『いまどきの「常識」』/香山リカ

主題…社会にはさまざまな「常識」があり、それを我々は常に意識しながら生活している。時としてその「常識」は世間の目となり命令として働く。しかしその「常識」が正しいのかどうかは誰も答えを示せない。さまざま社会の「常識」について、一つ一つ考え直す。

1章では「」をめぐる社会のさまざまな流れについて語られている。
香山氏は「自分物語」を語ることによって、無意識のうちに他者に危害を加えている場合があることを指摘する。「被害者としての私」を思考の中心に据えることで、自らの想像力が及ばない範囲が軽視されるようになるという。
また、近年の「涙絶対主義」についても指摘される。ドラマや映画などで「泣ける」ことが一つの価値になることで、人々は「泣ける」ことや「」に関わる要素の価値を無批判に高めようとする。こうした「涙絶対主義」の潮流は、「泣ける」ことが人間的に正しいという結論を導きやすく、議論の本質を度外視する傾向に繋がりうるという。

2章は社会におけるお金や仕事への認識について語られている。
香山氏は近年、「現実」と「理想」への見方が望ましくない方向へ向かっている旨を指摘する。世論の動向を見る限り、世間の多数の人々は「現実」を「理想」へと近づけようとはせず、「現実」を何よりも重視して「理想」のハードルを下げようとする傾向にあるという。
仕事については「自分らしさ」との関係について論じられている。「自分らしい仕事」というメッセージが社会に流布することで、「自分らしい仕事」を見つけることができない大半の人が職につけなくなってしまうのだという。

3章は男女の平等や、家族、教育について語られている。
近年の女性の中でのある葛藤について紹介されている。80年代以降、一部の女性たちの間で、いわゆる「自分磨き」に勤しむスタイルが流行した。その時代の女性たちは、女性としての外見などではなく、内面やスキルの向上を図り、レベルアップを試みたのである。しかしその他方で、内面や能力の涵養ではなく、早く結婚して安定的な生活を志向する「結婚の保守化」の流れも生じるようになったとされている。「結婚の保守化」は、「男受け」を求める傾向にあるため、「自分磨き」とは両立しなかったのだという。香山氏はこうした現象について、「男受け」と「自分磨き」が両立しないのは男性側にも責任はあると述べている。

4章は「自己責任」という単語が流行した社会の問題点について論じられる。
香山氏は「自己責任」という語は、個人を陥れた社会的な問題を社会的な次元から個人的次元へと「矮小化」する機能があるということを指摘する。そして、「自己責任」という語には人間の心理に作用する効果があると主張する。「自己責任」という語は、「現実を見据えて深く考えること」に悩む必要性を抹消することができ、かつ「自己責任」という語を発することで自らを多数派として自認して安心感を得ることができるのだという。

5章はメディアと人々の認識について取り上げられている。
一時期メディアで頻繁に取り上げられた「血液型占い」は、科学的根拠は不明確であるにも関わらず、自分とはどんな性格でどんな人間なのかについて包括的な答えを与えてくれる。このことから、「血液型占い」は自分を探す人々にとっての安心材料になっているのだという。

6章は歴史問題や政治にかかわる世間のものの見方について語られている。

一行抜粋…それが現実なのだから仕方ないだろう、といわれればそれまでだ。「この新しい「常識」に従えない人は、この社会から出て行ってもらいましょう」と言われれば、自分の身の振り方を考えなければならない。それでも、まだ考え直してみる時間はゼロではないはずだ。こういう「常識」が完璧に実現する社会を、あなたは本当に望んでいるのか。(9頁)

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