ダークでアイロニカルなリアリスト、Vince Staples(Vince Staples「RAMONA PARK BROKE MY HEART」全曲解説)
はじめに
Vince Staplesはそのデビューミックステープ「Shyne Coldchain Vol. 1」から今作「RAMONA PARK BROKE MY HEART」に至るまで、常にそのフッド、ロングビーチと共に在り続けた。
同時にStaplesは、"人に見られたり話しかけられたりするのは好きじゃない"と述べ、カメラに映ることもステージに上がることも、パーティーに参加することも脚光を浴びることも嫌い、孤独を、ただ創造することを好んだ。
またStaplesはリアリストだ。彼は自身の経験について真実を語ることを最も重要視する。
そのことは「Shyne Coldchain Vol. 1.」のアウトロ「Taxi」の
"罪を犯しながら生きているのに、なぜ生きるのかを考える。俺みたいな黒人が天国に行けるはずがない。俺たちは孤独のまま、天井から首を吊って死ぬだけだ。赦しを求めて神に祈るが、神は黙れと言った。"というリリックにも表れている。
それ以外のアルバムもほとんどがある程度厭世的に締めくくられており、2018年リリースの前々作「FM!」のアウトロ「Tweakin'」も
"金を稼いでみんなを養おうとしたけど、みんな死んでしまった。"とバースを終わらせる。
しかしそれでもStaplesはペシミスト、悲観主義者というより、リアリストだ。そもそも世界は悲劇だ。陽の当たらないストリートはさらに悲劇的だ。ゆえに、悲観主義者という言表は正確ではない。(ここを敷衍すれば、現存する人種は楽観主義者か現実主義者のみであるとさえいえる。)
また、前述の「Taxi」のリリックは宗教信仰に対して懐疑的な態度ともとれる。
事実、同アルバム中の楽曲「Versace」でも"キリストを信じたことはない。なぜなら写真の中の彼は白人だったからだ。"や、"なぜ宣教師は全てが上手くいくと俺たちに説教するのだろうか?それがなんのためにあるのか分かっていても、それが間違っているとは感じていた。"とも述べている。
それに続き、首吊り自殺をほのめかすようなカバーアートを据えたミックステープ「Shyne Coldchain Vol. 2」収録の楽曲「Shots」では、"宗教を持たない黒人に地獄は怖くない。"とラップしている。
先述のインタビューにおいてもStaplesは言ってしまえば真っ当な宗教観を語っており、"俺は地獄なんてものは信じてない。そんなものは存在しない。"と言い切り、"単に古いものが真実になる。力強い言葉になる。好きなことを書いて土に埋め、何百年、何千年後に人々がそれを見つけたらそれが真実になる。"と述べた。
アメリカではこの発言がどれほどのヘイターを生み出すことになるのかは想像に難くないだろう。
続けて、"だから宗教は機能している。だからみんなサイエントロジストを頭がおかしいと言う。なぜならそれが新しいから。宇宙人も処女懐胎もクレイジーだけど、一方が他方より古いから、それが真実でなければならないような感じだ。"と述べた。
さらに"平等でもクールでもない宗教のせいで、人々は誰かを売春婦、罪人、悪魔とみなすだろう。"とも述べている。
Staplesはこういった"真実を語る勇気を持っている。"それも淡々と。
例えば黒人を取り巻く音楽業界についても、ウェブメディアPigeons & Planesにおいて、
"音楽ビジネスはヒップホップで扱われる暴力で儲けている。彼らはアーティストを人間として大切にしない。これはビジネスであってアーティストを利用して破壊してカネ儲したいだけ。死んでもらった方が得なんだ、だから死んだ後にアルバムを出す。大切だったらそんなことはしないし、アーティストの契約書の残余権を両親に渡すし、アーティストに生命保険、健康保険を与えるだろう。だから彼らがアーティストのことを気遣っているフリするのは止めるべきだ。"と述べた。(塚田桂子さんのツイートより)
またStaplesのいうように、処女懐妊やノアの方舟などは科学の進歩した現代ではもはや信じる信じないという土俵にすら立っていない。
正しさは時代を越えられない。以前も述べたが、宗教教義はもはや明確に正しくない。悪でありうる。
そういう文化だから、慣習だから、宗教だからという理由で差別や理不尽な使役を是とするような狭い枠組みを設けた安全圏からの多様性など掲げない方がマシだ。
例えばキリスト教は歴史的に被害者かつ加害者であり、政治的な意図を含んで"制作された"聖書は、レイシズム、ホモフォビア、人工中絶反対などあらゆる差別や不自由を助長していることは否定のしようがない。
また教会のような過去の権威が、他人が、例えば同性愛や同性愛行為を認めるかどうかの議論をしている時点でもう間違っている。(その上でその信者や民族自体を批判することも間違っている。)
しかし、宗教が悪である理由として、Staplesはその編集者が人間であることを挙げる。
"(人間の)編集者がいる事実、それこそが俺が宗教と相容れない理由だ。"と述べ、
"キリスト教もイスラム教もユダヤ教も美しい。でもそこにひとたび人間を組み込んでしまったら、物事は悪化する。木や水や動物や魚や美しいものがここにあったのに、俺たちはそれを台無しにしてしまった。俺たちは物事を台無しにしてしまうんだ。人間を信じちゃいけないんだ 。俺たちは狂ってるんだ。"
と、カリフォルニアのヴィーガンバーガーチェーンとパートナー契約をし、「食肉は殺人だ」と題したソイミルクシェイクを発売したヴィーガンのVince Staplesらしい、芸術における人類肯定的な文脈をも排した論理的に正しい発言もしている。加えて論理的で理性的なStaplesは、全くふざけた方向から絡んできた信教者を批判することもない。
だからStaplesは宗教と関係のない、つまり人間が介在しない、もはや反証可能となってしまった善なる神に祈り続けるのだ。
その上で、"Vince Staplesを単純に定義するのなら、リアリズムの信奉者"と定義しうる。
