『池上彰のやさしい経済学 1』/池上彰
主題…アダム・スミス、カール・マルクス、ジョン・メイナード・ケインズ、ミルトン・フリードマン、デイヴィッド・リカードなど、彼らの理論を耳にしたことはあるが、具体的に説明することは意外と困難である。彼らの理論が生まれた背景や理論の内容、現代の日本への影響などを知り、経済学への理解を深める。
1章では経済の語源や役割、経済学の潮流などについて説明がなされている。
明治時代にeconomyを始めて訳した際、「経済」という語が当てられた。「経済」の語源は「経世済民」にあるとされている。「経世済民」とは「世を治め」て「民を救う」ことを意味しており、すなわち「資源の最適配分」を行うことが「経済」の主たる意義として位置づけられた。当時は「経済」の意味は「経世済民」に加え、理性を用いて材を管理するという意味の「理財」をも意味するものとされていたが、「理財」としての意味は徐々に薄れていくことになったという。
経済学が学問として成立した当初は、人々は皆、自らの利益に即した行動を取ると考えられていた。そうした「合理的経済人」の経済行動を分析することを目的とした経済学であったが、のちに人々は時として合理的とも言えない経済行動を行う場合もあると考える立場が現れるようになった。それが「行動経済学」の立場であり、近年は人々が経済行動に際して行う非合理的な側面へ注目が集まるようになってきている。
池上氏は経済学は「選択の学問」であるという位置付けに重きを置いている。人々の欲望は際限がないのに対し、社会における富は数が限られている。こうした欲望の無限性と「資源の稀少性」という事実こそが学問としての経済学の出発点なのだという。人々の需要と供給により、価格が決定されると考える「需要供給曲線」の考え方もまた、この前提によるものであると考えられる。
2章では「貨幣」という存在の説明や金融制度の歴史、金融機関の役割について説明されている。
2章は「お金とは何か」という問いから議論が始められている。「貨幣」は基本的には一国内でしか価値を持たず、「貨幣」が価値を持たない領域に入った瞬間からその「貨幣」はただの紙となる。こうした性質から「貨幣」とは、「みんながお金だと思っているからお金」という事実によって規定される「共同幻想」に過ぎないと池上氏は結論づける。
そしてこうした「貨幣」はどのように成立し、それはどのような制度のもとで管理されてきたかについて整理がなされている。
3章は近代経済学を大成させたアダム・スミスの理論について論じられている。
近代経済学の祖とされる「アダム・スミス」は1776年に『諸国民の富』を記した。3章では『諸国民の富』の内容を中心に、アダム・スミスの理論が現代の経済にいかなる示唆を与えているかについて取り上げられている。
アダム・スミスは『諸国民の富」の中で、当時有力であった「重商主義」を批判している。「重商主義」は輸出を繰り返すことで得られる貴金属こそが「富」であり、そうした貴金属を得るために積極的な輸出を正当化した理念である。この「重商主義」の立場に立つと、「輸出奨励金制度」などが合理化されることになるが、スミスは「重商主義」の見方を退け、「輸出奨励金制度」を批判対象としたという。
スミスは「重商主義」が「富」を貴金属としたのに対し、「富」とは「消費財」であると位置付けた。スミスは輸出のみを図る「重商主義」を退け、「消費財」を「富」とすることで、自由な輸出及び輸入こそが「富」の総量を増加させると主張したのである。
そしてスミスは市場のあり方は、参加者の「利己心」によって成り立つものであると主張する。市場の参加者が自らの「利己心」に基づいて行動をとることで、市場は「富」を増加させるように自動調整機能が働くのだという。こうした「見えざる手」の機能により、市場は活性化することから、スミスは政府は市場に対して介入をするべきではないと主張した。
4章はカール・マルクス『資本論』の説明がなされている。
池上氏は「年越し派遣村」がマルクスの議論の再評価に繋がったと考えている。マルクスは資本主義経済の発展に伴う労働者の搾取を唱え、その結果として労働者が劣位に陥れられると考えた。この観点から、「年越し派遣村」はマルクスの議論のリアリティを示した出来事であるとしている。
マルクスはエンゲルスと著した『資本論』の中で、資本家による労働力の搾取の構造について論じている。『資本論』はまず「商品」の説明から論が展開されているという。マルクスによれば「商品」の価値には「使用価値」と「交換価値」があり、市場で評価されるのが後者の「交換価値」なのだという。そしてその「交換価値」の価値の源泉になるものは、「労働価値説」の立場から、マルクスは「労働力」であるとしている。
そしてその「労働力」しか持ち得ない労働者と、生産設備を有する資本家が契約を取り結ぶことが資本主義経済の原則であり、その構造が際限のない「搾取」に至らせるのだとマルクスは指摘したのである。
5章はジョン・メイナード・ケインズの理論が紹介されている。
ケインズは1929年、世界恐慌に陥った際、先進的な理論を提示し注目を浴びた。ケインズの「有効需要」に着目した公共事業の展開などは、失業者が増加した当時の恐慌への処方箋としては有効に機能していたという。
日本もケインズの理論は積極的に取り入れたが、今日ではケインズの理論は機能を果たし得ていないという。日本の「財政赤字体質」やケインズ政策による「インフレの誘発」などの副作用から、ケインズが想定したような機能は見込めなくなってきているというのが現状なのだという。
6章はミルトン・フリードマンの理論の説明と、フリードマンの理論が現代の日本に与えた影響について取り上げられている。
ケインズ政策の不振に代替となる形で注目されたのが、フリードマンによる「マネタリズム」の考え方である。フリードマンは市場に流通する「資金の量」に注目し、その資金の量をいかに管理するかという点が経済を左右すると考えた。こうした考え方は「シカゴ学派」として受け継がれることとなったという。
「フリードマン」は政府による介入を徹底的に批判する「小さな政府」を志向した。この考え方は「新自由主義」という形で日本にも取り入れられ、池上氏によれば、2000年代以降の「小泉竹中路線」はフリードマン的な政策の具体化であったという。
7章ではディヴィッド・リカードの「比較優位」について説明がなされている。
一行抜粋…せっかくの費用と時間をかけ、あることをしようとしているのですから、それが無駄にならないようにしようとは思いませんか。選択と機会費用の概念を知ることで、あなたの生活は変わってくるはずです。これまでより有意義な生活が送れるようになるでしょう。