修道院古代薬局の香水 3 サンタ・マリア・ノヴェッラ 歴史香水マレッシャラの謎
○優雅で暗いオークモスの魔法
サンタ・マリア・ノヴェッラの香りの中でも際立って異質な存在。それがマレッシャラだろう。
Maresciallaとはイタリア語で元帥の意。後述するが1800年代ヨーロッパではMaréchal de Franceの香りが大流行していた様子がうかがえる。
独自の調合レシピは1800年代のものであり、ナツメグとハーブがスパイシーなトップノートがドライなオークモスが美しい甘みのあるウッディローズノートに溶け合うフレグランスとなる。古い朽ち落ちそうな木造の修道院や貴族の館のような暗く湿った香り。似た香りはあなたのまず無かろう、唯一無二の香りだ。
2015 年春からヨーロッパのオークモス使用規制ができ、より使いやすいソーピーなハーバルコロン風に調整された。オークモスは目立たない。
この調香レシピは、フランスの元帥の妻・ダウモント伯爵夫人が “poudre Profumata" (香りのパウダー)”として考案したもので、彼女はこのフレグランスを、手袋を薫らせるために使っていた、元帥夫人は黒魔術に手を染め火刑された伝説が残ると公式サイトの商品紹介にある。
さて、フランス元帥ダウモント伯爵夫人とはどの様な人物だろうか。アンリ4世妃としてフランスに嫁いだマリ・ド・メディシスは薬草学に長けており、自ら香水の調香をしたが、彼女やセヴィニエ候爵夫人のような高度教育を受けた女性はまだ稀であった。
マレッシャラの香りはルイ14世が愛用したオレンジフラワー香水やハンガリーウォーターと並びアンシャン・レジーム期のフランス宮廷人の定番香水だったようだ。
○ダウモント家
ダウモント家は1200年代よりフランス北部ピカルディ地区を治めていた古い家柄の貴族。
1579年、ダウモント伯爵はフランス元帥に抜擢。国王の信頼を得、アンリ2世の統治下より代々フランス元帥として活躍した。
ジャン6世の孫にあたるアントワーヌの代にダウモント家は公爵家に格上げされた。アントワーヌはルイ13世の私設警備隊(Garde du corps du roi)の隊長に抜擢され、フランス元帥としても活躍した。
第6代ダウモント公爵ルイ・マリー・オーギュスティン (Louis Marie Augustin d'Aumont, 1723年-1782年)とその夫人マザラン女公ルイーズ・ジャンヌ・ド・デュルフォール(Louise Jeanne de Durfort, 1735年 - 1781年)の代にダウモント家は最盛期を迎えた。代々続くダウモント家の莫大な資産と領地に加え、妻のマザラン女公は祖先マザラン枢機卿から多くの貴族称号、領地と美術コレクションを相続した。
1777年、モナコ公子オノレ4世はダウモント家の資産目的にオーギュスティン夫妻の娘ルイーズと結婚。3人の子を授かるがすぐに別居(一人は非嫡出子) 。ルイーズはモナコ公妃の地位を捨て1797年に子供を連れて離婚。次男フロレスタンが後継ぎのシャルル3世を残したことにより、今日も残るモナコ公国統治者一族グリマルディ家はダウモント公爵家の末裔だ。
オーギュスティンは家具や壺などの工芸美術を好み、彼のコレクションの一部はルイ16世夫妻により購入され、王妃マリー・アントワネットは実際に数点の家具を私的に使用していた。妻のマザラン女公は絵画を好み、夫妻がコレクションした膨大な美術品は現在もルーブル博物館やメトロポリタン美術館に展示されている。
ルイ・アレクサンドラ・セレスト・ダウモント (Louis Alexandre Céleste, duc d'Aumont et de Villequier. 1736年 - 1814年) はフランス革命時にルイ16世一家のパリ脱出(ヴァレンヌ事件)を手助けした後、第9代ダウモント公爵となる息子ルイ・アレクサンドラと共にイギリスに亡命。王政復古後は親子代々貴族院議員として活躍した。
ちなみに、ルイ・アレクサンドラは4頭立て馬車の御者台に人を置かず、それぞれの馬に4人の人物が騎乗し馬車を動かすスタイルをフランスに持ち込み、このスタイルはア・ラ・ダウモント(A’la d'Aumont)と呼ばれている。
10代ダウモント公爵ルイ・マリー・ジョセフ・ダウモント(Louis Marie Joseph d'Aumont 1809年 - 1888年)を最後に直系家系は途絶えている。
ダウモント公爵家は香水が作られた当時は既にヴェルサイユ宮廷にて確固たる地位を確立した屈指の名門貴族なのだ。
○オリジナル調香レシピは存在したか
1669年、Duchesse d'Aumontの手により現在のマレッシャラの元となるオー・ア・ラ・マレッシャラ(Eau á La Maréchale, 元帥夫人風ウォーター)は誕生した。
