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無職の嘆き①~世代論とZ世代(批判から学びへ)~

 私が学生だった頃、「ゆとり世代」という言葉がニュースや特集番組で頻繁に取り上げられていたのを覚えている。「ゆとり世代は使えない」「指示待ち人間ばかり」「競争心が足りない」と言った批判が繰り返され、そのたびに感じたのは、私たちをそのように育てた大人たちが、その子供たちを非難しているという皮肉だった。最近では「ゆとり世代」という言葉を殆ど聞かなくなり、代わりに「Z世代」という新しいラベルが話題に上がっている。

Ⅰ世代論を否定することは出来ない

 
世代ごとにラベリングするのは馬鹿げているように感じてしまうが、世代ごとに価値観や傾向があるのは否定できない。僕たちは環境の産物であり、時代に左右されて生きている。誰もがその時代の風に吹かれ、その風がどんなものかによって、生き方が変わる。戦後の貧しい時代に生まれた人たちが、節約と我慢を美徳とする傾向が強いのは理解できる。高度経済成長期に育った人の多くが「努力すれば豊かになれる」という希望を信じたのも、彼らにとっては自然だったのだろう。

Ⅱどの世代にもダメなところはあるし、良いところもある

 バブル世代は派手に馬鹿なことを楽しんだ。高級車に乗り、ブランド品を次々に買い、贅沢を謳歌していたという。その生き方は、今の私たちから見れば滑稽に思えるが、彼らの楽観的な精神や柔軟な発想は、今でも鮮やかに輝いている。一方、氷河期世代は厳しい就職難に直面し、生き残るために戦い続けた。その強さやサバイバル術には、学ぶべきことが多い。しかし、その強さが時に後の世代を追い詰めてしまったのも事実だ。彼らの「仕事へのストイックさ」は、ゆとり世代を苦しめたのだ。
 さて、ゆとり世代はというと、最初は競争に馴染めず、社会に適応できなかったのかもしれない。それでも彼らなりの方法で生き延び、「心が弱い」や「指示待ち人間」等と揶揄されていたのが、今となってはまるで嘘かのようだ。あの頃の批判が霞んでしまうほど、彼らは今や立派な社会人としての顔を持っている。そして今、Z世代が新たな価値観を築き上げている。彼らはゆとり世代以上に自由で、テクノロジーを駆使して、より生きやすい世界を目指している。もちろん、彼らにもダメなところはある。しかし、それと同時に新しい未来を築く力を持っているのだ。各世代には、ダメな部分がある一方で、素晴らしい可能性も秘めているのだ。

Ⅲ問題は世代を、ただ批判の対象としていること

 
世代論における最大の問題は、分析的な視点を欠き、単なる批判に終始しがちな点である。団塊世代の人やバブル世代は若者に対して「努力不足」や「価値観の違い」を指摘することが多いが、一方で若者たちも年長者を「時代遅れ」と嘲笑する。このような単純な批判の応酬では、世代間の理解が深まることはない。
 さらに言えば、これらの指摘は一方的でしかない。若者の中には「どの世代にも負けないくらい努力をしている人」だって大勢いるし、年長者の中にも「新しい考え方」に寄り添ってくれる人はたくさんいる。単にラベリングして決めつけることは、お互いに閉塞感をもたらすだけだ。

 重要なのは、各世代の背景を理解し、世代ごとの強みや弱みを共有し、互いに学び合う事だと思う。世代論は、批判やラベル貼りのための道具ではなく、時代の流れを理解し、異なる世代が共に歩むための手がかりであるべきだ。


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