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「北鎮記念館」を訪ねた…っけ

早朝、強い風で目が覚めた…そして、ふと壁に吊されたカレンダーの夜景写真に眼が行った…尾道かぁ…。
行ったことがあるはずだけど、こんなに素敵な風景だったかな?
と失礼ながら思うと同時に私の頭には
北海道旭川にある「北鎮記念館」を訪ねたことが思い浮かんだ…。
人の頭の中って不思議なもんだ…。

今から10年は経たない秋口だったかな…、釧路の親への顔見せ序の道内旅行で札幌→旭川→新得→釧路という旅程を立てた。
旭川は、「北鎮記念館」
新得は、国鉄時代の鉄路「大カーブ」
繋ぎの交通手段は 「都市間バス」
この頃、既に根室本線「幾寅↔新得」間の鉄道は台風被害で止まっていた。
メインは「北鎮記念館」
祖父が日露戦争で出兵した時の第七師団の跡地でもあるはずで…「203高地の戦い」の後の補充兵として乃木軍に従軍し旅順~奉天会戦に参加したと聞いている。
何で北鎮記念館訪問を思い立ったのか?
その年に経験した入院中にテレビで「坂の上の雲」の再放送を観たことだと思う。

さて、旭川駅から私は歩きました。
3キロちょっと…このくらい歩かなきゃ申し訳ないような気持ちが湧いて…
釧路より一回り小さなロータリー交差路を抜けて昔風の頑丈そうな「旭橋」を渡って…けっして大きくはない記念館に到着しました…。
たった一人をガイドしてくれた背の高いガッチリした方がたいへん丁寧に対応して下さいました。確か、千葉から来たことに加え、祖父の従軍の話をしたからかも知れません。
2時間近くでしょうか?
気持ちのこもったお話でした。
国土国民のために命を賭けた兵士へのリスペクトと自らの誇りをも感じさせました。
終了して彼が事務所に入って行かれた時に
「お疲れさん、倍もやっちゃったなぁー」
と、どなたかの大きな声が聞こえてきました。
私がいくつか質問したりしたからかなぁー
あぁ、申し訳ないことしちゃったのかな…とちょっと微妙な気持ちになりました。
ガイドしてくれた方は、嫌な顔を見せないどころか…アッツ島やキスカ島の話をされた時など何かの訳をお持ちなのでしょうか、眼を潤ませていたように感じたものでしたが…。
しかし、お陰様で私としてはお祖父ちゃんに会いに行ってきたような…一区切りつけられた旅となりました。
帰路途中でお昼ご飯に何となーく入ってみたのが「みづの」 さん…、
初めての「生姜ラーメン」
美味しかったです!

尾道→旭川を繋いだ記憶回路については、今も解明出来てはいません m(_ _)m

※ 写真は、祖父の従軍徽章です。



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