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【記録用】 パステル画と態度経済

坂口恭平のパステル画展にいく。
一瞬写真かと見間違えるような絵をネットで見ていて、どうしても直で見てみたかった。


場所は千代田区神田のちいさなギャラリー


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自然の色って再現できないとおもっていたけど
写真では伝わらないけど

色の《重ねかた》がすごい。

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彼は長く躁鬱だったけど、パステル画を描くこと(と、他のいろいろなこと)で、通院と服薬をやめるところまでもってきた。


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《態度経済》ということばは、2012年に彼の本で知った。

すごく簡単に言えば、社会を変えよう、少しでもよくしようという態度を見せ続ける人間を、社会は飢え死にさせちゃまずいと考え、相互扶助を行い始める。僕がやっているのはこれだけだ。

これだけだと、ちょっとよくわからない感じを受けるのだけど

自分がこうあってほしい、と思う何かに向けて必要なアプローチをする態度を見せることで、その態度を買ってもらう(支援してもらう)という概念。

この頃は今ほど知られていなかったと思うけど、今でいうクラウドファンディングのような概念にちかいとおもう。


そして《態度-attitude-》の意味は

(その時その時の)情況の中で人がとり、まわりの人にも見えるまたは感じられるそぶり、また考え方の現れ。

自分が思っているだけでなく、まわりの人にも見えるまたは感じられるそぶり、というのが深い。”態度”はその態度をとることで影響を受ける対象がいてこそのものなのかもしれない。


大きな企業でいうとPatagoniaのいう《責任ある経済》だし

もっと身近なところなら

麹町中学校の工藤校長がいう、
差別的な感情を持った子どもに対して、【その感情を持ったこと】を良くないと教えるのではなく、【その感情を踏まえて、どう行動するか】の部分を教える、という話。

こういうことが態度を選ぶということなのかな、と思う。

起きたこと、現実に対して感じたり思ったりしたことはあっても、とる行動にあらわれるのが態度であり、それは選べる、という前提で語られる態度経済という言葉。

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自分の場合はどうか、というのをどこまで知っているか。


日々、行動や希望や生活を組み立てているけれど、

どこまで【自分自身の場合】に焦点を当ててそれをしているのかを、けっこうかんたんに忘れてしまう。

他人の話ばかりしていても仕方がなくて、それに対して【自分がどうするのか】あるいは【どうしたいのか】がないと、

なかなか自分のことは前に進んでいかない。

なにか困ったことが起きたときに問われる部分でもある。


【これがこうでこうだから】という理由や原因や、目的に対して、ではどうするのか、という部分。


彼の場合は、自分をたすけるために日課という薬をつくり出した。


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左の「苦しい時は電話して」は、当初はタイトルが「090-8106-4666」という彼自身の携帯番号そのものだったそう。
(さすがにそれは…ということで帯に番号を入れることで落ち着いたそう)

リンクの記事より引用。

「他人にどう見られているか」という苦しみの真相は、他人の目に映っている自分とは別に「他にやりたいことがある」という渇望なんですよ。


なるほどなぁ、とおもう。

これまで何人も「やりたいことがない」というひとに話を聞かせてもらう機会があったけど、どこか違和感があった。

口にはしないけれど、「ないわけではない」と感じていた。
ただ、それを認識できないだけで、そこには明確に比較の罠があるひとも多かった。


ここでも《自分の場合はどうか》があると、少し視座が変わり、そもそも、それはないといけないのか?だとしたらそれはなぜか?という方向に向かうこともできる。端的にいえば

「みんなのふつうは自分にもあてはまるのか」
という視点なのだけど、そこを考える時間がない、というひとも多い。


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明確にこうしたら良くなる、ということがないことは、病気でなくてもよくある。

そういうときに、どのくらい自分に合ったパターンを描けるか。
他人の目を気にせず、自分に合わせて考えてみることができるか。

その探しかた、捉えかたのバリエーションをどのくらい持っているのか。

そういうとき、助けとなるのはたくさんの ”個人的な体験”なのだとおもう。


個人的な体験は他人と比べようがない。
だから、自分がしてきた体験は他人から見てどんなに意味がなくて、なにも生産していなくても、自分にとってだけは価値がある。

もっといえば、価値があることを自分が知っていればいい。


彼は「鬱って悪いことじゃないから」と言い切っている。

でも、鬱って悪いことじゃないから。言葉を失うくらいの苦しさを経験して、そこから掘り出した言葉が自分の言葉。こうやってみんなが自分の言葉を持てれば、世界はもっと明るくなるんですよ。だって、文化という言葉の由来は、刑罰や威力を用いず、文によって人を導くことだから。

最後の一文の破壊力といったら。
文化は文によって、言葉によって人を導くこと。

”文”は武に対して非武力という意味で使われていて、つまり、力、暴力でなく人を導くものである、ということみたい。


理解をしてもらい、わかってもらったうえで、動いてもらうこと。


誰かになにかを教えるときにずっと、たのしさから入るように設計をしてきたけど、きっと自分もこれをやりたかったのだとおもう。

態度経済は文化をつくることと同義なのかも。

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パステル画は素晴らしかった。


いま自分がしている仕事や活動と【直接関係はないように見えること】かもしれないけど、こういう個人的な体験が自分自身の態度を、文化を創っていく。だからとても関係がある。


なにかをアウトプットするとき、周りをみて、役に立ちそうな自分の体験を掘り下げることが欠かせないのは今もおなじ。

たのしかったことや、喜ばれたことや、咎められたけど納得がいかなかったこと、いろんな個人的な体験に詰まっている要素がヒントをくれる。


いろんな体験をすること。
実っても実らなくても、いろんな体験をすること。
すぐに回収しようと焦るのでなく、今はわかるわけない、くらいの感覚で。

そのくらいのペースが  "自分の場合は"  合っているのかもしれない。


さいごに、坂口恭平の雑誌POPEYEの連載より引用。

体に合ってることを見つけると、途端に人は死にたくなくなる。だって、褒められたり、うまくいったりすることって、金には変えられない喜びや楽しみがあるからである。それに勝るものはない。得意なことを見つける。それが一番楽しいし、生きる糧にいつかきっとなるのである。

自分自身が、体に合った得意なことを見つけて実際にそれをしていること、
それを楽しんでいるという態度をえらぶことを、大事にしていきたいし、
あわよくば、誰かのそういう場面で役に立っていきたいとおもう。


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今回は記録用の記事でした。

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