The Strokes 「Is This It」
ニューヨーク、アッパーウエストサイドにある、富裕層の子供達が集まる学校。のちにThe Strokesを結成する4人はここで出会います。
ロックンロールバンドといえば、労働者階級の出身者が多い中、少し珍しい生い立ちの彼ら。そんな彼らが表現するロックンロールが当時の日本のファッションにどんな影響を及ぼしたのか。
今回はそんなお話を。
彼らがデビューした2000年初頭において音楽業界は、ヒップホップ、ヘヴィーロック,エレクトロニカをミックスさせた派手で激しいものが主流でした。すでにTRAVIS,COLDPLAY,RADIOHEADといったバンドが台頭しており、まさしく新時代と呼ぶにふさわしい時代を迎えていました。
RADIOHERDに関しては、エレクトロニカ、音響系をとりいれた「Kid A」を発表したのちに、多くのミュージシャンに傑作と賞賛され、彼らもそれまでのロックを指して「ロックはゴミ」とまで言ってしまう始末。事実、当時の音楽好きの友達のポータブルCDプレーヤーには常に「Kid A」が入っていたのを覚えています。
70年代、80年代に確立された音楽にマンネリを覚えたリスナー達は、ミクスチャーという新しいフィルターを通して常に新しいジャンルの音楽を求めていたのです。
そこに突如として現れた「The Strokes」。
様々な音楽を組み合わせるミクスチャー時代にこのバンドがやったこと、それは60年代の古き良きロックンロール、ガレージロックを現代風に都会的でスタイリッシュに昇華させたものでした。
時代はポストロックやヒップホップ、エレクトロニカに傾倒していたにもかかわらず、無駄をそぎ落としたシンプルなロックンロールをかき鳴らしたのです。それまでミクスチャーバンドしか聞いていなかった若いリスナーにとってThe Strokesのシンプルなロックンロールは新鮮であり、大人のリスナーには新しいようでどこか懐かしく、多くの支持を集めるようになります。
ファーストアルバム「Is This It」の爆発的なヒット後、セカンドアルバム「Room On Fire」では、ヒットさせることが難しいとされるセカンドアルバムの壁をもさらりと乗り越え、このニューヨークから出てきた新人バンドは「ロックンロール・リバイバル」と呼ばれるほどに。
そしてデビューから5年という早さで、ロックフェスのヘッドライナーを務めるまでの人気を獲得していくのです。
今回紹介する一曲は、「ロックンロール・リバイバル」を巻き起こしたデビューアルバムのタイトルでもある「Is This It」です。
タイトルの「Is This It」の意味を直訳すると「これでしょうか・・・」。
「ロックンロール・リバイバル」と、アルバム発表前からメディアに祭り上げられた事に対して、最大の皮肉を込めた彼らのアメリカンジョークだったそうです。
しかし、歌詞の内容でそこには触れるわけではなく、何かを主張する訳でもない。では、曲調はどうなのかと言うと、古いレコードから聞こえるような音質で始まり、ゆっくりと繰り返されるフレーズ。
ヴォーカルのジュリアンが枯れた声を荒げて歌うにも関わらず、それを無視するかの様に淡々と演奏するメンバー。ロックンロールと言えば、激しく、熱いイメージなのに…熱くないのかっ!という感じ。
しかしそこには、大きな理由がありました。それはシンプルな演奏を究極にシンクロさせること。
無駄を削ぎ落としたシンプルなロックンロールはザ・ストロークスの究極の引き算だったのです。
そして、彼らのデビューがセンセーショナルだったことにはもう一つ理由があります。
それはバンドメンバーのルックスとファッションです。
ギターのニックは、親が元モデルであり、そのDNAはしっかりと受け継がれていて、モデルとしても活躍していた時代がありました。さらにDior Hommeや日本の人気ブランドN.hoolywoodなどを好んで着ていたこともあって、日本のファッション紙にすごく取り上げられていました。
当時の日本ではSEDA、JILLE、PS、CUTiE、Boon、Get On、Smartといったストリート雑誌がスナップページに多くのページを割くようになり、「読者モデル」という存在が確立し始めた頃。
王道のアメカジ系、ストリート系、キャリーぱみゅぱみゅのようなデコラティブなファッション、ゴスロリ、サイバー系からモードなハイファッションといった様々なジャンルの人達で溢れていました。
現在、東急プラザがある場所には以前はGAPがあり、その通りでは、毎日のようにファッション紙のスナップ撮影が行われていました。それも1誌どころではなく多い時は5、6誌が同時にやっていたほど。
今のように行列ができるような人気店があった訳ではありませんが、自然と「GAP前」は原宿で一番人が集まる場所になり、そこに行けば誰かと会える。当時の僕にとっては、とても刺激のある特別な場所でした。
当時の僕はとにかく外国人ミュージシャンに近づきたい一心で髪を伸ばしました。前髪は目にかかり、生活するには邪魔な長さでしたが当時はそれがカッコ良かった。
外国人のように、くせ毛でウェットな感じでスタイリングするためのヘアグリース、ヘアオイルが世間的に広まったのもこの頃。
ファッションは古着のLevis517(細めのブーツカット)にクタクタのバンドTシャツを合わせ上から細めのジャケットを羽織り、足元はオーバーサイズのオールスター。さらに靴ひもをきつきつに締め上げて履いていました。
より風合いのあるデニムやTシャツを探すために、休みの日は1日中、原宿、渋谷の古着屋を片っ端から見て回ったのを覚えています。
グランジファッションが流行った時と匂いが少し似たものがありましたが、当時はUKロックファッションというくくりで、ファッション紙にはとりあげられていました。
40代のリアルタイムがNirvana,Oasisなら、僕にとってのリアルタイムはまさしくThe Strokesでした。
デビュー時から「ロックンロール・リバイバルの申し子」とプレッシャーをかけられ、「ただの金持ちの遊び」といった皮肉にもさらされたThe Strokes。
しかし、時代を読み、シンプルなロックンロールを追求することにより世界中で多くの少年達をロックに夢中にさせました。
その夢中になった少年達は、のちにArctic Monkeys , Kings Of Leon , JET , The Libertinesとしてロック界に多く登場することになります。
シンプルなロックンロールを貫くThe Strokes。
徹底的にやり抜くことの大切さを10年越しに気づいた今回、久々にLevis517とオールスターでも履いて、カットしてみようかなと思う今日この頃なのです。
written byDouble / 中原章義