堀啓子『日本近代文学入門 12人の文豪と名作の真実』(中央公論新社、2019年)
主題…近代の文豪たちはどのように生き、何を考え、それをいかに文学作品に反映させたのか。日本文学の成立に影響を与えた文豪たちの生涯とその作品への理解を深める。
1章では、「言文一致体」を大成させた三遊亭円朝と二葉亭四迷の生涯と作品についてまとめられている。
「言文一致体」の着想を取り入れた表現をはじめて行ったのが、落語家の三遊亭円朝であるとされている。三遊亭円朝は近代落語を成立させた落語家としても知られている。堀氏によれば、円朝の落語である『怪談灯篭牡丹』が速記本として成立したことで、「言文一致体」という新たな文体の誕生をみたのだという。
そして、近代小説に大きな影響を与えた「言文一致体」を文体として成立させたのが二葉亭四迷の『浮雲』である。ただし堀氏によれば、二葉亭自身には「言文一致体」を新たな文体を意識的に成立させようとする意図はなく、さらに当時の読み手側も文体よりもその内容を高く評価していたという。「言文一致体」を確立した三遊亭円朝と二葉亭四迷はいずれにしても、自らの苦悩を執筆によって克服しようとし、新たな文体を確立させたという点を共有していると堀氏は主張している。
2章では、女性が作家として生計を立てることの先駆けとなった樋口一葉と田辺花圃の生涯と作品について説明がなされている。
堀氏は樋口一葉と田辺花圃の共通点として、いずれも生計を立てるために小説執筆をした点を挙げている。2人は女流作家として稿料を得ることの先駆けになったのだという。名家に生まれた田辺とは異なり、樋口一葉の場合、経済的に恵まれた環境にあったとは言えず、社会的・経済的に困窮した時間を経た中で作品を確立させていったとされている。ここでは樋口一葉の師、半井桃水との関係や萩の舎での活動についての説明がなされている。
田辺花圃は『藪の鶯』を著し、女性作家として初めて稿料を得た作家として知られている。田辺の場合、経済的に困窮していたといえないものの、執筆の契機は経済的理由によるものとされている。『藪の鶯』は当時の世相を反映し描かれていた点が注目を集めたとされている。
3章では、尾崎紅葉とその弟子である泉鏡花の作品について、海外の文学作品との関係から議論がなされている。
尾崎紅葉の代表作、『金色夜叉』はイギリスのバーサ・M・クレーという女性作家の『Weaker Than a Woman』から着想を得たとされている。愛と金に板挟みになる男女の恋愛を描くという点において『金色夜叉』への影響が見て取れるのだという。ただし、『金色夜叉』の場合は、その後半部分がクレーの作品と大きく異なっており、後半部分は当時の日本読者のテイストに合わせた作風に改めてられているのだという。
尾崎紅葉を師として仰いだ泉鏡花の『高野聖』もまた、海外の作品との関係から説明が加えられる。『高野聖』の旅の中で幻想的・怪奇的な経験をするという点が、中国の怪奇文学からの影響を指摘される。ただし、泉鏡花自身は中国の怪奇文学をモデルにすることを特に意識していなかったとしている。堀氏によれば、泉鏡花は意識的に中国の文学を改変しようとしなかったものの、無意識的に過去の文学作品からの影響を受け『高野聖』の着想を得たのだという。
4章では、新聞を活躍の舞台とした2人の作家として夏目漱石と黒岩涙香の生涯と作品について説明がなされている。
教師としての職に就きつつ小説を書いた夏目漱石は、『東京朝日新聞』での執筆活動の開始をもって、作家としての本格的な活躍が注目されるようになった。漱石は近代化が進む日本社会における個のあり方について、新聞小説を発信の場として用いたとされている。
他方、黒岩涙香は小説家というよりも、新聞記者として新聞小説に関わり、執筆活動を始めた。とりわけ涙香は西洋の文学作品を翻訳し日本の読者に合う形で設定を修正したものを新聞上に連載した。堀氏によれば、こうした涙香の執筆活動のスタイルには、新聞小説という表現形態を通して読者を啓蒙するという意図があったとされている。
5章では、日本における「自然主義」の伝統を拓いた田山花袋と「反自然主義」として知られる森鴎外の生涯と作品について論じられている。
田山花袋が著した『蒲団』は、日本における「自然主義」の先駆けとして知られている。ヨーロッパにおける「自然主義」は、個人の人生観と結びつくものであったが、田山花袋が『蒲団』で取り入れた「自然主義」的な表現は、作者の私的な経験を反映させる側面が核にあるものであり、ヨーロッパにおける「自然主義」とは異なる部分もあるとされている。
堀氏によれば、田山花袋と森鴎外は日露戦争にかかわっていた点やドイツの作家ハウプマンを私淑していた点に共通点があるという。また、田山花袋と鴎外は相互に作品を評価し合っていたともされている。ただし、森鴎外の作品においては、「自然主義」的な発想から離れた「反自然主義」が貫かれており、近代文明や知識人をテーマとしていた点などから、文学作品のスタイルについては異なる方向を示すものだったとされている。
6章では、生涯や作風のスタンスは全く異なるが、後世の文学に絶大な影響を残したという点で共通する菊池寛と芥川龍之介の障害と作品について述べられている。
一行抜粋…長い日本の文学史においても、最も大きな変化がもたらされたのが明治、大正時代である。その時期に文学の課題の多くが成立したのであり、現代までそれらに対するよりよい技法が繰り返し試みられ、進化しつづけているといえよう(259頁)。