当時のオリジナルレシピに含まれていた香料はアイリス、コリアンダー、クローブ、オリスルート、ハマスゲ(カヤツリグサ科の多年草。海辺や河原に生え、高さ20~30センチ。葉は堅く、線形。夏から秋、茎の頂に細い苞(ほう)を数枚つけ、その中心から穂を出す。塊根を漢方では香附子「こうぶし」という)など。この香りはヴェルサイユにて流行した香水のひとつとして文献に残されている。
この香りは髪粉用やサシェ用の粉末香料 プードル・ア・ラ・マレッシャラ(Poudre à la Maréchale)しても制作され、フランス宮廷人気の香りとなった。プードルの構成はローズ、エレカンパン、ベチバー、アイリス、クローブ、バイオレット、オレンジ、ラベンダー、マジョラムなどだ。
髪粉は顔用の白粉と同じく小麦粉や米粉やタルク主成分だったが多量の香料を加え使用していた 。当時の液体香水のオリジナルレシピのアーカイブは残念ながら保存されていないと言われている。
1850年代にマレッシャラが再流行した際には香水会社は各自プードル・ア・ラ・マレッシャラをアレンジした香りを発売した。
下記はロイヤルクラウンパルファムのレシピ。
なんと、ゲランもこの時代にマレッシャラを販売している。
サンタ・マリア・ノヴェッラのオリジナルレシピもこの時代のものであろう。大手メゾンが3社も発売した記録が残る香り、星の数ほど存在した当時の小さな香水メゾンも製作したのだろう。
○元帥夫人は火刑になったか?
この火炎法廷に消えたと噂される元帥夫人は、カトリーヌ・スカロン・ド・ヴォーレス(Catherine Scaron de Vaures,1615年 - 1691年11月26日)だ。作家ポール・スカロンの姪である。ルイ14世と秘密結婚したスカロン未亡人のマントノン候爵夫人は義理の叔母に当たる。カトリーヌはリヨン出身の議員ジャン・バティスト・スカロンと妻カトリーヌの間に生まれた。残念ながら肖像画は残されていない。
スカロン家は13世紀に祖を持つ名家、代々リヨンの議員を務めカトリーヌの祖父はアンリ4世時代のメートル・ドテルであった。カトリーヌは1629年3月14日にダウモント公爵と結婚し、6人の子に恵まれた。
カトリーヌは有名な黒ミサ毒殺事件のラ・ヴォアザン事件に加担し火刑されたのだろうか?
どんなに調べても刑死者にフランス元帥夫人カトリーヌの名は無い。ルイ14世は1672年に魔女裁判による火刑と拷問による自白を禁じている。オー・ア・ラ・マレッシャラを作った元帥夫人が火刑に処されたという伝説の真偽を語る記載はサンタ・マリア・ノヴェッラの商品紹介以外に全く見当たらないのだ。カトリーヌが1691年に没した理由は刑死では無いだろう。
この時代の貴族階級やブルジョワ階級は怪しげな祈祷や魔術に興味を持った者が多い。裕福な知識人の家に生まれたカトリーヌが錬金術に興味を持ったとしても何ら不思議はない。だが、ダウモント公爵家はカトリーヌの死後も宮廷を追われること無く、子孫も聖職者やフランス元帥として歴代のフランス王に仕え続けている。
万が一、黒ミサ事件にカトリーヌが関わっていても国王ルイ14世のパートナーである義理の姪マントノン侯爵夫人の一言で帳消しにされたと想像できる。
1875年に描かれたこの肖像画が証人ではなかろうか?マントノン夫人は多くの血縁者や知古の者、自らの学校の卒業生をまで高位貴族と縁組させ、栄誉職に就かせるよう全力を奮っている。元夫の姪の罪をもみ消すなど容易かった筈だが、カトリーヌが火刑されていたら後年でもこの様な肖像画が描かれることは無かろう。
マレッシャラの旧処方は素晴らしい香りだ。錬金術やら黒魔術を連想させる重いウッディと暗いが心地よい良い匙加減のナツメグとオークモス。時間をかけて暗いローズとともに甘くなり、オーデコロンとは思えぬ持続性を発揮する。
作家ポール・スカロンの姪が作り出した香りは調香調整を重ねても作者の知己と好奇心が感じられる名香だ。
○オテル・ダウモントの昔日
パリ4区に現存するかつてのダウモント公爵家のパリの邸宅オテル・ダウモント(Hôtel d'Aumont)。現在はパリ行政裁判所として利用されている。多くの高位貴族が訪れたであろうこのバロック様式の邸宅でカトリーヌが神秘的な調香をしたのだろうか。
1914年発表の書籍にはこんな記述がある。 『「ダウモント元帥が好きだった…」それは現在の住居、オテル・ダウモントにあるだろう。ダウモント元帥はフランス中央薬局でこの有名なパウダーを作らせた。 3世紀もの間人気が続く香水。 - 中略 - フランスの調香師によると、元帥パウダー香水制作のためのさまざまな材料がここにあると言う。アイリス、シトラス、サンダルウッド、ハマスゲ、ショウブ、クローブ、シナモン、ローズウッド、ベンゾイン、ウォーターマーク、蒸留酒の絞りかす、蘇合香樹脂、ラブダナム、レモンの皮、オレンジ、コリアンダー、マジョラム、ラベンダー、オレンジの花、プロヴァンスのバラ。そこに花が咲いているのでは無い、遠く離れた土地の花の雰囲気がある……』
