律することの困難さ

仏教や修験道で聞く修行は、宗教的意義ばかりに目が行きがちになります。何日間飲み食いを制限されて極限状態へ追い込むことによって、新たな境地へ……。精神と肉体双方の鍛錬が必要になり、あらゆる欲望を抑制しなければならない日々。

そんな過酷な実践とまではいかなくても自分を律することの難しさは日常でも実感することは多いです。
実際に私もこうして毎日何かしらの思考内容を文字に起こして記録しようと頑張っているわけですが、ふと忘れがちになってギリギリになってしまいます。
基本的に目移りの激しいタイプなので、あれをやろうこれをやろうと思いついては放置していくことばかりです。また、軽い気持ちで考えただけなのに、やらなかったというだけで無力さにメンタルをやられてしまうこともしばしばあります。

軍隊のような規律とはまた違う、己の定めた一心を貫いていく自分との闘い。
些細な成功体験を続けていかなければならないなと思います。

無駄だと考えて粗末にしがちな細やかな日常の癖やルーティンを形にしてあげるだけでもいいのかもしれない。
自分は何を成し遂げられるかという簡単な問いに対して常に「ここまでならできる」という基準を生み出してあげたいものです。

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