Vince Staplesよりも理性的なラッパーを私は知らない。
しかしそれでも"嘘も真実も嫌う" Staplesは、無神論者にはなりきれず、その極めて人間的な矛盾を抱えたままラップするのだ。
多くのアーティストはそこからの脱却を芸術に求める。
しかし、Staplesにとって芸術、音楽とは"結局ただの歌"であった。加えて"音楽を作るのは好きじゃなかった。"とも述べている。
そこで見出されたものが愛だ。Staplesは"シーツと十字架がスーツとネクタイに変わってしまった"、つまり清潔な信仰を失い、現実的な醜い物質主義に支配された"夢も希望もないアメリカ"を生きていくために愛を見出した。
Staplesはキャリアを通して何度も愛の美しさや大切さをラップする。
Staplesにとって音楽は"結局ただの歌"であるが、彼が身を置くHiphopという文化それ自体はそうではないだろう。Staplesは以前、ラップミュージックは"ただハッピーなものであってはいけない。" と述べた。
Staplesは"俺たちは皆、人生において平等に重要な役割を担っていると思う"と発言したように、ストリートをレペゼンする使命感を負いながら、常に現実になにかしら変化をもたらすためにラップしている。
その態度は今作にも色濃く表れており、ハイハットが目立つ浮遊感のあるビートにのせ、メロディアスなフロウでフッドの現状を淡々とラップする今作は、ウェッサイの正統派ギャングスタ・ラップともいえるだろう。
彼はキャリアを通してその作品の客演はもちろん、時にプロデューサーまで西海岸出身のアーティストを中心にアルバムを構成している。(前作こそコネチカット州出身のKenny Beatsが全曲プロデュースしているが。)
そのため、アトランタ出身のLil Babyを客演に迎えたことは注目すべき点だろう。
また"みんなが飛び跳ねるような音楽でないといけないのか?"という発言にも表れているように、新たなサウンドを模索しながら制作されたStaplesの出世作「Prima Donna」や、憂鬱と破壊と死の強いエネルギーを機関銃のようにぶっぱなす「Big Fish Theory」のような多様で特異なサウンドを持つわけではなく、2枚組のデビューアルバム「Summertime '06」やセルフタイトルの前作に引き続き、今作もある程度の統一感のあるサウスのカームでレイドバックしたサウンドを選んだミニマムなアルバムとなっている。(つまりサウンドにおいて挑戦的なアプローチが少ないと言われたら否定は出来ない気もする。)
とは言っても「Summertime '06 」を除き、2〜30分程度のアルバムがそのほとんどであるStaplesにとって41分2秒のアルバムは比較的長いものではあるが。
そんな前作をセルフタイトルに、そしてミニマムで落ち着いた今作のタイトルに「Summertime '06 」から何度も触れられ、広義に解釈された彼のフッドの象徴としてあるラモナパークを据え、キャリアの集大成的に今作をリリースしたことはまさにVince Staplesらしい選択だろう。(その意味でもEarl Sweatshirtの客演が欲しかったところではあるが…)
しかし今作は、他でもないVince Staplesの作品として鑑賞するのであれば、私はその最高傑作であると思う。
Staplesは今作についてSNSでこう語っている。
"人生は何かをやり遂げるものだ、という嘘をよく言われる。
10年以上にわたって、俺の作品ほとんどは、俺がホームだと信じていたもののアンソロジーだった。いま俺は、それが場所(座標)を超越したところにあることに気づいたんだ。
俺はホーム、安心感、快適さ、意味の有用性、答えと口実を探究してきた。
成長することは、盲目的に愛するということではもはやない。「RAMONA PARK BROKE MY HEART」は、その成長の物語だ。"
別の言葉で"俺の作品の多くは、俺の住む地域や過去のアンソロジーであったように思う。これは俺にとってある種の終幕だ。"とも述べている。
しかし同時に、"俺はまだ物事や人生が投げかける問いに取り組んでいるところだ。"とも述べた。
今作においてカリフォルニア全土まで、ひいてはアメリカ全土まで、そして世界全土まで押し広げられながら解釈されたロングビーチという、"俺は28歳なんだ。俺は十分長生きで、恵まれているんだ。"と語られるほど狂ったホームは、私たちの心にまで共感性を持って届きうるだろうか。
ではこれらの言葉を心に留めながらアルバムを聴いていこう。
1、THE BEACH
アルバムのイントロダクションを飾るこの楽曲は、ロングビーチのゆったりとしたさざ波を、人々の歓声が呑み込みながら幕を開ける。
そして"頂点に立とうとしても、皆を連れてはいけない。全員を金持ちにすることはできないし、全員とファックすることもできない。"と、リアリストVince Staplesがまず提示される。
また"事件を起こすのが怖い、みんながスニッチしているような気がする。冷や汗と戦慄、悪い予感がする"とラップする。
続けてギャングが蔓延り、危険と隣り合わせのロングビーチで日々あらゆることに警戒しながら生きていく人々についてラップする。
Staplesも同様に、"俺の両親はギャングだった。ロングビーチでは誰もギャング以外何もしない。でも、俺たちはずっとそうやって生きてきたんだ。"と以前語っている。
Staplesは暴力にまみれたギャングカルチャーが美化されながら在り続けていることをそのキャリアを通して、またこのアルバムを通してラップしている。
この楽曲でも"頼むから巻き込まないでくれ。なぜなら俺のギャングスタは黒人を撃ち殺しながらマジでハードに動いてるからだ。"とバースを終わらせ、"待て!"の声も虚しく、ロングビーチのさざ波をかき消すように何発もの銃声が鳴り響く。にもかかわらず人々は歓声をあげている。
そんなロングビーチの狂った日常を切り取った、
また、自然と人間、Staplesの落ち着いた性格と内なる激しい怒りが互いに相反しながら同居する様子を表したこの楽曲でアルバムは始まる。
2、AYE!
