『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』/中川淳一郎
主題…仕事は「自己実現」や「夢」の実現を可能にする手段として語られる。しかしながら、そうした語られ方は正しいものなのか。「自己実現」や「夢」と仕事の距離を離して考えることで、凡人にむけた仕事論を展開する。
1章では、世の中で「夢」はどのように語られているのかや、その語られ方による問題などが述べられている。
中川氏によれば、ネット上などで「夢」は崇高なものとして語られる傾向にあるという。そうした崇高な「夢」は、掲げているだけでも価値のあるものとみなされるという。他方で、崇高な「夢」ではなく、安定的な生活や平凡な暮らしは、「夢」から離れた劣ったものとして見なされがちであると中川氏は指摘している。
また、中川氏は、「夢」自体を否定しないものの、「夢」を見るためには「諦める日付」を決める必要があると主張している。十分な根拠に基づいた「諦める日付」を決めない限り、「夢」という言葉に引きづられてしまい、空虚な時間を費やすことになり得るのだという。
2章では、「自己実現」の手段として語られる仕事の本質について論じられている。
中川氏は、仕事の本質を「自己実現」に見出そうとする傾向に異議を投げかけている。そして、中川氏は仕事の本質とは、「自己実現」ではなく、次の2つにあるとしている。中川氏によれば、仕事の本質とは、「生活のため」と「怒られないため」なのだという。とりわけ、後者について、自らの仕事の経験をもとに論証をしている。仕事は基本的には、「怒られたくない連鎖」によって成り立つものであり、そこには地道で平凡な過程しかないのだという。
3章では、崇高なものと語られる仕事の現実的な側面が述べられている。
4章では、「夢」や「自己実現」とは離れた
ところにある、仕事の魅力や尊さについて述べられている。
中川氏は、仕事それ自体の魅力は否定せず、仕事に精を出すことは、生き方を決める上で重要であるとしている。その上で、中川氏は自らの経験談を踏まえて、仕事に取り組むことの魅力や尊さを説明している。
一行抜粋…仕事ってものは「優秀な人」のためだけのものではない。ごく普通の我々「小物」「凡人」もやるものであるし、仕事をしなくては我々は生きていけない。「ごく普通の人のための仕事論」も必要なのだ。(80・81)