誕生から早300年以上、誰からも好まれる類いでは無い地味な調香だからこそ人気はゆっくりと細く長年続くのだ。
マダム、わたくしはあなたの香水の愛好家だ。1800年代以降のあなたの香りを模した香水瓶の写真をご覧頂きたい。
- fin-
注 D´Aumontの音表記をカタカナ表記すると「ドゥーモン」や「オーモン」が一番近いが、オーデコロン マレッシャラの発売元であるサンタ・マリア・ノヴェッラ公式サイトでのカタカナ表記が「ダウモント」であるため、この文章では「ダウモント」の表記で統一した。4頭立て馬車の編成スタイルも「ア・ラ・ドゥーモン」が正式な発音に近い。
2021年1月27日 初稿公開 1月28日 第2稿公開(ダウモント家 大幅加筆、ハマスゲ詳細など加筆) 3月28日 第3稿公開(カトリーヌ・ダウモントの出自など加筆)
2023年3月20日、写真が消えていることに気づき大幅に編集。
出典
○サンタ・マリア・ノヴェッラ公式
https://jp.smnovella.com/
○L’attelage À la d’Aumont : royal ! Jean-Louis Libourel
https://www.attelage-patrimoine.com/2015/10/l-attelage-a-la-d-aumont-royal-jean-louis-libourel.html
○The Perfume Society
LOUIS XIV: ‘THE SWEETEST-SMELLING KING OF ALL’
https://perfumesociety.org/history/louis-xiv-the-sweetest-smelling-king-of-all/
○Guerlain parfumes, blogspot
Marechale by Guerlain c1853
https://guerlainperfumes.blogspot.com/2015/03/on-ebay-marechale-extrait-c1800s.html
○Memento
LES PERRUQUES PARFUMÉES
http://www.diptyqueparis-memento.com/fr/les-perruques-parfumee
○Wikipedia, Maison d' Aumont
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Maison_d%2527Aumont
○Parfum à la Maréchale : E. G., bibliophile Champenois, in La Parfumerie moderne [compte-rendu] sem-linkGuitard Eugène-Humbert Revue d'Histoire de la Pharmacie Année 1914 9 pp. 143-144
○Crown Perfumery Maréchale 90 Perfume Review & Musings
http://www.mimifroufrou.com/scentedsalamander/2006/05/perfume_review_musings_marecha.html
○Versailes Les madam, favorite sents
http://thisisversaillesmadame.blogspot.com/2017/12/a-perfumers-dream-favourite-scents-of.html
○Marechale extrait. C1800's https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Maison_d%2527Aumont://guerlainperfumes.blogspot.com/2015/03/on-ebay-marechale-extrait-c1800s.html
○Historire Europe, Catherine Scarron
http://www.histoireeurope.fr/RechercheLocution.php?Locutions=Catherine+Scarron
○Making brown hair powder
https://madameisistoilette.blogspot.com/2012/12/making-brown-hair-powder.html
○『処刑台から見た世界史』桐生操 2006年 あんず堂
○『ヴェルサイユの異端公妃―リーゼロッテ・フォン・デァ・プファルツの生涯』
宮本絢子 1999年 鳥影社
○『フランス女性の歴史 1』
アラン・ドゥコー著、川田靖子訳 1980年 大修館書店
投げ銭サポートщ(゚д゚щ)カモーン