"もし皆が溜め込んだ傷や怒りを抑えられたら。"という願いをサンプリングしたところから始まるこの楽曲は、このアルバムの中でも特にサウスの音楽性が強く表れたグルービーなサウンドで進行する。
キャッチーな掛け声を挿入したフックでは、"体重も増えてきたし、気分も上々だ。俺は長い道のりを歩んできたんだ。 "とStaplesの人生が上向きであることを隠さずラップしながら、"一つ願いがあるとすれば、仲間を自由にすることだ。"と彼が尊敬するサウスのラッパーRay Jのリリックをサンプリングしながら語る。
そんなStaplesは、"俺は夏のこの街よりホットな男だ"などと自信を見せつけながらも、"家を出る前に彼女に愛してると言わなきゃ。家にたどり着けるかどうかわからないから。"と彼が未だ危険からは逃れられてはいない様子をラップする。
また"ビーフを終わらせたい?ならあいつらに仲間を返せと言え。殺人犯を解放しろ。あいつは攻撃されてたんだ。"というギャングの抗争が終わらない理由、そのシステムに支配されるギャングたちについてラップする。
さらに"俺の持てる全てを捧げたはずなのに諦める。俺は猫を追いかけるよりもBag(金を表すスラング)を追いかける。"とそのシステムに自身も支配されつつ、どうにもならない様子をラップする。Staplesは多くの黒人ラッパーと同じように、自分たちがそんなシステムの産物であること、境遇の奴隷であることを常に主張してきた。
しかしこの楽曲では、
"楽しめよ。刹那的に生きるなら人生は短い。"
"もし俺が今日死んだら、あいつらは行って(ギャングと)衝突するんだろうな。"などと自嘲気味に、かつ半ば諦めるような態度でラップするのである。
3、DJ QUIK
この楽曲は"金を稼がなければ意味がない。ラップゲームを壊さず、クールなことを―"というDJ QUIKの楽曲「Dollaz + Sense」のフックをサンプリングしながら始まる。
"俺は仲間を決して見捨てない。後悔を抱えて生きるより、伝説として死ぬ方がいい。"と憂鬱な口調で静かにラップする。
そして"仲間にいい暮らしをさせるため"に必要なのは、やはり金だ。そして日々仲間を失っていくような環境では"待ってられない。"
Staplesは"俺は金が欲しいんだ。名声なんてどうでもいい。"とスピットする。
ここは前述した通りのStaplesの性格が色濃く表れたラインだろう。
フックでは冒頭の一節に加え、「Summertime '06 」収録の楽曲「Get Paid」をセルフサンプリングしながら、拝金主義のシステムを淡々と語る。
そして"墓場に行くまで、俺は楽しんでる。ラモーナが最後に笑うことに賭ける。"と述べ、
Staplesは殺人と欺瞞、その疑念、LAのギャング集団クリップスにも言及しながら、ゆったりとした重苦しいサウンドとは対照的に、ここでは明るさも見せつつ淡々とラップしている。
4、MAGIC
当アルバムの先行シングルとなったこの楽曲は、サウスのHiphopシーンに多大な影響力を持ち、今作のエグゼクティブ・プロデューサーも務めるカリフォルニア出身のMustardとStaplesが初のタッグを組んだ楽曲である。
ここではMustardらしいキャッチーでアップビート、そして浮遊感のあるビートにのせ、Staplesはメロディアスにラップする。
Staplesは"天井に向かって浮かんでいる感じ、これって魔法なのか?
なぜお前は消えてしまうのか教えてくれ。そんなの魔法だよ。
俺がこれをどうやって成し遂げたかは言わないでおく。それは魔法さ。"とコーラスしながら、バースではその拝金主義や暴力性を隠さず歌い上げる。
しかし、"そんなことは過去の話だ。"とした上で、"今は愛を広めてる。パトカーのライトにも銃声にもうんざりだ。"と回顧しながらラップする。
続けてクリップスとブラッズの血なまぐさい対立に言及しながら、過去の自分のギャングとしての凶暴性、覚悟も力強い言葉でスピットする。
Staplesは"ママはパパに会って、俺をゲットーに産んだ。38口径のピストルを渡され、お前は特別だと言われた。"と私たちの常識から外れた人生も提示する。
最後はMustardによる詩の朗読。
"無から何かを生み出すことを幸運と呼ぶんだ。だが俺たちの出身地ではそれを奇跡と呼んでいる。街の反対に住む2人の黒人がこんなことをやっているのを見ると、それは奇跡と言ってもいい。Section 8(生活保護)から抜け出して、今ではロールスロイスに自家用ジェット、それは奇跡だ。
お前にとっての奇跡を教えてくれ。"
とMustardは語る。
Mustardのいうように、ゲットーのような環境に生まれ、生活保護を受けなければならないほどの貧困に喘ぐ人間にとって、成功はほとんど奇跡に等しい。
例えば勉強すれば良い、努力すれば良いなどと勘違いしている人間も多いが、格差はその動機づけから始まっており、環境要因に遺伝子を含めてしまえば逆転の余地はほとんどない。
例えば受験というシステムも、その環境と遺伝子、今までのリソースに依拠する恐ろしいほど正しくない差別的システムだ。
資本主義のシステムも、生まれた環境でそのほとんどが決まってしまう残酷なシステムである。
つまり、人生を支配するのは、生まれた瞬間に運命があらかた決まってしまうという否定しがたい不都合なシステムだ。
しかし、そんなシステムの底をもがいてきた2人のアーティストが、こうして世界中多くの人々に聴かれる楽曲を作っている。
それは「MAGIC」である。多くの成功者は境遇や環境要因を無視して、全てを自らの力で掴み取ったかのようにその成功の要因を自慢げに語るが、彼らは違う。それを理解している。
ギャングスタ・ラップは今までそれを伝えてきたのだ。あなたの人生はあなたのせいでもなければあなたのおかげでもない。という事実を提示してきたのだ。
またこの楽曲はMVも公開されており、そこでStaplesはパーティに赴くが、些細なことで喧嘩に発展し、集団リンチされ、追い出される。
その後コンビニエンスストアに訪れた傷だらけのStaplesを心配した店員に、"ちょっとパーティで騒いできたんだ。"と答える冒頭に繋がっていく。
ちなみに前作「Vince Staples」収録の楽曲「ARE YOU WITH THAT?」の、常になにかから逃走し、金を失い、だんだん土に埋まっていくというアイロニカルでファニー、そしてオシャレなMVも必見だ。
5、NAMELESS
ここではある女性のスピーチをインタールードとして挿入する。
"食べなければならない。請求書を支払わなければならない。生きていかなければならない。
いつ引き金を引くことに慣れるんだ?「銃を手に取って誰かを撃ちたい。」じゃないんだ。分かるかな?しばらくすると、それが簡単に、普通になる。"
つまり冷酷に見えるギャングはその根本において私たちとなんら変わりない。慣れは、習慣は、私たちの理性や感性を超越する。"精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。"
ここではそれを伝えている。
6、WHEN SPARKS FLY
この楽曲は、先ほどのインタールードのスピーチに続く形で展開される。
エモーショナルなリリックが魅力のイギリス出身の歌手Lyvesの意味深な詩から楽曲は始まり、1stバースでは女性に擬人化された銃と自身の関係性についてラップする。
"彼女は言った。「ベイビー、私を近くに置いて、あなたが私を抱いているのが好きなのよ。
私は本物だから、ゴースティング(一緒にいる異性に対して申し訳ないと思うこと)はしない。」"と銃に惚れ込まれるStaples、ひいては争いの中にある黒人達の様子を表現する。
続いて彼女(銃)は"「私を愛してるのはわかるけど、見せつけなくていいんだよ。外に出かける時は警察から私を隠してね。
どこに行っても私たちは一緒、切っても切れない関係。私はあなたを守るためならどんなことだって厭わない。」"と語りかけ、Staplesはいわゆるメンヘラ気味な彼女に、つまり銃に囚われる様子をラップするのである。
またそれに続く"「でもこの手袋はもし緩んでしまっても安心よ。」"というリリックはGeniusにも言及がある通り、コンドーム、銃を使用する際に(指紋が残らないように)はめるグローブ、OJ Simpsonの裁判を表すトリプルミーニングになっている。
最後は"私たちが捕まらないことを祈ってる。私の心を傷つけないでね。"とラップする。
2ndバースではついに捕まってしまった彼氏(銃の所有者)に彼女(銃)は想いを馳せる。
"ああ、私からあなたを取り上げるなんて!
