文化財は本当に残す価値があるのか

私はデジタルアーカイブ化業務に2年携わり、寺社仏閣や博物館でスキャニングや撮影を行ってきました。

こういった活動の目的としては、歴史的資料のデジタル化による長期保存や活用が挙げられます。

たまに観光で目にする一般目線の感覚では、歴史的建造物は綺麗に保存されており、観光向けに整備されているのは当たり前のように思われることが多いですが、実際には上澄部分にしか当てはまりません。
歴史遺産的価値を持つ、あるいは観光資源として有用であれば、国や都道府県に頼らず独立してやっていけるくらいお金も人も集まってきます。
しかし、その他は国は地域に根付いた基盤に頼りつつ、補助金などをやりくりしていることが多いようです。

ここで疑問が生まれます。
果たして、何を残すべきなのか。
歴史的価値の小さいものは残さなくていいのか。

人的資源や予算は限られてきます。
その中で歴史的価値のあるものを優先して撮っていくことは自然の流れでしょう。

ただ、研究目的ならまだしも、遺産として受け継いでいくにはデータに残すだけでは不十分です。何かしらの手段で人と関わらないと真に受け継いでいくことにはなりません。人の住まなくなった家は風化が早く進んでしまうように。

私はその点において歴史的価値の大きさは些細な問題でしかないと考えています。
現に今まで受け継がれたその時点で多くの人間が触れてきた事実に間違いはないのですから。
歴史の大河に残ることもなく、教科書に載るまでもなく、たった一欠片に過ぎなかった人々の確かな痕跡が残っているのです。
歴史や文化を無理に学ぶ必要は無いと思います。
私たちが日本人として、あるいは日本という地に生きているのであれば、現代の姿を形作る前の存在を認めて心の中に留めておく。
ただそれだけでいいのではないでしょうか。

人間は重心を足2本の間で支えて立っています。どうやって体勢を維持するかは足元を把握した上で、無意識的に判断して筋肉を動かしています。
精神についても同様で、どういった環境でどのように育ってどのように生きていくか、心の重心を十分に支える土台が必要となります。
何が柱になるかは人それぞれであって、生きがいと呼べるようた絶対的な物もあれば家族、仕事、趣味などもあるでしょう。それを確かめる作業を生涯にわたって続けていくのでしょう。
ただ、シンプルに足元を見る。そこに元々何があったかを知る。
そうやって適切な立ち方を探すのも悪くない気がします。

文化財は本当に残す価値があるのか。
これはこのように言い換えられるでしょう。

私たちは自身の根底にある精神性をどの程度見つめなおしたいのか、と。

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