『ミシェル・フーコー 近代を裏から読む』 /重田園江
主題…「近代」における権力の本質を暴いたミシェル・フーコー。フーコーは「監獄」「規律権力」「知」などあらゆる概念を用いて、社会で当たり前と思われている価値の全く異なる姿を露わにしてきた。現代においても色褪せないフーコーの思想にアプローチする。
1章では残酷な身体刑の場面から始まる『監獄の誕生』に触れ、フーコーの哲学実践のスタイルについて説明されている。
重田氏によれば、フーコーの著作は、社会で当たり前と思われていることに対して異なる見方や考え方の可能性を提示することに特徴があるのだという。そうした社会における「価値を変える」というスタイルに基づいたフーコーの著書は、多様な深読みが可能であると重田氏は評価している。
2章はなぜフーコーは「規律」が働く場所として「監獄」を選んだのかという疑問に関わる説明がなされている。
初期のフーコーは主に「精神病院」を関心領域としていたということや、「規律」が働く場は「監獄」にとどまらないことから、フーコーが「監獄」を選択した理由は明らかにされていない。重田氏もフーコーが「監獄」を選んだ決定的な理由は見出し難いとしている。
3章では『監獄の誕生』における問いやフーコーの着眼点の解説がなされている。
『監獄の誕生』でフーコーが設定した問いは、「なぜ近代に入り、「監獄」が主要な刑罰の場になったか」というものである。フーコーはこの問いを論じるにあたり、刑罰と社会や時代との関係性に注目する。フーコーによれば、刑罰は時代や地域を通じて均一的なものでは決してなく、刑罰のあり方は時代や社会のあり方次第で変化するものなのだという。
このように刑罰を社会との関係から論じることは、フーコー独自の視点ではなかったと重田氏は指摘する。エミール・デュルケムやルーシェとキルヒハイマーなどは、フーコー以前に刑罰の変化について社会学や経済学の視点から論を展開していたという。
しかし重田氏によれば、刑罰と社会の関係を論じるにあたりフーコーには決定的な独創性があったのだという。フーコーはデュルケムらが提示した社会や経済、文化の視点から刑罰の変化を論じるという既存の枠組み自体を批判し、その枠組みに収まらない新たな視点から「監獄」を論じた。重田氏はフーコーと他の理論家の決定的な相違は、こうした枠組みに対する懐疑的な姿勢にあったと主張している。
4章では近代以前に主流だった「身体刑」に対するフーコーの分析について説明がなされている。
近代以前は身体に物理的な苦痛を与え、人々にそれを晒す「身体刑」が採用されていた。その「身体刑」の目的は、君主に対する反抗への制裁であり、反抗の度合いに応じて処罰も残酷なものになっていったとされる。すなわち「身体刑」には君主に属する「生命を奪い抹殺する特権」の絶対性を人々に見せつけ、社会に浸透させるという機能を備えていたということである。
また当時の「糾問型の裁判」や「自白」などは「身体刑」の機能を一貫して成り立たせるためのものだったとされている。
5章は『監獄の誕生』の中でも異色とされる「啓蒙主義者の刑罰改革」の解説がなされる。
「身体刑」は君主の「生殺与奪の権利」を浸透し、絶対性を正当化するためのものだったが、それを成立させるためには「群衆」が必要とされていた。「身体刑」の様子を注視する「群衆」が存在しない限り、君主の絶対性の浸透は十分になされないということだが、この「群衆」が徐々に執行人を非難し、囚人を擁護するようになることで、刑の正当性が揺らいでいくという事態が訪れることとなる。
こうした事態から刑罰の改革が求められるようになる。そこで主張されたのが「啓蒙主義者の刑罰改革」であるという。これはブルジョワジーの視点から、ブルジョワジー以外の諸階層の行動を制限することを目的とした改革であったとされている。
6章では近代の刑罰として「監獄」が誕生した背景について論じられている。