玄関を蹴破って私を探しに来たんだ。私たちの秘密の場所に私を隠してたのに。"と彼女は嘆く。
そして"せめて奴らを倒すチャンスを!
トリップしてるの?あなたは私たちの誓いを忘れたの?"とまくし立てる。
ここでの誓いとは警察に対する憎しみ、ギャングカルチャーにおける報復だろう。
続けて"私はあなたが帰ってくることを夢見てる。あなたの過ちを正して、私を連れ出して。
あなたがぶっぱなすまでずっとなんて私は到底待てない。多分数百発は撃つだろうね。"と彼女は語る。
もし誰かが復讐の連鎖を辞めようとしても、復讐と暴力に囚われたギャングカルチャーは止まることを知らないのだ。
そして最後はロングビーチのさざ波をバックに、"彼はいま刑務所にいる。彼がする必要がないことのために。
彼は何をしたの?
誰かを殺したそうよ。"
という単調な会話で締めくくられる。
この会話は報復の連鎖を、その人がやらなくても誰かがやるような落としどころの見つからないギャングカルチャーを冷酷なほど平易に表しているのだ。
この楽曲は、Nasが初め、コンプトンに産まれたStaplesと数多く共通点を持つKendrick Lamarなどが多用する擬人化、主客の倒錯という表現を用いつつ、Staplesのリリシズムが溢れ出す楽曲だ。
7、EAST POINT PRAYER
前曲のロングビーチのさざ波を引き継ぎながら幕を開けるこの楽曲は、前作のエグゼクティブ・プロデューサーKenny Beatsのビートに、アトランタ出身のラッパーLil Babyを客演に迎えたゴージャスな楽曲だ。
この楽曲では大金や資産を抱えながらも警戒を解くことなく、堕落を恐れる様子をまずコーラスする。
そして"ストリートと結婚した"Staplesは、"銀行には金がある。だから俺は良い気分だ。"、"40口径を買った。"、"俺たちの仲間になれば平和になれるんだ。死体には死体を、大きな体にはベンツトラックを。急いで出かけてファックする。"などと「WHEN SPARKS FLY」を受けて、ギャングらしく振る舞う様子を少しも楽しくなさそうにラップする。
しかし、"こいつはいつから俺たちと抗争するようになったんだろうか。酒、銃声、血走った角膜。集団でいることが一番安全な道だと神に誓う。そして奴らはなにについて―"とギャングカルチャーへの疑問が芽生えたところでStaplesのバースは終わってしまう。
続くLil Babyのバースも同じような構成で進行している。"大きなリスクを取って、いま俺はbig fish(Staplesのアルバムタイトルにかけて)になった。to-doリストのトップはビリオンダラーだ。"とその自信を誇示する。
しかし、"このクソ(環境)はクレイジーだ。誰も仕事をしたくないが、金は稼ぎたい。裁判が終わるまでずっと弁護士に金をかけ続ける。"
"みんな悩みを抱えて電話してくるけど、俺自身のことは気にかけない。お前が絶対に離れないと言った時、俺はお前が嘘をついていると知っていたんだ。
俺はもう行ったり来たりなんて出来ないから、このままにしておかなきゃな。"とネガティブな心情も吐露する。
8、SLIDE
そんな不安定に迷い続けるStaplesであるが、この楽曲ではStaplesのある決意が語られる。
"プライドを創り出すことは出来たが、100万ドルは創り出せなかった。"から始まるバースでは、
"多くの黒人を死なせたが、俺は認めない。忘れられない、許せない。
奴らを食い物にするのは宗教ではない。
奴らにうんざりしているが、それは免罪を意味しない。殺しは嫌いだけどそれと共に。"とラップする。
つまりギャングカルチャーを厭いながら、悪いのはシステムであり、殺しも嫌いだと思っているのに、そこにSLIDE(乗り込むこと)しなければならない状況をラップしている。
続いて母親への愛を口にし、"俺たちはインターネット上で誰が書いたか割り出せる。"と語つつ、そこにかけてStaplesの現実世界での銃の扱いの上手さをラップする。
しかし最後はやはりラップで生きていくことの決意を語るのだ。
つまり、フックで何度も繰り返されるタイトル「SLIDE」は、"庭を歩いていたら、この右手側に出てきたんだ。"というリリックにも表れているように、偶然的かつ必然的に殺し合いのギャングカルチャーに乗り込まなければならないこと、そしてそこから離れて、能動的にラップゲームに乗り込もうとする決意を表しているのだろう。
しかしアウトロでは、それを脆くも打ち消すように、何発もの乾いた銃声と大歓声が沸き起こる。
9、PAPERCUTS
ラップで生きていく決意を語ったStaplesではあるが、この楽曲では憂鬱な心情を吐露する。
これは音程が高くミキシングされた歌声が特徴的なミュージシャン、Hetherの"セックスで愛をでっちあげる。いつも逃げ回ってるんだ。"というリリックのサンプリングから始まり、それをそのままスネアと絡めてビートに組み込んだ不思議な感覚のある楽曲だ。
バースでは"奴らは俺がストリートにいるかどうかを知りたがっている。それかまだ敵のことを考えているのかどうかを。
もし俺が今日敵に特攻して死んでしまっても、誰が俺のことを覚えているのだろう?"
