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有能なスタッフを脳内に雇ってみたら顔がにやけた。
前回の記事では、日常の意識の持ちようについて私なりの提案を書いた。
私はひとりで行動するのが好きで、縛られるのが嫌いだったのだが(あまり自覚はなかった)、結婚してこどもが増えると役割がどんどん雪だるま式に増えていくことが精神的にきつかった。
家庭生活はそれなりにこなせてるし、夫とは楽しくやってるし、こどもとは密にコミュニケーションがとれていて家族の信頼関係はよくできている。
だが本来の自分とどんどんかけ離れて行くのを感じていた。
上手くやればやるほどに。
つまらない人間になった私自身に飽きていた。
そのなかで、自分だけのことにも時間やリソースを割いてなんとか進めて、私は自分のソードを取り戻した。
このままの流れで行けば、しんどさが増えるだけだと思った。
それでいろいろ探っているうちに、
『 思考している自分は本体ではないので
「そこ」から離れて上から見る 』
という一種、幽体離脱のような意識の持ち方についての知識を得たので自分なりに実験してみたらすぐに成果が出た。
私のやり方では、
自分の理想とするサポーター二人を妄想でキャラ化して、脳内に配置。
そのひとたちが自分の代わりに働いて、目標達成まで手を貸してくれる、っていうかほとんどのことをやってくれてるから自分は楽しむだけでいい、と信じるマインドセットをして、日常を生きる。
もちろん現実でやれることはすべてやった上で。意識の話ね。
こんなややこしいことをする理由は、ほかのひとを頼れないから。
気軽に用事を頼んだり、通話したり、お茶に誘ったりできない。
出来たとしても、結果、相手の話を聞く役になってしまう。
これは成育歴のなかで培われてしまった性質でひっくり返すのは難しいからそこは一旦よしとする。自分の美点でもあるし。
弱点でもあるので悩ましいところだが。
さっそく、この意識で生活をはじめたら
楽しくなった。顔がにやける。
なぜかというと、先の不安が軽減した、なくなったから。
私はずっと先の心配をしていたとはっきりわかって自分で驚いた。
前向きで勇敢でちょっと小心だけど丈夫だし強いと思ってた。
自分のことは好きだし、頼りにしてたけどどこかで疑ってたのだ。
それをタカイさんとオクノさんという架空のひと(笑)に肩代わりしてもらって遠くから眺めることで、「なんとかなる」とようやく思えたのだ。
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今日は職場で苦手な店番を任されたんだけど、たまたま知人が買い物に来てくれて嬉しかったし、楽しくできた。
店番は緊張する。
けど、「上から意識」になった私はゆるゆるで、笑いながら接客した。
職歴で言えば接客が最も長く、ほんとうは天職くらい向いてはいるけど、不特定多数のひとと接するととにかく疲れるから好きではなかった。
ひとの気持ちを察しすぎて、しんどい。
ひと付き合いをしないのも同じ理由で、相手をかなり選ばないと寄りかかられてしまう。
まあそんな心配も過去のことで、新しくなった私は、楽しむだけだ。
一日ずっと笑っていた。
それはそれでおかしいけれど、学生の頃のように難しいこと考えず笑って暮らすのもいいな、と思った。
前回同様、わかるようなわからないような内容だけど、
気持ちの持ち方で、現実が変わる
っていうありきたりな言説を実体験した話でした。
覗いてくれたあなた、ありがとう。
不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。
また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。