杵柄。
身も蓋もないことを言うと、占い師として社会的に成功したとしても私の場合なんらかの形でその成果を手放すことになりそうなので、そもそも成功を目指す価値がない。
なので、楽しいなと思えるレベルで仕事をやっていくのが一番良い。
周りにはインドで修行して僧侶をやっていました、とか
本場で占星術を学んできました、とか
独自の理論を確立しました、という
ずっとすばらしいひとがいる。
彼らに勝てはしない。
ガチでやってるひとに出会いたい相談者さんもいるだろうし、
私のような庶民が日常生活の延長でいっしょに考えて導き出した答えを聞きたいひともいるのだろう、最近そう思う。
自分のどこがいいのかよくわからないが、相談者さんが次々にあらわれるので私はいまのまま、投げ出さずに継続すればいいのだと思うことにした。
自分はアカデミックじゃない、王道じゃない、それをずっと気にしていて
誰かに本格的に指導を仰いだほうがいいのでは、と悩んでいた。
全部独学でやってきて、基礎が抜けていることにも気づいている。
気づいて、学んでいる。
自分が正しいとも思わない。
ただ唯一、続けられた。
要るか要らんか、考えることがなくなった。
だから邪道のまま行こうと思う。
覗いてくれたあなた、ありがとう。
不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。
また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。