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ハワイの12月7日は、かつて「日本人を引っ叩く日」だった
高校同級生の結婚式に参列するため、11月に人生初のハワイに行ってきました。
「ハワイでは日本語が通じるよ」と聞いていた通り、泊まったホテルの1階にはローソンあるわ、ビーチにはインスタ映えスポットが紹介されているわ、長崎ちゃんぽんのリンガーハットあるわと、「あれ、海渡ってきたんだっけ…」と何度も思うほどの快適さでした。夜ご飯食べ終わった後もショッピングセンター開いているので、特に買い物目当ての女子旅にはよさげ。
一方、ハワイは歴史の教科書でも出てくる通り1941年12月7日(日本時間12月8日未明)、日本軍がアメリカ軍の真珠湾基地(パールハーバー、Pearl Harbor)を奇襲し、太平洋戦争の引き金となった場所でもあります。
かつて「敵国」だったアメリカは、この史実を自分たちの国民にどう伝えているのか。旅の最終日に現場に行ってみました。
日本の攻撃で沈没したままの潜水艦
まず、朝6時過ぎに繁華街があるワイキキビーチにあるホテル前でピックアップしてもらいます。軍用施設だけあって、荷物はお財布ぐらいのサイズ以外のものは持ち込めません(写真)
車を走らせること30分弱。
あっという間に軍用地に入り「アリゾナ記念館」に到着しました。ここは1941年12月7日、日本軍の奇襲攻撃で亡くなった戦艦「アリゾナ」が沈んでいて、その上に慰霊施設が建っています。1年半の改装を経て今年9月からまたオープンしているとのことです。
(戦艦を横にまたぐようにして慰霊施設が建っている)
慰霊施設には、ボートに乗って向かいますが、乗船場の近くには日本軍の歴史を紹介する施設があり、そして乗船前には必ず25分間の映像を見ます。
映像では、
「日本軍がなぜ、パールハーバーを攻撃するに至ったのか、そして私たちアメリカの英雄たちはどう守ったのか。ご覧ください」。
との米海軍姿の女性が冒頭であいさつする映像から始まり、日本の満州国建国といった歴史が映像で紹介。そして12月7日の真珠湾攻撃の様子は、1時間刻みで、再現VTRとともに克明に解説されていました。
個人的には「奇襲をかけた日本の不公平な攻撃」といった批判的な表現はなかったように思いますし、淡々と史実を説明しているなという印象でした。
映像を見終わった跡は、慰霊施設に向かいます。
船からは重油がまだ流れ出し、ツーンとした匂いが鼻につきます。
驚いたのは、この攻撃で死亡した1177人の乗組員のうち1000人近くが船内にまだ眠っており、この戦艦が墓地の役割も果たしているということでした。
船が沈没した時、日本では亡くなっていることが明らかになっていたとしても、遺体を海から引き揚げようと試みることがほとんどかと思います。
遺体に対する文化の違いだなと感じました。
神風特攻隊が突っ込んだ跡
次に向かったのは戦艦「ミズーリ」記念館です。
この戦艦は、今は退役し記念館としてパールハーバーに停泊していますが、1945年の終戦時には東京湾まで来ていて、9月2日にはこの船の甲板で日本軍の降伏文書調印式が行われました。
その甲板上、調印が行われた場所から約30メートルほど離れた船のへりには、実は神風特攻隊が突撃した跡が残されています。
この写真の右側に映るへこみが特攻隊による攻撃の跡です。
調印式が行われる約半年前の1945年4月12日、沖縄戦に参戦していたこの戦艦ミズーリに1機の特攻隊が突撃。機体が甲板にたどり着いたとき、パイロットの上半身が機体に残っており、米軍による水葬が行われたそうです。
へこみは「修復するまでもない被害」だったといい、太平洋戦争後に行われた朝鮮戦争やベトナム戦争でも、この戦艦は現役で戦いましたが、直すことすらないまま、そのまま使われていたそうです。
甲板上には、米軍が水葬したことについてやパイロットが誰だったのか、戦後日米が共同で行った追跡調査についての記述がありました。
12月7日は「Slap a Jap day(日本人をひっぱたく日)」だった
戦艦ミズーリ記念館の女性職員に聞くと、来館者の国籍はほとんどがアメリカ人。日本人は全体の1〜2割だそうです。
10年ほど前は、戦争当時現役で戦った元日本軍の兵士も訪れていたそうですが、今ではまったく見かけなくなったそうです。
全体の来館者数も年々減ってきているといい、日米ともに、かの戦争への関心が徐々に低くなってきているのかもしれません。
ツアーを通して案内してくれたガイドの日本人男性(63)は母親がハワイの日系移民だったことから、幼い頃からハワイと日本を行ったり来たりする生活をしていたそうなのですが、彼が小学生の頃、12月7日、つまり真珠湾攻撃があったその日は”Slap a Jap day(日本人を引っ叩いても良い日)”と呼ばれていたそうです。
もちろん実際にされたことはなかったそうですし、今ではそんなことを公の場で口にしたら完全にNGだそうですが、ほんの数十年前まではそうしたことが言われていたとは今の牧歌的な雰囲気からはとてもではありませんが想像がつきませんでした。
決して平和ではない歴史をたどり、今の身近なハワイがあるのだと思いました。