『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』/篠原一
主題:我々が生きる「第二の近代」とはどんな時代か。「第二の近代」では従来の政治形態である議会制民主主義には限界が訪れる。その限界を突破するのが「討議デモクラシー」であると篠原氏は主張する。「討議デモクラシー」とは何か、その可能性について追及する。
第一章では本書のキーワードとなる「第二の近代」という語をより詳細に分析するために、「第一の近代」とされる時代、事象について確認する。
「第一の近代」は16世紀頃以降の西欧を中心に展開した時代区分、諸事象を指す。
「第一の近代」は具体的には「資本主義」「産業主義」「近代国家」「個人主義」からなる。
「資本主義」「産業主義」は産業革命を皮切りに顕著になった、資本の流通形態及び生産形態を指し、諸個人間の競争を介した利益追求を原型とする。「脱魔術」を念頭に置き、合理性や効率性が追及されるようになった。
「近代国家」「個人主義」とは近代以前の王権が打倒されるとともに、封建的身分から個人が解放されたことを指す。近代的な中央集権的支配が確立し、個人に対する権利侵害が防止される反面、規律訓練的な権力が個人の内部で働くようになることになる。
この「第一の近代」は啓蒙や成長を進め、人々の生活を中世以前に比べて大幅に変化させるようになった。しかし「第一の近代」における上記の4つの要素は、1960年代以降に反転的な形で弊害を生じさせるようになった。
1962年に出されたカーソンの「沈黙の春」は人間による自然支配の末路、1973年のローマクラブによる「成長の限界」は定量的に未来の地球の姿を明らかにした。両者に共通している点は、「第一の近代」の諸要素がもたらす弊害を正確に描写したということであった。
こうした「第一の近代」の弊害を明らかにした現象は社会運動にも表れた。
1960年代に活発になった社会運動は、従来の資源や富の配分を主張する運動とは異なり、良好な環境など「脱物質的価値」を志向するものが増え始めたという。こうした「脱物質的価値観」に基づいた社会運動は「新しい社会運動」と呼ばれ、「第一の近代」の限界を示すメルクマールであったとされている。
「第一の近代」の終焉により何が新たに生まれたか、ウルリッヒ・ベックらによって分析がなされている。
ベックは「第一の近代」において志向されていた諸価値が限界に達した帰結として「リスク社会」が到来することを主張した。近代社会は志向する価値の内部に「リスク」を孕んでおり、それらは伝統的手法では解決することができないという。
このような「第一の近代」に志向された価値が内部から反転し、伝統的手法が枯渇した時代として「第二の近代」が提唱される。二章以降で更なる検討が進められている。
第二章では「第二の近代」にて起きた諸事象について論じられている。
一つが「サブ政治」と呼ばれる変化である。社会的課題が複雑化・多様化することで、「政治」と「非政治」の境界が曖昧になっていったという。その帰結としてNPOなどの自発的結社を始めとするような政治参加の形が頻繁に見受けられるようになった。地域特有の課題に対峙する場合なども含め、こうした「サブ政治」の台頭は「第二の近代」特有であるという。
また上述した「新しい社会運動」も一つである。「新しい社会運動」の意義は、隠れていた社会問題を可視化することや参加者が自己実現を行うことができるという点にあるという。
「グローバリゼーション」もまた「第二の近代」における現象であり、「グローバリゼーション」はそれ自体のみならず他の要因をも導くことになった。それが「多文化主義」の現れである。国境間移動が活発化することで、文化間における「差異の承認」や「文化の共生」が求められる時代こそが「第二の近代」なのである。
第三章では「市民社会論」についてこれまでの議論の整理と「討議デモクラシー」について説明するための準備がなされる。
アダムスミスやヘーゲルの時代の「市民社会」とは経済活動が行なわれる市場を指し、私的利益が追及される場として「市民社会」が用いられていた。そのため当時は「市民社会」という語が用いられる際は、政治的領域と「市民社会」の2領域に分けられることを前提としていたという。
しかし市場の媒介項である「貨幣」が力を増していき、個人の生活領域である「生活世界」を「植民地化」し、他方で権力を媒介項とする政治の領域もまた「植民地化」が進むようになることで、2領域に分けて「市民社会」を考える視点が通用しなくなる。
すなわち「植民地化」が進むことで、社会運動やNPO、自発的結社が活発に行なわれるようになるのである。そうした領域こそが「市民社会」であり、3領域で考える視点が登場することになるという。
またハーバーマスが「公共性の構造転換」以降で行った議論は「新しい市民社会」の契機となるものであり、そこに「討議デモクラシー」の萌芽が存在していたという。
「討議デモクラシー」とは十分な情報が公開されたうえで、平等な私人の間で議論が交わされることによって、諸個人が有していた政治的意識や意見が変容を遂げ、政治過程に影響を及ぼすというデモクラシーの考え方である。「討議デモクラシー」については5章で更なる検討が加えられている。
四章ではポピュリズムやサイレント保守など、政治的場面にて見受けられる今日的な形態について論じられている。
五章は「討議デモクラシー」について、その内容や実践例が紹介されている。
ジョン・ドライゼックらによる「討議デモクラシー」の論の展開は「二回路制デモクラシー」を大前提とする。「二回路制デモクラシー」とは、市民の間で議論を交わし、意見や立場の変容が行なわれる第一の回路を経た上で、議会制の手続に基づき政治に参加する第二の回路を通過することでデモクラシーが成立するという見方である。「討議デモクラシー」はこの「二回路」という側面を重視しているという。
また篠原氏は「討議デモクラシー」の条件として「情報の公開」「意見の変容」「規模の小ささ」を挙げている。これらが満たされることで「討議デモクラシー」が機能するという。
そして「討議デモクラシー」の実践例として「討議型世論調査」や「コンセンサス会議」が紹介されている。
一行抜粋…一つの回路は法治国家によって制定された制度的プロセスであり第2の回路は市民社会の中での非制度的、非形式的な意見形成のプロセスであり、両者は相互に依存し、また規制しあっている。そして第二の回路にとって重要なことは「発見」であり、第一の回路のそれが「議決」であるのと決定的に異なる。市民社会の討議は、鋭い感受性で問題を発見することに意義があるのである。