THE BEATLES「LET IT BE」
いちばん最初は、NHKのテレビ番組「みんなの歌」でした。
なんて説明していいのかわからないけど、とにかく耳から離れないメロディ。歌詞もコミカルで楽しくなる感じ。(勿論和訳してあるので、オリジナルとはほど遠い内容だったと思う)
作詞、作曲のクレジットを見てみると、カタカナで書かれた聞いたこともない名前。ほどなくして、小学校の音楽の教科書でもこの名前を目にすることに。
『 レノン&マッカートニー 』
家に帰って父に尋ねました。
「 この人って日本人じゃないの?外国人? 」
「 そうだよ。 」
「 ふーん。じゃあアメリカ人なんだ。」
「 違うよ。イギリス人だよ。」
?????
イギリス人? なんだ?イギリス人って?
幼かった私の頭の中では『 外国人=アメリカ人 』だったので、それだけでも衝撃でした。
思い返せば。
イギリスに対する強い憧れと、彼らの音楽をむさぼる様に聴き始めたのは、この瞬間がはじまりでした。
ビートルズが1966年6月に初来日して、今年でちょうど50年。つい先月、彼らのドキュメンタリー映画が公開されました。
約4年間で15カ国、計825回のステージを こなした4人。
*なんと、2日に1回の計算!!!
スクリーンの中の彼らは、音楽が本当に好きで楽しんでるように見えました。
彼らの熱狂的なファンをビートルマニアと呼び、社会現象にまでなりました。
ビートルマニアの歓声によって演奏はかき消され、誰も聴いていない状態が続きます。
「 ただ演奏したいだけなのに・・・ 」
そんな生活に疲れ果てた彼らは、初来日から2ヶ月後のサンフランシスコ キャンドルスティックパークでの公演を最後に、2度と観客の前に立つことはありませんでした。
その4人が2年5ヶ月ぶりにビートルズとしてのライブパフォーマンスを行ったのは1969年1月30日。
アップル・コア本社ビルの屋上で ドキュメンタリー映画 「 レット・イット・ビー 」撮影のために行われたこのゲリラライブは「 ゲット バック セッション 」や「 ルーフトップ コンサート 」と呼ばれ、観客こそいないもののその音に反応した通行人や近所のビルの人達の歓喜する表情がとても印象的に映っています。
みんな彼らの復活を待ち望んでいたんでは?と思ってしまいますが、残念ながらこの斬新な試みも警察の静止によりわずか47分で終了となったようです。
このように常に人々の想像を覆し、楽しんできた彼らのラストアルバム「 LET IT BE 」。
タイトルにもなっているあまりにも有名なこの曲を、今回は紹介します。
ビートルズが分裂しつつあるこの時期に悲観したポールが、亡き母の囁いた言葉を元に作ったと言われるこの曲。
レット・イット・ビー {なるようになるさ }
「投げやりな感じ」ではなく前向きなイメージで作詞したポールの意図に反して、他の3人の気持ちが戻ることは残念ながらありませんでした。
1970年4月、ポールのグループ脱退を公表したことがきっかけとなり正式に解散となりました。
日本ではビートルズの曲の中で一番セールスがあった曲 LET IT BE 。ピアノの前に座ったポールのアップで始まるPV。淡々と演奏するジョン、ジョージ、リンゴ。「本当にこれで終わってしまうんだな」という空気感に、ファンとしては何度見てもいたたまれない気持ちでいっぱいになってしまいます。
久しぶりに映画の中でのライブ映像や実際のインタビューの様子を見て、改めて彼らが世界中に与えたことの大きさを再確認すると同時に、いつまでもそこに留まってはいられない、同じじゃいけないという思いも伝わります。
初期の頃はプロデューサーに作られたビートルズ。マッシュルームヘアにお揃いの細身のスーツ。でもやっぱりこれこそがビートルズのイメージ。
最後の頃にはヒッピーというかコントで出てくる神様みたいになってましたね。ある意味、神格化していたのは間違いないと思いますが。
映画公開と同時に、当時唯一発売されたライブアルバムがリマスターされて発売されました。ビートルズに限ったことではありませんが、やっぱりライブが一番。映像と一緒に聴いて、当時の臨場感をぜひ、体感して欲しいです。
余談ですが、最後に発売になったアルバム『 LET IT BE 』ですが、実はひとつ前に発売されたアルバム 『 ABBY RORD 』が正真正銘のラストアルバム。なぜなら LET IT BE の後に制作、レコーディングされているからです。
アルバムに収録されている最後の曲のタイトルは「 THE END 」。ポールの曲です。
なかなかなブラックユーモアっぷりに脱帽!
written by 田中直美
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