とノイローゼ気味にラップする。
そして"同情はいらないから俺と一緒に現実を見てくれ。この業界は嫌いだ、数週間も寝不足だ。
羊を数えている間にも金を数え上げる。"とも語る。
これはStaplesがキャリアを通して伝えようとしたメッセージのひとつだろう。
Staplesが考える音楽業界の搾取構造については前述した通りだ。XXXTENTACIONの例もあれば、Kanye Westもそれを指摘している。
さらにここで、タイトルの「PAPERCUTS(かすり傷)」とは、ドル札で物理的にも精神的にも傷つく様子を意味していることが分かる。
"俺は教えようとしているのに、奴らには俺が説教しているように映る。
ここでは誰も俺を試すような時間はないんだ。"
フッドを、黒人コミュニティをレペゼンするStaplesはそのバランスに懊悩する。例えば事実として、アルバム「KOD」について 、またNonameとの一件もあったJ. Coleは説教臭いなどとする意見は散見される。
その上で、Staplesはそんな俺を訝しがっている暇はないんだ、というように強く語りかけるのだ。
フックでは"街で見かけたら声をかけてくれ。俺の金を弄ぶな。俺のフッドを弄ぶな。金を沢山稼いでここから抜け出す。金の話じゃないならどうでもいい。"とさらなる拝金主義を惜しげもなくスピットする。
続くバースでは"そんな戯言は聞きたくない。愛もなければ平和もない。奴らはお前を決して愛を返さないが、お前は死ぬまでそれに気づかない。いつもBag(大金を意味するスラング)を探し求めて、悲しむ暇もない。"と、ここでもリアリストVince Staplesを感じる。
さらに、"ここのイカれた女たちはお前のポケットを狙ってる。俺はトリップしてない。ただ正直なだけなんだ。俺は銀行口座に金が振り込まれるのを愛してるんだ。"と逆説的ではあるが誠実にラップする。
ここでは金に支配された自身やその状況を強く厭うことなくラップしているように思えるが、果たしてどうなのだろうか。
10、LEMONADE
この楽曲ではあらゆる客演でお馴染みで、またStaplesとも「Big Fish Theory」収録の楽曲「Rain Come Down」、「FM!」収録の楽曲「Feels Like Summer」で共演したカリフォルニア・ロサンゼルス出身のラッパーTy Dolla $ignを客演に迎え、"人生は時々ほろ苦い味がする。"つまりフッドでの生活を"冷たい「LEMONADE」"と表現するフックから楽曲は始まる。
Staplesのバースでも"金が物を言う。だから大声で話してる貧乏な黒人は不機嫌な顔をしているんだ。"、"未だに黒人の頭が吹っ飛ばされている。それが俺のフッドだ。"と苦々しい現実をラップする。
また、"100万ドルを手にして、黒人たちの要求も背負うことになった。"とその誇りとプレッシャーをラップしつつ、フッドで色仕掛けをしてくる女たちを"甘い夢"だとレモネードにかけてバッサリと断ち切る。
続くTy Dolla $ignのバースでも、フッドの様子と誇りを多様にを表現し、カリフォルニア出身のラッパーScHoolboy Qをネームドロップしながら、"フッド全体を養っていけるまで止まらない。おばあちゃんのお墓の上で。"と、それをレペゼンする決意を力強くスピットする。
アウトロでは前述した「Feels Like Summer」にも言及しながら、最後までウェッサイらしくメロディアスに幕を閉じる。
11、PLAYER WAYS
ここではStaplesが演じるフッドの一般的な男女、その関係性について哀愁を漂わせながらラップする。
"良心の呵責に耐えかねて、痛みから逃れようとする。ワインやディナーをしている暇はない。ストリートを走らなければならない。
俺とヤった女はみんな俺に惚れてるんだ。そんな彼女は(フッドでポケットを狙う女たちとは違って)一夜を共にすること以外何も求めちゃいない。
太陽が昇るまで、俺にはそれで十分だ"
と詩的なコーラスから楽曲は始まる。
しかし"君が俺のものになることはないってわかってた。"から始まる1stバースでは、Staplesが演じる男のある女性に対する執着が語られる。
"マスコミは嘘ばかりだと知っているのに、なぜ自分の言葉を抑え込むんだ?"
"君は鏡の前で涙を拭きながら、今度は僕らのことを考えるんだ。君より俺の方が愛されていると思ってるのか?"
"心配しないで。俺は急いでないから。信じるべきは君だ。僕は息をする限り死ぬんだ。
もし俺が死んでも空から君の笑顔を守るよ。"
と捉えようによってはロマンチックだが、多少狂気的な愛情をラップする。
続く2ndバースではそんな男の不埒な一面がファニーに表現される。
"そんな子は知らないし、知っていたとしてもそういう関係じゃない。もしそうだったとしても、それは君が僕を連れ戻した時よりずっと前のことだ。お前はいつも俺がケツを追っかけるのに夢中だった過去にこだわる。"
"俺は君と俺のために生きてるんだ。時にはそう感じないかもしれないけどさ。俺は物事を複雑にして、君はなにか最小限のことさえ言うを恐れていることを知っているんだ。"
"でもc'est la vie(それが人生)。昨日はaquí(ここにある)。ナマステ。俺じゃない。あんな女たちは全然意味ないんだ。"と、男は浮気を詰められた時ようにフランス語、スペイン語、サンスクリット語を用いてとぼけ出す。相手の女性によっては殴られるだろう。
アウトロではそんな男へのアンサーが次のように語られる。
"私が小学校6年生くらいの時、ギャングとの関係を絶ってそういう格好をするようになった。
タトゥーを入れて家を出た。
彼は金をせびるから、「あなたのために外で稼いでくる。」って言ったの。
彼は 「どうやって手に入れるんだ? 」と言った。"そうやって"お金を稼いだ。
私は彼に恋をしていて、彼の言うことは何でも聞いた。彼は毎日手紙をくれるようになった。
だから私は彼が私を愛してるって自分に言い聞かせてた。嘘だとわかっていてもね。実際彼は嘘をついていた。分かるでしょ?"
