【敦賀とは】 何の前情報もなく訪れた敦賀が果てしなく最高だったこと (Part 1)
友人からの薮からスティック(古)な声掛けは、2ヶ月前のことでした。大阪遠征の翌日に、ということでした。
ふぐ好き。敦賀行ったことない。これは乗らない手はない。二つ返事でOKしました。そしてあっという間に当日です。
大阪から敦賀は、「サンダーバード」で2時間弱。おしゃべりしていたらあっちゅーま。
でもね、告白していいですか。敦賀について何も調べないままだったのです。ごめんよ敦賀… でもネットにも情報無かったんよ…
よって、ふぐ食べて日本海にご挨拶して、気比神社にご挨拶できればいいか、くらいの気持ちで駅構内の観光案内所へ行ったらば。
… 大好物の情報がありすぎ… 特にここ!
松本零士って、福井出身だったっけ?
ってそうか、ここは金ケ崎の退き口の地じゃないか!そりゃ行かないわけにはいきません。
時間があまり無いので、タクシーで。車内で松本零士について尋ねると、タクシーのお姉さんはかぶせ気味に言いました。
全然関係ない
あーーーーっはっっはっは。了解です。調べてみたら、松本零士は福岡出身。「福」繋がりか?!
ひと笑いしていたら、あっという間に金崎宮。
言い伝えでは、小豆の袋の両端を縛り、浅井浅倉勢が挟み撃ちを計画している、と浅井に嫁いだお市ちゃんが信長勢に伝えた、とされています。後世の創作とも言われているこのエピソード、「どうする家康」では、お市ちゃんの侍女、小豆メロスちゃんが走りに走ってピンチを家康に伝えていました。
その金ケ崎宮には、両縛りの小豆袋のお守りが販売されておりましたw
普通のお守りの5倍くらいはあるかしら。
大きいのには理由があるのです。難関に立ち向かわねばならぬ時、これをぎゅっと握って難関ストレスを和らげるのだそうな。お守り握り込むとか、新鮮…
そういや、金ケ崎の退き口エピ、麒麟ではどう描かれてたっけ?
金ケ崎について全然書いてないw
かなり端折って描かれたってことかしら… 若干記憶があやふやです。
その後、お目当てのふぐ。美味しかった…
当然フグ雑炊まで堪能し(写真全然ない!笑)腹ごなしに、すぐ近くの気比神社へ。
気持ちが良すぎて、酒盃を買ってしまいました。
そこから、ちょいと歩いて晴明神社。安倍晴明が修行をした場所。覗いたら、中へお入り、と声をかけて下さいました。
実はここ、境内が開いていることがレアなのだそうです。中には、晴明ゆかりのパワースポットとして祀られている祈念石があり、投げ入れたお賽銭がその石に乗っかれば願いが叶う、とのこと。
そんなことを言われたら、やらずにはおられません←
精神集中していたら、背後から声が聞こえます。
「真剣な悩みの時はちゃんと乗るからねー」
… 布石?
結果はご想像にお任せしますw
ついでに近くの敦賀城跡へ。こんなに大谷刑部関連の場所へ行くことは、もうあるまいよ…
さて、そろそろ電車の時間です。
が、ここから駅へ戻る間にも、ドラマチックがあったのです。
明日に続く…
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