論理的であること

論理的であることは学問でも社会でも多くの場面で必要とされます。

物事を体系立てて考え、課題を解決するには欠かせない能力だというのです。

確かに社会的に大きなインパクトを産む研究やコンサルティング、あとはいわゆる上流工程でこのキーワードを見かけます。
そういった成果を生み出してきたのは本当に論理性だったのか。

世の中にイノベーションを引き起こしてきた技術や概念は初めは馬鹿にされてきたといった旨の話をよく聞きます。
それらは成功した途端に持ち上げられ、最もらしい解説が添えられるのです。
体験談を読むたびに思うのは、論理性を重視していたらこの人たちはインパクトを与える事は叶わなかったのではないかという疑問。

論理性は道具だとディベート部の経験で強く実感した覚えがあります。
結論さえ固まっていれば、その論題で対戦相手となる対の結論を分析することで、どちらが正しいかの判定を左右させることが出来るのです。

物事の解決自体に論理性は必要あるのでしょうか。
インスピレーションから生まれた解決策をいかに納得させるかの目的で必要なのではないでしょうか。
あえて極端な言い方をすると、論理というまやかしのパズルによって構成されたアイデアで、どれだけの人間を取り込んで動かせるかこそが価値基準になるのだと思います。

一方で、解決策を考える本質部分は、紛れもなく人間の想像力が発揮される場面だと考えています。
ただ、この能力は一朝一夕で測るには難しく、訓練や集合知で賄いやすいのかもしれません。
結果、導かれた解答を彩るための論理性に重きを置く事で、仕事に対する即効性の高い人材を優先して獲得しているのかなと思い至りました。

私個人は論理的でありつつも、創造的でいたいですね。

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