カレンダーが問題じゃない
自分自身、noteのタイトルを考える時、いろいろ迷う。特定の感想記事じゃないばあい、少し変な言葉を使いがちです。
毎朝聞いている、TOKYO FMのONE MORNING、通称ワンモ。昨日、「メディアのカレンダー報道」ということを触れていました。radikoならまだ聞ける。
で、この話のきっかけになったのは、このツイートでも触れている記事がベース。
ラジオの内容でも触れているけど結局「カレンダー」が問題じゃないと思った。個人的にはカレンダーでもいいと思う。東日本大震災の問題じゃなくて、日々カレンダーで家族や友人の誕生日を思い出したり、四季の行事ごとを思い出したりするわけで。そういう意味で、日常の一つとして忘れないようにするってことかなと。
それよりも報道が「ストーリーを作ろうとする」ってことの方が問題なんだと思う。だから上の記事でも触れている通り「素材ですか?」って話になってしまう。ラジオでも鈴村さんが触れているけど、個人的には「報道は事実だけを報じる」に徹するべきだと思うんですよね。
ストーリーを作りたいこともあると思います。でもそれは「報道」ではない。特定の「番組としての創作作品」だと思うし、見る側もそういう意識で見るべきなんだろうと。
実際に自分はマスメディアの立場にいないので、いろんな葛藤があるんだろうと思います。今回のタイミングで、この記事を読んだのですが、率直に「ああ、そうか、現場の人の葛藤もあるんだな」と思いました。この記事は、多くの人が目にしたのではないかと思います。
自分は、震災の後、半年後の2011年9月に夏休みを使って、気仙沼とか行きました。復興に向けて少し動き出したぐらいの頃で、目の前に広がる風景が、あまりに現実感がなく、困惑した覚えがあります。自分の中で象徴的な風景がこれかな。
それ以降、そこまで現地に行ったりできていない。そうだよな、現地の行きたいけど、まずは特産品のお取り寄せとかでも良いから、少しでも行動しよう。