道徳教育の歴史を千字ぐらいで解説。
道徳教育には大きく分けると二つの考え方があります。
①道徳は普段の生活や授業の中で十分に教えられるという考え方
②道徳はそのために一コマの時間を設けて教えるべきだという考え方
①のことを全面主義、②のことを特設主義といいます。
では、日本はどちらの立場をとっているのかというと現在では両方の立場を取り入れているということが出来ます。ここでは、便宜上、戦後に絞って話を進めていきます。
戦後の日本の道徳教育は、最初、全面主義を採用します。これは「修身科」が戦争の片棒を担いだことへの反動もあります。道徳教育の役割は、道徳の全面主義と社会科が担っていくことになります。
しかし、様々な子どもの問題行動が取りざたされるようになってくると、社会科と全面主義だけでは現状に対応できていないと言われるようになってきました。
そこで、1958年に道徳科の時間が特設されます。つまり、日本はここで、特設主義を取り入れることを決定します。自由民主主義的な価値観から見ると、国が望ましい価値を押し付けるものであるように見えるため、「逆コース」と呼ばれたりしました。
ここでの特設は時間として週一回、年35時間が教育課程の中に確保されることになりました。
しかし、そこで以下のような問題が起きました。
・気持ちばかりを聞いているだけの授業になっている。
・ただの生活経験の話し合いに終始した授業になっている
・「がんこちゃん」等のテレビを見て終わり。
・そもそも道徳の時間の授業をしておらず、別の教科に振り替えられてしまっている。
多くの方にとって道徳の時間のイメージはこのようなものだと思います。僕が子どものころに受けた?道徳の時間もこんな感じだったように思います。
道徳の時間はこのような量的な課題と質的な課題を抱えることになります。
そのような状況の中、大津のいじめ事件をきっかけに道徳を特別の教科道徳を新たに創設することになりました。つまり、特設主義をより強化してく方向性を採用したことになります。
特別の教科道徳になったことにより、
・教科書が作られる。(ということは道徳をしなければ、未履修という問題が起きてしまう。どうせするなら良い授業にしたい。)
・評価の導入(評価をする以上、授業をしなければ評価はできない。)
以上の二つにより、量的確保と質的転換を狙うことになります。
しかし、学習指導要領総則には
学校における道徳教育は,特別の教科である道徳(以下「道徳科」とい
う。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり,
とあるため、全面主義のスタンスも踏襲しているということを忘れてはいけません。
なので、現在のスタンスとしては、
道徳は、一時間の良い授業をしっかりと積み重ねて、しかも、普段の生活指導や道徳以外の学習指導の時も含めて指導していきましょう。
といった感じになりそうです。
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