フーコーは「監獄」の誕生は、近代的な価値や啓蒙とは全く異なる「系譜」の上に位置付けられることを明らかにした。啓蒙主義者たちは、刑罰のあり方を考えるにあたり、犯罪と刑罰が人々の頭の中で「記号」として結びつけられることを重視した。また、処罰は公開を原則としなければならず、刑罰が実践される場として「処罰都市」のあり方が一つの理想として捉えられていた。
しかし近代に誕生した「監獄」は犯罪と刑罰が結びつけられづらいだけでなく、処罰が閉鎖された環境で行われることとなる。また刑罰としての「監獄」の役割や目的についても、啓蒙主義者が理想としたものとは相反するものだったという。フーコーはここに「監獄」の誕生と近代啓蒙との距離を指摘するのである。
7章では『監獄の誕生』の3章で論じられた「規律権力」の解説がなされている。
フーコーは近代以前の「身体刑」を君主の生殺与奪の権利を示すものと位置付けたが、近代における権力は、この君主の絶対的権力とは対極的な働きをする権力であるとしている。その「規律権力」は人々に対して従順な身体を形成するように仕向け、訓練化された行動を取らせることを目的として人々に働きかけるのだという。
この「規律権力」は「時間」「空間」「身体」の配分によって成立するとフーコーは論じている。そして「時間」「空間」「身体」の配分の基準は「規格化」によって決定され、その配分の「基準」こそが犯罪者を分ける指標となり、「異常者」という概念を作り出すのだという。
8章はフーコーが注目した「規律」とは歴史上どのように扱われてきたか論じられている。
重田氏によれば、フーコーがいう「規律」とは「小さな「工夫」の寄せ集め」なのだという。「規律」は監獄以外にも、軍隊や病院などで採用されてきた。そうした「「工夫」の寄せ集め」が軍隊や病院以外の領域に拡大し、一般化したのが近代なのだという。
9章はフーコーが論じた近代国家による「統治」について取り上げられている。
フーコーは国家による「統治」を論じるにあたり、統治と「知ること」との関係性を重視する。国家の国土に関わる情報や人口、人口の態様や分布などのあらゆる情報を「知ること」は、そこで働く権力と不可分に結びつくとフーコーは指摘している。国家に関わる情報が体系化した「ディスクール」を知り、それらが参照されることで、規律権力は無数に蓄積されるのだという。
10章では一般的な「国家理性」の捉え方と、フーコーのいう「国家理性」の相違について論じられている。
11章はフーコーの法と権利に対する視点の説明がなされている。
重田氏によれば、フーコーは権力と死の関係を体系的に論じておらず、一つの結論に達していないのだという。それにもかかわらず、フーコーの論を戦争や「例外状態」における権力行使の正当化と結びつける解釈が蔓延っていることから、そうした解釈の誤りを重田氏は指摘している。
12章は「監獄の失敗」について論じられている。
フーコーは「監獄」の機能や誕生の背景を論じていながらも、「監獄」には効果が乏しいことを認めていた。そうした「監獄の失敗」にもかかわらず、なぜそうした失敗が温存されてきたか説明が必要になる。フーコーはこの点について、犯罪者の「政治化」を防ぐためには「監獄の失敗」が必要であったとしているという。
13章は『監獄の誕生』の執筆の背景にあったフーコーによる「GIP」活動の経緯が取り上げられている。
**一行抜粋…私は毎日のように、こうしたことを不快に思い、不満に感じ、なんか世の中おかしいんじゃないの、どうかしているよと独り言をいう。そして何よりも、そういうことを少しもおかしいと思わない人たちが日々作られ、そういう心性を強める仕掛けが施されてゆくのを不快に思っている。そんなとき、『監獄の誕生』をはじめとしてフーコーが書いたものを読むと涙が出そうになる。権力は滑稽だ。それなのに核を持たず、陰謀の中心に一人の人物や最有力集団がいるわけではない。権力は人の相互行為を通じて、戦略的に作用する。そして日々新たに犯罪者とそうでない人の境界線を引き直し、被害者意識を醸成し、安全への際限ない欲望を煽る。(212ー213頁)
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