取り返しのつかないことを取り返してしまったら
取り返しのつかないことの10や20、余裕である。
ちょっとしたはずみでの行き違いとか、言うべきでないことを言ってしまったとか。
考えなしでやったことが、人をとても傷つけてしまったとか。
10代の間ずっと、わたしは髪を伸ばしていた。
大学に入りたての頃も、そのまま伸ばしていた。切りたい思いもあったけれど、貧乏学生としては美容院代がなかなか出せず、伸びるがままにしていた、というのが真相だ。
20歳になった年、成人式に行かないまでも、成人式らしい写真を撮ったらどうか、と母が提案した。
19歳で来日したわたしにとって、知り合いが一人もいない成人式なんて苦行にしか思えず、式には出ないと早々に宣言していた。大概のことはどうでもいいが、頑固になった途端、てこでも考えを変えないところがあるわたしの性格を察してか、式に出ないことに対しては、母も何も言わなかった。でも、内心は残念がっていたのだろう。それで写真を提案された。
それは何とも思わなかったので、OKした。カレンダーにも書き入れた。
撮影の数日前に、友人からカットモデルの話がきた。カットモデルというものの存在を初めて知ったわたしは、興味本意で、西武線椎名町駅にある営業後の美容院に出向いた。
そこで、ぶわっさりと、何も考えずに、髪を切った。前髪は、ちょっとおしゃれなざんぎり風になった。
身軽に帰宅したわたしの髪を見た母は、絶句してから、泣いた。
その時初めて、わたしは取り返しのつかないことをしたのだ、と気付いた。
母は、長い髪を結い上げた写真を撮りたかったのだ。
わざと撮影前に切ったわけではなかった。狙ってもいなかった。ただただ、考えが及ばなかったのだ。
母は、わたしの行為を、やりたくないことをやらせられたことへの報復と捉えたのだろう。
言い訳もさせて貰えなかった。いや、言い訳も言えないくらい、母のリアクションに、わたしはただただ愕然としていた。
当日も、情けない気持ちで一杯だったけれど、撮影スタジオの美容師さんは、カツラなどを駆使して、きちんとした写真になるように仕上げてくれた。
その時撮った写真は、今も実家に飾ってある。
取り返しのつかなかったことを話してしまうと、軽々な贖罪となってしまいやしないか。そんなに簡単に許しを求めていいのか。
ましてやエッセイのネタにしてしまうなんて。
でも、そんな風に抱え込んでいたものを、最近少しずつ手放したいな、と思うようになってきた。
取り返しのつかないことを、取り返してしまってもいいのではないか。そうやって少しずつ許しても、いいのではないか。
笑い話にすらならないくらい、ほんの小さな傷だったってことも、あっていいんじゃないか。
雨の季節は、思考も洗い流してくれるのかな。
写真は、取り返しのつかないものだけど、あっちゅー間に取り返してしまった、パイン入り大福!!