『ハンナ・アレント』/川崎修

主題…20世紀を代表する政治哲学者ハンナ・アレント。彼女は「全体主義」という20世紀の破局的事態に正面から向き合い、それを記述した。「全体主義」を過去の事象と見做さない彼女の視点は、現代においてもまったく色あせていないことが分かる。著作や背景、政治に対する姿勢などから彼女の思想を読み解く。

プロローグでは、ハンナ・アレントの生涯、思想史上の位置付け、他の思想家との影響関係などの説明がなされている。
川崎氏によれば、ハンナ・アレントの思想が注目される理由は、20世紀における課題に正面から向き合い、それをリアリティのある形で描写したことにあるという。アレントは自身も「ユダヤ人」であるという自覚の下で、「全体主義」をはじめとした政治的諸課題を対立し、苦しみながらも思想を大成させたという点に、アレントの思想の最大の特徴があるのだという。

1章では『全体主義の起源』の前半部分の解説がなされている。
川崎氏は、アレントの『全体主義の起源』はレーニンやナチスの政策を分析する実証的な歴史書では必ずしもないとしている。『全体主義の起源』は歴史書としては分析や史実の把握が不十分であり、「全体主義」に至る経緯を実証的に分析したものとは言えないのだという。
そこで川崎氏によれば、『全体主義の起源』は実証的な歴史書ではなく、「全体主義」という現象を現代文明においていかなる時でも普遍的に起こりうる政治的事象として捉えた研究として認識した方がよいのだという。すなわち「全体主義」を歴史上に起きた一つの事実として捉えるのではなく、現代文明においても起こりうる事態として位置付けたということである。
アレントは「全体主義」の発端を「19世紀秩序の解体」に見出す。「国民国家」や「政党制」などを中心とする19世紀秩序が解体されたことが、「全体主義」の出発点だったのだという。アレントによれば、19世紀に資本輸出、官僚制、人種主義と結びついた「帝国主義」が19世紀秩序を瓦解させていくようになったのだという。

2章では1章で行った整理を踏まえ、『全体主義の起源』の後半部の解説がなされている。ここで20世紀の「全体主義」の態様や経緯が取り上げられている。
20世紀に入り生じた少数民族問題や無国籍問題は、19世紀秩序である「国民国家」体制の成立を困難にさせる事象であったのだという。とりわけ無国籍問題は、政治的共同体からの追放を意味しており、「諸権利をもつ権利」の剥奪としてアレントは説明をしている。
アレントは20世紀の「全体主義」に至る一つの契機として、「階級社会の解体」に着目する。アレントによれば、19世紀までの社会は「階級社会」であったが、その「階級」が解体されて階級社会からの余計者が生じたことで、「大衆社会」が成立したのだという。アレントは階級社会からの余計者を「モッブ」と呼ぶ。この「モッブ」は共通世界を共有していない存在であり、その「モッブ」が「大衆社会」の形成の土台となっていたとされている。
そして20世紀の「大衆社会」における「大衆」とは、事物に対して無関心を決め込む「アトム化」した「根無し草的存在」であると説明されている。この現代的な「大衆」が「全体主義運動」に加担することで、「全体主義」は形作られたと考えられている。その際、「世界性」を共有しない「アトム化」したバラバラの個人は、世界に対する「首尾一貫性」を追求した。そのため、「首尾一貫性」を唱えた全体主義的プロパガンダは「大衆」に対して有効に作用し、全体主義運動が成立したのだという。他にも、全体主義組織やテロル、イデオロギーは「大衆」の「世界性」を破壊するように働くことで、全体主義運動の実現に向かっていったのだという。
その全体主義運動において、攻撃対象とされたの「ユダヤ人」である。ナチズムは「政治的反ユダヤ主義」を全体主義運動に利用し、「大衆」にとって受容されやすい方法で暴力的運動を行ったとされている。

3章ではアレントがアメリカに対して考察した諸論考の解説がなされている。
アレントは、アメリカを階級社会や全体主値を経験しなかった例外的な国として位置付けている。アレントによれば、アメリカの合衆国憲法における「自由」の概念は「全体主義」に抗するために共有されるべき価値なのだという。
またアレントはアメリカについて、人々がアメリカに対して夢や悪夢を見出す姿勢について言及している。ヨーロッパの人々はアメリカで起きる事象に夢や悪夢を見出すが、そうした夢や悪夢はヨーロッパ的な秩序を前提としたものであることから、アメリカで起きる夢や悪夢はアメリカにとって特別なこととというわけではなく、ヨーロッパでも起こりうることであるとアレントは考察している。
次にアレントがアメリカ独立革命とフランス革命を比較考察した『革命について』の解説が加えられている。アレントは『革命について』では、革命の本質について考察し、その前提からアレントはアメリカ独立革命の価値を評価している。アレントによれば、「革命とは自由の創設」であり、新たな政治体制を創出することが「革命」の本質であるのだという。そのため、社会経済的な必要性から起こす「革命」は「革命」たりえないのだという。
この前提から、アレントは「貧困」による暴力を支点としたフランス革命を評価せず、「自由」の獲得のために新たな政治体制の創設に励んだアメリカ独立革命を評価する。また、アレントはアメリカ独立革命における「自由」の希求は、革命時に限って現れたのではなく、植民地時代からその兆しはあったとしている。
3章の後半部では、アメリカの具体的事象に対してアレントが考察を展開した論考の解説がなされる。ここでは特に、ベトナム戦争時に垣間見られた政治の虚構性を批判した「政治における嘘」や、黒人差別に端を発し起きた暴動事件に対して言及した「リトルロック事件についての考察」の詳細な解説がなされている。
川崎氏はアレントのアメリカに対する書論考をもとに、アレントのアメリカ論の総括を行なっている。アレントは、大衆社会化が進むことによる画一主義の傾向や、科学技術の進展が暴力につながる可能性、官僚制支配の跋扈などに批判的であったという点では新左翼的であったと認識できる。しかし他方で、アレントはアメリカの共和政の憲法体制や建国者の理念に対し、価値を見出していた。そのため、アレントの思想には新左翼的な側面を持ちながらも、保守的な側面も備えていたという点が、アレントのアメリカ論の特徴なのだと川崎氏は指摘している。

4章は『人間の条件』を中心に、アレントの政治観について解説がなされている。

一行抜粋…アレントは、思想的にもその実人生そのものにおいても、身をもって20世紀の現場、出来事と思想の十字路に身を置いた人であった。そして、まさにそのことによって彼女自身が、20世紀のさまざまな思想が通過しぶつかりあう十字路となったのである。それはのちに紹介する彼女の経歴からだけでも推測できよう。まさに彼女は、この世紀の「怪力乱神」、デーモンと格闘し続けた思想家なのである。(19頁)

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