つまりこの楽曲はStaplesの巧みなストーリー構成力が結実した、不埒な心を誤魔化す男とそれを演じるStaplesの二重の意味でのPLAYER WAYS(役者のやり方)なのだ。
12、MAMA'S BOY
Outcastの名曲「Ms. Jackson」をオマージュしたイントロから始まるこの楽曲でStaplesは、ラップゲームやギャング気取りの黒人に対して挑発的な態度でラップする。
"お前は青のユニフォームを持ってない(クリップスに所属していない)のか?お前は撃たないのか?警察署に行って、誰が何をしたかを話した。"とスニッチする弱々しいギャング気取りの黒人を嘲笑する。
同時に、"ラップシートは淫語だらけ。口の減らない奴(mouth runnin')。お前はアスリートか?(runnninにかけて)
俺は給料をもらってからずっとビーフしてる。警察が捜査しても無駄だ。眠れぬ夜のために俺は大金持ちになったんだ。ビーフは目の前にある。俺はそれを見逃さない。"と、Staplesがリアルな男であること、ラップゲームにおいて好戦的であることをスピットする。
そして"俺はこれ(ギャングとラップゲーム)をママのように愛してる。金のために生き、金のために死ぬ。殺し屋とその群れのホーム。"とフックにはいる。
続く2ndバースではアルバムを通して初めて信教的な内容が語られ、"神の栄光、俺はママの祈りに応えた。金が全てじゃない。でも俺は約束する。金は(人を)痛みから救ってくれる。"とラップする。
アウトロでは、"私が二つ三つの仕事を掛け持ちしなければならない状況でなければ、もう少し時間を使うことができたと思う。そして多分彼は怪物になることはなかっただろう。"と第三者(おそらく母親)の目線から意味深に語られる。
13、BANG THAT
この楽曲は再びMustardがプロデューサーを務める。ここではまさに怪物になってしまったStaplesの攻撃的で刹那的な生き方をラップする。
ちなみにフックで繰り返されるタイトルの「BANG THAT」は性的魅力や性的興奮を感じた時に使用する、日本語で言うところの「ムラムラする」みたいな意味らしい。
ここではStaplesの性的興奮に加え、加害衝動にもこの言葉が使われ、「これが俺だ!」とでも言いたげに激しくラップする。
つまりこの楽曲のフックは
"水辺で俺を見つけてくれ、BANG THAT!
金が全てだ。BANG THAT!
恋人にまたがる。BANG THAT!
やりたいことをやる。BANG THAT!
文句があるならそう言えよ。捕まえたら殺してやる。BANG THAT!
くたばれ。許さねえ。BANG THAT!"
などと感情に身を任せて衝動的にラップする。
バースでは"決して雨の降らないところ"、つまりmake it rain(大金をばらまくこと)にかけて貧乏なフッドを、"武器で遊び、波打つ場所 "、つまり物理的にも環境的にも波打ち揺れ動くフッドを詩的に表現する。
その後も"死亡記事を掲げろ、表彰盾なんかじゃなくてな。尻軽女と遊び、裏切り者を呪え。"などとStaplesはギャングカルチャーに、フッドの現状に飲み込まれていく。
そしてブリッジでは
"Shells(貝殻と銃弾を表す)が地面に落ちているのは、俺たちが遊び続けているからだ。
もし俺が倒れたら、それをとっておいてくれ。
俺は金を愛し、女は友達以上の存在だ。
物語がどうやって始まったかを決して忘れはしない。俺はこの上なくリアルだ。偽らない。
銃に生き、砂に死ぬ。"
と、勢いに任せてスピットしたフックやバースと相反する技巧的なリリシズムを披露する。
まずShellsという言表で銃弾が溢れる危険なフッドと海岸線に位置するフッドに私たちの心象を持っていく。
そして物語は、今作はロングビーチのさざ波で幕を開けた。それらを私たちに思い起こさせながら、暴力にまみれたフッドで生涯生きていく決意を明瞭なビジョンと共に提供しつつ、サウスの雰囲気そのままメロディアスに、感情豊かにラップするのだ。
Vince Staplesの真髄はここにある。感性と理性、思想と行動。それらを美的に統合しながら、卓越した表現力と構成力をもってフッドの現状を私たちに訴えかけるのだ。
14、THE SPIRIT OF MONSTER KODY
ここでStaplesはクリップスの一員として活躍したKody Scottの自伝的著書「Monster」について語ったインタビューをサンプリングしたインタールードを挿入する。
"まず、みんなが知りたがっていること。
「本当にあなたがこの本を書いたんですか?」
「小学6年生でドロップアウトした無学なクソ野郎がどうやって?」
「刑務所に行け。」
俺たちは失敗するように仕向けられただけだ。
息を潜めろ。さもなければ刑務所、少年院、収容施設に行くことになる。
青少年の権利は幽閉され、刑務所でギャングのメンバーになるしかない。
そこでは刺されるか人を刺すかのどちらかだ。
そして残りの人生を独房で過ごすんだ。
「お前はもうおしまいだ。Kody Scott。」
そして俺は言った。「Fuck no。Hell nah。
俺はまだ終わっちゃいない。」
俺にはThugの精神があるんだ。
それも俺のは普通の平凡なThugじゃない。
Stan Q(マラリアの治療薬)のように知りたい。
システムに対する反逆。それがThugだ。"
ここに関して改めて説明を加えるのは野暮だろう。
15、ROSE STREET
この楽曲は「MAGIC」に続く2曲目の先行シングルとしてリリースされた。ここではキャリアを通して伝えてきた愛についてラップするのであるが、その矛先は世間の一般人とは違っていた。
実際にこの楽曲は、
"俺はラブソングなんか歌わない。
ラブソングを歌ったことは一度もないんだ。"
というイントロから始まる。
1stバースでは、"どうしてあの女がお前に怒ってるんだ?
