菊地夏野『日本のポストフェミニズム 「女子力」とネオリベラリズム』(大月書店、2019年)

主題…フェミニズムとネオリベラリズムはいかなる関係にあるのか。また日本の「ポストフェミニズム」とはいかなる状況を指すのか。理論的・実践的な視点から「ネオリベラル・ジェンダー秩序」がいかに編成されるのかを明らかにする。

 1章では、ジェンダーとセクシュアリティの視点から新自由主義を分析するための視座の提供がなされている。
 菊地氏は新自由主義の特徴をまとめた上で、ミシェル・フーコーの「新自由主義統治論」を取り上げる。フーコーの統治論では、新自由主義は市場と統治の関係を変転させるものとして位置付けられている。さらに菊地氏は、フーコーが新自由主義を論じるにあたり、新自由主義があらゆる個人を経済的主体とさせる点を強調したことに触れる。フーコーの着眼点に基づくと結婚や子育てといった行為もまた経済主義的なものとなることに鑑みて、菊地氏はフーコーが焦点を当てなかった新自由主義とジェンダーやセクシュアリティの関係をより精緻に明かす必要があるとしている。
 菊地氏はデイヴィッド・ハーヴェイの議論を取り上げて、「新保守主義」と新自由主義の関係を整理する。さらにその上で、ジェンダーの視点から新自由主義を論じたナンシー・フレイザーの「社会的再生産論」を紹介している。フレイザーの社会的生産論によれば、資本主義の形態が発展するにつれて社会的再生産のあり方も同様に変化するという。そして、現代の新自由主義的な資本主義の下では抑圧的なジェンダー秩序が形成されているのだという。さらに菊地氏はフレイザーによる第2派フェミニズムと新自由主義の共犯関係を説く議論を取り上げ、新自由主義・新保守主義の線引きの複雑さとそれらによって形成される「ネオリベラル・ジェンダー秩序」の精緻化の必要性を主張している。

 2章では、日本における「ネオリベラル・ジェンダー秩序」とはいかなるものか、国内の法政策の問題点に触れながらジェンダーの視点から検討する。
 菊地氏は日本におけるジェンダー秩序を形成する立法として、男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法、女性活躍推進法を挙げる。第一に、男女雇用機会均等法については、「コース別雇用」を禁止していない点に問題があるとしている。直接的な性差による雇用を禁止しているものの、一般職・総合職という区分による雇用の管理を認めていることから、同法は出産・育児と親和的な一般職と、転勤が多く責任が重い総合職という区別によって性別役割分業を正当化する側面が強いのだという。第二に、男女共同参画社会基本法については、男性と女性の参画が社会を形成するという二元論に基づいており「2人稼ぎ手モデル」を肯定する点に問題があるのだという。第三に、女性活躍推進法については、男性並みの職業生活を営む意欲のある女性のみを対象としており、同法が描く女性のあり方は自らの資本によって生産性を高める新自由主義的な経済主体を体現していると菊地氏は指摘している。
 以上の検討から菊地氏は、市場における自由を尊重する新自由主義は女性の自由や平等を保障するものではなく、むしろ抑圧的な制度・構造を温存させる側面があると結論づけている。

 3章では、2000年代以降に議論が交わされている「ポストフェミニズム」論を踏まえ、日本におけるポストフェミニズムの状況分析
なされている。
 ポストフェミニズムとは70年代以降のフェミニズム運動の成果に関する議論である。菊地氏はポストフェミニズムにかんする一連の議論を取り上げた上で、フェミニズム自体に統一的な評価がなされているわけでもないことから、ポストフェミニズムの定義も論者によって多様であるとしている。
 日本の場合、フェミニズム運動の活況に先駆けて一連の法制定がなされたことから、性差別の撤廃が実現したという装いが運動に先行してしまったとされている。また、日本では「女性の社会進出」がメディアによる言説レベルで拡大したことで、可視化されていない女性への差別が温存される傾向にあるという。実際に、古典的な女性性を自発的に培うことを煽る「女子力」や「婚活」といった言葉が一般化していることからも、日本特有のポストフェミニズム的な状況が現れているという。

 4章では、日本におけるポストフェミニズム的なジェンダー秩序の編成の例として、「女子力」という言葉の一般化について分析がなされている。
 菊地氏は「女子力」という言葉の使用方法や言葉の印象などにかんするアンケート調査を踏まえ、「女子力」という言葉が何を意味しているか検討する。菊地氏によれば、アンケート調査を踏まえると、「女子力」は主に女性のコミュニケーションのあり方や振る舞いにかんする能力として認識されているという。また、「女子力」は生まれながらの女性らしさではなく、家事能力や美といった後天的に自らの努力によって管理する女性らしさを示す言葉として用いられているという。そのほかにも、「女子力」は主に20代の若い女性に対して使われる点や男性との関係が意識されているといった点から、「女子力」という言葉は従来のジェンダー規範の延長上にありつつ、新たなジェンダー秩序の編成を体現する言葉であると菊地氏は結論づけている。

 5章では、2011年に行われた「女子デモ」の経緯をもとにストリートにおけるジェンダーのあり方について検討がなされている。ここでは「女子デモ」の開催にあたって、「女子」の表象をめぐる葛藤が指摘され、日本社会におけるフェミニズムの複雑な位置付けについて問題提起がなされている。

 6章では、ジェンダー・セクシュアリティの視点から「慰安婦」問題の検討がなされている。
 菊地氏は「慰安婦」問題とヘイトスピーチの関係、及びポストコロニアル・フェミニズムといった基本的論点に触れた上で、現代のネオリベラルジェンダー秩序と「慰安婦」問題について論じている。菊地氏によれば、フェミニズムの立場から「慰安婦」問題を議論する上で重要なのが、「愛国女子」の表象であるという。今日、「愛国女子」の表象から問題の矮小化を図る言説が現れていることからも、「慰安婦」問題における「愛国女子」という論点への批判的検討を続ける必要があると菊地氏は主張している。

一行抜粋…最終的には、現在の文化や社会的言説に漂うポストフェミニズムを、「ネオリベラル・ジェンダー秩序」として再構成し、社会経済の制度的次元とともに批判的思考の対象とする必要がある。フェミニズムの役割が曖昧になっている現在、改めて、何が女性を抑圧しているのか、ジェンダーとセクシュアリティの秩序を形成している仕組みを言語化しなければフェミニズムの必要性も見えてこないのである(190頁)。

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