堂目卓生『アダム・スミス 『道徳感情論』と『国富論』の世界』(中央公論新社、2008年)

主題…アダム・スミスは、個人の私的利益の追求が社会全体の利益の実現につながるという「見えざる手」を説いた思想家のイメージが強い。そのイメージは正しいのか。スミスが『道徳感情論』で展開した人間観に焦点を当てることで、スミスの思想を「同感」という人間本性に重きを置く思想として読み解く。

 序章では、アダム・スミスが生きた18世紀ヨーロッパにおける社会の2側面について論じられている。
 堂目氏は、スミスが生きた18世紀のヨーロッパには、光の側面と闇の側面があったことを指摘する。政治的民主化や自由が市民に広がった輝かしい時代である一方で、貧富の格差や都市の荒廃、財政問題などの暗い時代でもあったとされている。スミスはこうした光と闇の時代を生きる中で、社会における秩序がいかに形成されるのかを、人間本性にまで遡って明らかにしようとしたのだという。

 1章では、『道徳感情論』の中でスミスが社会秩序の形成を人間の本性からいかに基礎づけたのかについて説明がなされている。
 スミスは、人間の本性として「同感」の原理があることを指摘する。「同感」は、他者に関心をもち他者の立場に自分を置き換えて物事を判断することを指すとされる。そして、スミスによれば、人間は「同感」の能力によって、他者の行動だけではなく、自らの感情や行動の適切性についても判断するという。その際には、自らの胸中において形成された「公正な観察者」が感情や行動の適切性を判断するのだという。
 また、「公正な観察者」は感情や行為の適切性を、それらが「称賛」に値するか、「非難」に値するかを判断するとされる。そしてスミスによれば、こうした「称賛」と「非難」の評価には、常に「不規則性」がつきまとうという。そして、この「不規則性」によって、人間は「非難」を避けるための行動を選択したりすることで秩序の形成がなされるのだという。
 評価には「不規則性」がつきまとう点から、「公正な観察者」による判断と世間からの評価が分かれる場合があることをスミスは指摘する。その上でスミスは、「公正な観察者」の判断を優先する者を「賢人」と呼び、世間からの評価を優先する者を「弱い人」と呼んだ。堂目氏は、これらの性格は完全に分けられるものではなく、1人の人間に共存する社会的な性格であるとして、これらの2側面をスミスの人間理解の特徴として位置付けている。
 スミスは、人間の賢明な側面がいかに弱い側面を統制するのかを説明するにあたり、人間が他者との交際のなかで形成していく「一般的諸規則」に焦点を当てる。「一般的諸規則」を守らなければならないとする「義務の感覚」によって、人間の利己心や自愛心は抑制されるのだという。堂目氏は、このように利己心を統制されるものとして位置付けた点から、人間の利己心をスミスの思想の中核であるとする解釈は一面的であることを指摘している。

 2章では、スミスが『道徳感情論』の中で、社会の繁栄を人間本性からどのように説明したのかについて論じられている。
 人間が「同感」能力を働かせる場合、喜ばしいことと悲惨なことの間で、「同感」の働き方が異なるという。すなわち、人間は喜ばしいことには同感しやすいのに対し、悲惨なことには同感することを躊躇う傾向にあるのだという。こうした傾向から、人間は悲惨な状態より、高い地位や富といった喜ばしい状態を目指したいという「野心」を秘めているのだという。
 スミスは社会の繁栄を説明するにあたり、こうした人間の弱い側面に着目する。高い地位や富をめぐって競争が起こり、「見えざる手」が働くことで社会の繁栄が実現するのだという。ただし、スミスはこうした虚栄による社会の繁栄には負の側面があることを認め、人間の「賢人」としての側面も重要であるとしていた。スミスによれば、富や地位を目指す「財への道」だけではなく、英知を目指す「徳への道」をも追求することによって、社会の繁栄が実現する競争がなされるのだという。

 3章では、『道徳感情論』の中で、スミスが国家と国家の間での秩序をどのように捉えていたのかについて説明がなされている。

 4章では、『国富論』の構成と概要がまとめられている。

 5章では、『国富論』における「分業」について論じられている。
 スミスは社会の繁栄の原理として、「分業」を挙げている。そして、この「分業」を説明するにあたり、スミスは人間の「交換性向」を指摘する。人間は他者との間で物を交換してしまうという、「交換性向」が、「分業」が成り立つ原因なのだという。そして、「交換性向」は、人間の「説得性向」を前提としているという。この「説得性向」は、人間本性である同感の能力に基づくものであり、こうした関連からスミスは人間の「分業」を位置付けているのである。
 「交換性向」をもつ人間は、市場での取引を繰り返すことによって、「見えざる手」の機能により価格が自動的に調整される。しかし、スミスによれば、こうした価格の自動調整は、人間の利己心によってのみ成り立つのではなく、「フェア・プレイの精神」を不可欠とするのだという。

 6章では、社会の繁栄の原理である、「資本蓄積」について論じられている。
 個人間での「分業」を成り立たせるための前提として、ある程度の「資本蓄積」が求められるという。6章では、資本蓄積のために具体的にいかなる方法をとることが求められるのかが説明されている。

 7章では、ヨーロッパの歴史を踏まえながら産業の発展段階の問題や、スミスが批判した「重商主義体系」について説明がなされている。

 8章では、スミスが実際に政策を展開するにあたり重視したことについて取り上げられている。
 スミスは優遇・抑制政策をとるのではなく、それらを廃止することを理想としたという。これは、政策によって状況を解決するのではなく、「自然的自由の体系」を確立することで正常な発展段階に戻すというものである。その際には、急激な政策の展開をするのではなく、漸進的な形で進めるのが理想的であるとされる。スミスは、人々の感情を考慮せずに自らの理想だけで政策を進める「体系の人」であってはならないということを指摘するのである。
 8章後半では、スミスがイギリスのアメリカ植民地問題に対していかなる策を考えていたのかについて説明がなされている。

一行抜粋…たしかに、スミスは、『国富論』において、個人の利己心にもとづいた経済行動が社会全体の利益をもたらすと論じた。しかしながら、そこで想定される個人は、社会から切り離された孤立的存在ではなく、他人に同感し、他人から同感されることを求める社会的存在者としての個人なのである(271-272頁)。

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