過去にポン引きをやったから?
状況が悪化したらって緊急停止ボタンを押すような女が憎い。"
"彼女は俺に面と向かって嘘をついている。だから俺は後ろから撃つ。
リアルな黒人にはお前が主婦か売春婦か教えてやろう。"
などと、Staplesの疑い深い女性観についてラップする。確かにラブソングからはかけ離れている。
またStaplesは黒人作家Wallace Thurmanの著書「The Blacker the Berry」から引用し、Kendrickが同名の楽曲「The Blacker The Berry」で"果実が黒いほど果汁は甘い"と黒人たちをエンパワメントしたように、黒人女性への愛を"黒い実を摘み、雪を相手にしない。"と表現する。
この引用は2PACからKendrickに間接的に受け継がれたものであり、前述の通りコンプトンに産まれたStaplesがギャングスタ・ラップを引っ張っていく覚悟ともとれる。
続けて"俺たちは結婚しない。俺は金を手に入れるんだ。R.P. G-O(Real Pimpin' goin' on。金を稼ぎ続ける)だ。"とラップする。
そして冷たくリリカルなフックに入る。
"彼女は恋をしていると言ったが、それは何だ?
信頼ってなんだ?俺たちって何だ?
俺はギャング/金と結婚してる。遊びじゃないんだ。
花束は仲間の墓に持っていくだけだ。"
Staplesは金とギャングに愛を捧げ、愛する人に送るような花束は仲間の墓参りにだけ持っていくんだと力強くスピットする。
ミニマリストのStaplesにとって金を稼ぎ続ける理由は、決して自らの生活水準をあげるためでも権力を誇示するためでもセックスするためでも贅沢するためでもない。ひとえに仲間を救うためだ。
2ndバースでは、
"赤いフェラーリのシート、俺の仲間はみんなストリートで血を流した。
ベッドシーツに化粧がつく、セックスでストレスをMake upして(作り上げて)、彼女が去ることを願う。
車のキーに手を伸ばすと、彼女は「どこへ行くの?一緒にいて。」
彼女がBeg(せがむ、物乞いをする)のを見るのは嫌だ。彼女は俺が死ぬのを望んでない。"と、ここでも素晴らしい完成度のバースを蹴る。
赤いフェラーリと血の色、そこに化粧とベッドシーツの白を対比させ、Makeup(化粧)とMake up(創造)をかけ、彼女のStaplesに対する懇願と、彼女がStaplesがいなくなった際することになるだろう物乞いを見事に同一表現に落とし込んでいる。
Staplesは情景を浮かばせながら言葉を自在に操る。今作は後半にかけてリリックのキレが加速しているように思える。
また、
"戦争になれば威嚇射撃はいらない。弾丸があいつの上半身を直撃し、仲間は全員逃げ出し、死体は落下した。
お前に俺の心は奪えないけど、お前が俺の心の中にいることは約束する。俺たちは身の安全を守るなにかがなければデートにさえ行けない。
約束する。もうストレスは感じさせない。物事は良くなっていくよ。
俺は嘘をついて日々を生きている。
俺の時間を無駄にしないでくれ。お前はずっとここにいるのか?
奴らが言うことは気にするな。"
と愛することこそないものの、そんな彼女に優しく語りかけつつ、Staplesの落ち着かない心情も吐露する。
Staplesが嘘をついているとしたのは、彼女のような女性を、仲間を何人も失ってきたからだろう。Staplesは約束を破り続けてきた。これ以上約束を破らないために、異性への愛にうつつを抜かしている暇はない。だからStaplesはギャングに、そして金に愛を捧げるのだ。
最後は
"巻き戻せない人生は映画のようだね、baby。
俺を利用するなと祈ってくれ、baby。
俺が撃たれないように祈ってくれ、baby。
それがお前が俺を失わない唯一の方法だ。
俺は最近ずっと頭がおかしいと感じている。そんな疑念は今でも俺にまとわりついている。俺は安全装置なんて使用しないぜ。"と悲哀を感じさせながらラップする。
アウトロでは約束を果たせずに亡くなってしまった仲間たちに言及しつつ、"俺はマジにスピードをあげる必要がある。"と強く語る。
さらに"ロングビーチの花。お前は何が欲しいんだ?"と自らに語りかけるように幕を閉じる。
つまりこの楽曲「ROSE STREET」は、ストリートの抗争で赤く染ったロングビーチの花をギャングカルチャーと仲間に捧げるStaplesなりのラブソングなのだ。
16、THE BLUES
物語はこの楽曲をもってついに終わりを告げる。
それは絶望でもあれば、希望でもありうる遺書のようものだった。
ロングビーチの海岸沿いで、わずか28歳のVince Staplesは、まるで人生の最期かのような調子で回顧する。
"もし俺がお前に愛を与える途中で死んだら、
お願いだ。世界から俺を守ってくれ。
俺がしたことを許してくれ。
これは見かけによらず難しい。俺は何になっちまったんだ?
俺は決して隠し事はしない。金が俺を麻痺させたんだ。"
Staplesは死んだら、消えたら、殺されたらのような仮定を多用する。彼はそれほど外的にも内的にも死に近いのだろう。
ここで"俺が死んだら世界から俺を守ってくれ。"とはどういうことだろうか?
私はこれを冒頭で触れた音楽業界の搾取からStaplesを守ることだと捉えている。それは彼の名誉や尊厳を守ることでもあるし、彼のアーティストとしての輝かしい作品群を守ることでもある。そして"お前"とは、Vince Staplesを愛する私たち一人一人のことに他ならないだろう。
また"これは見かけによらず難しい"の"これ"とはなんだろうか?
