修道女たち
「信じる」ってどういうことだろう。
お互いを信じる、ということが、「相手が自分を信じていることを信じること」ならば、信仰って何だろう。
「神はわたしを信じている」、を信じる、ということだろうか。
そもそも神は外部の存在なのか。それとも己の中にいるものなのか。
迫害されている、とある宗教の修道女の物語。
以前は敬虔な信者が多かった宗教の修道女らは、突然の国王の手のひら返しで魔女狩り的な扱いを受けるようになる。
でも、修道女たちは、信仰を捨てない。かっるーーい「悔い改めます」を繰り返し、「俗」をなんとか否定しながら「聖」なる生を貫こうとする。それでも抱えてしまう業は多い。様々な形の俗世的な禁断の愛しかり、憎しみしかり。しかたないよね、人間だもの、と言いたくなる。ちょっとした愚かさが、人間を人間らしくさせる気がする。
「何故他の修道女たちが迫害の末に毒殺されたのに、自分たちは生きているのか。」
そんな悩みの中、彼女らは究極の決断に迫られる。宗教の世界に生きていない人々の「パンとワイン」を、どこまで信じ抜くのか。神をどこまで信じるか。聖女は俗世を丸ごと引き受けられるのか。
こんな風に書いてしまうと、重った苦しい芝居のようですが、いやいやそこはケラさんです。ちょっぴり愚かな過ちも、優柔不断さも、全て愛すべき人間くささになさっています。
大好きな彼女のため、どうしても戦場から生きて帰りたかったが故に、戦地という究極の場で、血まみれの決断をくだし、それが故に動けなくなってしまったテオの業に、涙。
みんな優しくて、みんな切ない。
鈴木杏ちゃん、ヤバイ。アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)の魔女呼ばわりは、自分に近すぎて心臓が痛い。途中の「憑依」は、さらにヤバイ。圧巻。
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