情けは人の為ならず、己の魂の為

「自分の魂を満足させるために」
最近見かけた印象的なフレーズです。
その詳しい意味は述べられていませんでしたが、直感的に何を言いたいのか分かったような気がしました。

言語化するのに何かいい例は無いかと考えたところ、「お天道様」の概念が分かりやすいかもしれません。
このフレーズはそう頻繁に使うことはないものの、「お天道様に顔向けできない」と歴史ものなどで聞き覚えがある人は多いのではないでしょうか。

ここでいう「お天道様」こと太陽には様々な解釈をあてがうことが出来ます。
キリストや天照大御神にも通じるような、上位の存在が見張っているから悪いことをするなという戒律。
世間的に真っ当かどうかを陽の光が差し込むか否かで例えた比喩。
いわゆる周囲の人々の監視する目線を集合として捉えて、1つの存在に統合した象徴。
いずれにしても、「お天道様」のもとで胸を張って生きていられるかの決定は自分の心の中に託されます。
その託された相手こそ「魂」なのではないかと思い当たったのです。

己の全身全霊を持って、何の隠し立ても無い、素っ裸の状態で物事を判断する主体こそが「魂」ではないか。
「魂」への裏切り行為は、メンタルの不調の一因になりうるのではないか。

こういった考察を経て、私は「自分の魂を満足させるために」生きることにしました。
自分のあらゆる行動原理を思い返して、何が「魂」を満足させてくれるかを少しずつ考えてみることにしたのです。

余談ですが、「情けは人の為ならず」という諺を思い出しました。
本来は「他人への親切は回りまわって自分に帰ってくるから、他人の為というよりも自分の為」といった意味で使いますね。
ただ、個人的に考えた別の解釈があります。
「他人への親切は対象を幸せにする以上に、行動を起こすことによって自分の心を満足させることを目的にするから人の為ではない」
このアイデアは諺辞典で初めて見かけた当時から思っていたことを徐々に言語化した結果ですが、「魂」の考え方と非常に近いかもしれません。


人生を歩む上で他人を顧みることは無駄だと切り捨てるのは簡単です。
では、全く曇りのない真っ直ぐな面持ちで前へ進むために必要だと考えるとどうだろうか。
私の行動原理を少し読み解けたかもしれません。

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