それはStaplesにとっての信仰でもあれば、私たちに対する信頼でもある。加えて愛を与えることでも世界からStaplesを守ることであるとも言えるだろう。
今まで明瞭なビジョンを私たちに提供してきたStaplesが、ここではあえて不明瞭に語りかけている。それこそがStaplesが私たちを信頼しようと努力する心を表している。
コーラスでは"Money made me numb"と無気力に何度も繰り返される。
"ストリートライフはお前をそこに閉じ込める。
でもパパはpastor(牧師)に生まれなかった。greener pastures(より良い場所)が必要だ。
未だに歓喜を待っている。俺は決して孤独ではない。白昼夢にさえ悩まされる。
家は小さくなるばかりだが、神が許すまで平穏は訪れない。"
ここでは牧師にかけて緑豊かな牧草地、慣用的により良い場所を意味するgreener pasturesを使用するなどの技巧も見せながら、明るい希望にも似た心と、暗い絶望を織り交ぜつつ静かにラップする。
またStaplesはリアリストだ。そのため彼の目には絶望だけが映るわけではない。例え感情が撞着することになったとしても、そこを隠さず表現するのだ。
続いて先ほどと同じように"Waiting 'til the Lord allows it"と何度もコーラスする。
"成功とは罪悪感とストレス以外のなんなんだ?
それを抱えて生きていかなければならない奴はそんなに多くない。
お前が愛したものから移動する。もう二度と気持ちを取り戻せないことを知りながら。
お前の心が壊れても自我は未だ無傷だ。
ダークな魂。黒人ビジネス。
もし自分が蒔いた種を自分で収穫できたなら俺は本当に驚くだろうな。
都会のレンガ舗道はなく、ただの公営住宅。
俺の保釈金を払ってくれないか?
10万ドルだ。
俺の無事を祈ってるんだろ?
俺はそれを本当に疑ってる。
誰が本気でそう思ってるんだ?
待ち遠しい。もし俺が今夜帰らなかったら、俺のためにただ祈っていてくれ。"
脚光を浴びることを嫌うStaplesにとって、成功とはただの重荷だった。そしてそれを背負わさせれてしまったことを嘆く。
Staplesはフッドをレペゼンしなければならなかったから、戦わなければならなかったからラップするのだ。
そして自我の強靭さにも重ねて嘆く。
心が壊れていっそ狂ってしまえれば、ストレスや罪悪感、期待や責任という重圧から解放されるかもしれない。しかし自我は容易に傷一つつきやしないのだ。
Staplesはそんな不条理なこの世の理を、自業自得という間違った言表をアイロニカルに批判している。
さらにStaplesは口先だけは自分に寄り添うような周りの仲間に、私たちに対する猜疑心を拭いきれずにいる。
そんな苦悩だらけの生を丸ごと放棄できる唯一の道を、Staplesは"待ち遠しく思っている"のだ。
最後は"Pray for me"と悲痛に繰り返され、冒頭のロングビーチのさざ波を引き継ぎつつ、静かに物語は幕を閉じる。
おわりに
前述したように、今作は傑作意識から抜け出した、サウンドの広がりが少ないミニマムなアルバムである。それがVince自身の考え方、単純なシステムに支配される狭いフッド、単調な人生を表しているようにも思える。
しかしその狭い空間に、従来以上に強固なリリシズムをギチギチに詰め込んだ上で、サウンドがそれらを浮遊させている。
だから今作のStaplesは、暗さも明るさもどこか達観したような、涅槃のような響きを持つのだろう。
そして辛辣なアイロニストVince Staplesは、例えば先日アルバムをリリースしたDenzel Curryとは異なり、信仰には誠実であり続けた。アイロニカルな態度を貫きえなかった。
この狂ったフッドの現状に、残酷なシステムに対して何ら働きかけをしない、助けを求めて黙れと言うような明確に悪である神に対して、もはや祈り続けるしかなかった。どうにもなりえない果てしなく巨大なシステムと戦い疲れたStaplesには、もはや両手を合わせることしか出来なかったのだ。
またVince Staplesはアーティストとして重要な、必要性を汲み取ることに長けている。
Hiphopやアメリカのマキシマリズムに反し、ミニマリストとして知られるVince Staplesの思想は、その簡潔なプロジェクトにも色濃く表れている。
複雑な世界から必要性を汲み取るという、機能美にも似た感覚を持ち合わせているのだ。
ここで太宰治の「惜別」にあるこんな言葉を紹介しよう。
"誰にも目撃せられていない人生の片隅に於いて行われている事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのです。
それを天賦の不思議な触角で捜し出すのが文芸です。文芸の創造は、だから、世の中に表彰せられている事実よりも、さらに真実に近いのです。
文芸が無ければ、この世の中は、すきまだらけです。文芸は、その不公平な空洞を、水が低きに流れるように自然に充溢させて行くのです。"
またKanye WestとKID CudiによるユニットKids See Ghostsの楽曲「Cudi Montage」より、
"Bring light to what they don't see(世間の目がいかないところに光を当てよう)"というリリックも紹介しておきたい。
KID CudiとKanye Westは黒人コミュニティをレペゼンするだけでなく、Hiphop界においていち早くPTSDや鬱病、躁鬱のような、まさに目に見えないところに光を当てたラッパーだろう。
これらはまさに文芸、ひいては芸術の、人種差別のカウンターカルチャーとしてあるHiphopの、そして経済発展し続けるアメリカに、世界に忘れ去られた貧困層の黒人コミュニティと荒んだフッドの現状を伝えるギャングスタ・ラップの態度だろう。
Vince Staplesはその態度を守り続けた。それも巧みな表現力で、色とりどりのライトによってフッドを照らし続け、世間が見て見ぬふりをする残酷なシステムを私たちに提示し続けているのだ。
また今作がニューヨーク・ブルックリンのラッパーFivio Foreignのアルバム「B.I.B.L.E.」と同日にリリースされたことも注目すべき点だろう。
Hiphopはまだまだ死なない。Old HiphopやOGを軽視するわけではないが、Hiphopは今が一番かもしれない。
むしろそれこそがHiphop黎明期の、OGの偉大さを物語っている。
もちろんHiphopはその全てを肯定するには未だあまりに多くの問題を抱える文化ではあるが(それを強い言葉で非難できないことも今作を通して理解できるはずだ。)、私はこの文化を生涯愛することになるだろう。
そう思わせてくれたVince Staplesに、その制作に携わった全ての人々に、Hiphopを大きくしてくれたOGに、その文脈にあるアーティスト全てに、私をHiphopに出会わせてくれた善なる神に感謝したい。
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