第二回め

こんばんわ。記念すべき第2回目。花金をベッドでごろーんってしながらこの記事を書いてます。

アメリカにきて、パンデミックになって、会社から帰って家でゆっくり映画観たり本読んだり、ジョギングしたり、そんな時間の過ごし方がすごく気に入ってるの。最初は少し寂しかったけど(まあ名古屋にいる時も残業ばかりでほとんど飲み会は行ってない)今は日本帰ってからもこうやってゆっくり過ごしたいなあ、と思っている。

それはさておき、まーから回ってきた課題。なんだっけ?こうでありたい自分、とかだっけ?  

普通の人ってそういうこと、どのくらい考えるんだろう‥?はい、挙手してください。

私は転校生としてずっと生きてきた身分だからか、どうも全体の中での自分の立ち位置だったり、キャラクターと言ったものに昔からすごく敏感だったし、常にどんな存在でいたいか考えてきた。たとえばクラスの中で、あの子とこの子が中心で、私はこのくらいの位置で、誰と仲良くすることでどうなるか、みたいなかんじ。すごく嫌なやつだけど、そんなかんじ。得にならない子とは付き合わない、とかでは全くないし、なんなら友達を選ぶのは好きではなかったから、選別したわけではなかったけども、逆に全員と仲良くできるような立ち位置を探してたかな。でいろんな子と遊んだらして話をすると、結局自分の中に何も語るものがなくて、自分ってすごい中身のない人間なんだなーって思った。だから高校、大学生の私のなりたい自分像は、人に刺激を与えられる人間になる、だったかなあ。それを目標に、ひたすら目の前の少しでも興味のある物に関わる努力をしていた、と思う。今思うと自信がなくて、出来るだけ多くの人に認められたかったのかもしれないね。

大きく飛んでいまは、どんな自分でありたいかというと、人を愛すことができる人間でいたい、と思うのよ。

ずっと人から認められる求められる好かれる事ばかりを考えてたけれど、アメリカ来て、だいぶ周りからの目を気にしなくなった結果、なのかな?どういう自分が好きか考えた時に、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?