石川文康『カント入門』(筑摩書房、1995年)

主題…イマニュエル・カントは批判哲学を展開し、それまでの哲学の前提を大きく転換させた。現代においても哲学史上の評価に揺るぎのないカントの哲学は、いかなるものであり、いかに形成されたのか。三代批判書を読み解きながら考える。

 1章では、イマニュエル・カントの「批判哲学」についての説明と批判哲学におけるカントの構想と「独断のまどろみ」について説明がなされている。
 認識のあり方をめぐる哲学を前進させたカントの哲学は批判哲学・理性批判と呼ばれる。批判哲学とは、人間の合理的認識能力
対する懐疑・批判を展開する哲学を指し、カントの批判哲学はこれまでの哲学が所与 のものとしてきた合理性そのものが有する「仮象」を明らかにすることに焦点が当てられたとされている。そしてカントは、理性の仮象を明らかにするために、認識の最高機関であるところの理性さえも欺瞞的であることを証明した。その具体的な方法が、成り立ち得ない2つの命題が見かけ上、正当に成り立つ状態をさす「アンチノミー」の提示である。カントは経験界を超越した領域で働く純粋理性は、こうしたアンチノミーに陥ることを証明することで、理性の欺瞞性を明らかにすることを試みたのである。
 石川氏は、アンチノミーの提示による理性批判の展開には、ヒュームによる因果律批判が関係していると主張する。カントの「独断のまどろみ」からの目覚めとヒュームの因果律批判には重なる部分があるのだという。

 2章では、カント哲学が形成された背景を歴史的な視点から検討がなされている。
 石川氏はカント哲学の土壌が培われた経緯の説明の一つとして、1764年のベルリン・アカデミーでの懸賞論文を挙げる。この懸賞論文でカントは、「定義不可能な根本概念と証明不可能な根本真理」の探求を哲学の主題として位置付けたとされる。石川氏によれば、こうしたカントの認識は、批判哲学をはじめとするカント哲学の根本的なテーマの出発点となったのだという。
 また、石川氏はカントのルソー受容に着目する。石川氏によれば、カントによる「ルソー体験」は哲学の目的にかんするカントの認識に大きな影響を及ぼしたのだという。カントはかつては哲学の目的を論理的な完全性としていたのに対し、ルソーに触れることで哲学の目的を人間の究極目的の完成に見出すようになったと石川氏は指摘する。カント哲学における「人格」の重視は、こうしたルソー経験によって培われたのだという。

 
 3章では、『純粋理性批判』でカントが提示した第一アンチノミーの解決について論じられている。
 『純粋理性批判』で提示された第一アンチノミーは世界の始まりと終わりに関するものであった。カントは、世界の始まり・終わりに関する2つの命題はともに偽であることを明らかにする。その上で、2つの命題が偽であるということは、両命題が前提とする事柄が不合理であることを意味するとし、世界の客観的条件として「時間・空間」を前提とすることはできないとした。そして、「時間・空間」は主観の性質であることを証明したのである。カントは時間・空間といった感性の形式によって認識できる現象と、その領域にない「物自体」の存在を明らかにしたのである。

 4章では、カントは人間の認識における「総合判断」がいかに成り立つと考えたのかについて説明がなされている。
 カントは、人間の総合判断は、感性による「直観」と悟性による「概念」の操作によって成り立つとする。空間・時間の形式により対象を知覚し、カテゴリーに即して対象を「概念」として捉えることによって総合判断が成り立つのだという。

 5章では、カントの自由や道徳法則をめぐる倫理学について議論が展開されている。
 石川氏によればカント哲学における人間は、時間・空間が支配する現象界に存在する感性的存在者としての側面と、時間・空間から開放された英知界に存在する理性的存在者としての側面があるという。人間の自由との関係でいえば、時間・空間の支配から免れた英知界に属する限りにおいて自然的因果にとらわれず生きることができるという。
 「厳格主義」とよばれるカントの倫理学も、こうした現象界・英知界との関係から説明される。カントの倫理学においては条件付きの仮言命法は退けられ、「定言命法」こそが道徳法則としてふさわしいとされる。自然法則とは異なる普遍的に共通する「道徳法則」に即して格率を客観化することがカントの倫理学においては理想とされるのである。

 6章では、『判断力批判』の内容の解説がなされている。

 7章では、カントによる宗教・理性・悪についての議論の説明がなされている。カントの宗教論には厳格さと寛容さの側面があったという点を石川氏は指摘している。

一行抜粋…ところが、常識的には真理や善のより所であるはずの理性が人間を欺く本性をもっているとすればどうであろうか。常識のレヴェルではともかく、少なくとも理性固有のテーマに関して理性が人間を欺くとしたら、しかももっともらしく欺くとしたら、それは一大事であろう。徐々に明らかになるように、カントが発見したのはそのような理性の欺瞞的本性であり、彼の理性批判はそのような理性を正す試みであった(16頁)。

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