【魔拳、狂ひて】西洋人形の電話 四

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 翌朝。
 普段ならば、衛は朝食の前に軽いトレーニングを行うのだが、今日は休むことにした。
 起床後、二人はまず顔を洗い、昨晩の残りのカレーを温め直し、簡単な朝食をとった。
 それが終わると、食器を素早く洗い、書斎に置いてあるパソコンを起動させた。

「まずは、さっちゃんにつながる情報を探してみよう。さっちゃんのフルネームは分かるか?」
 椅子に座った衛が、傍らのマリーに尋ねる。
 洗濯してピカピカになったドレスをまとったマリーは、その問い掛けを受けて唸り始めた。
「んんんん……『さつき』って名前なのは分かるけど、苗字は憶えてないなぁ……」
「……それだけじゃあ、手掛かりとしてはちょっと弱いな。もっとはっきりとした手掛かりはないか? そういえば確か、引っ越しをしてたって言ってたよな。前の家の住所は分かるか?」
「ううん、分からない……」
 衛の質問に、マリーが申し訳なさそうな顔をして頭を振った。

「そうか……。以前の住所さえ分かれば、一歩前進するかと思ったけど、そう上手くは行かないか……」
 立ち上がったブラウザを見つめながら、衛は考え込む。
「他に何か思い当たるものはないか?地名でも、建物の名前でも良い」
「ん~……そうね~……」
 マリーが頭を抱え込む。
 頑張って、記憶の地層から名前を発掘しようとしていた。

「んん~……。……あっ、そういえば──」
 マリーが突然立ち上がり、掌をポンと打つ。
「何か思い出したか?」
「うん。確か、さっちゃんが小学校に入学したばかりの時に、あたしに向かって嬉しそうに何度も言ってたの。確か……ええっと……し……しらたま……? いや、違うなぁ……えっと……」
 眉を寄せながら、マリーが必死に思い出そうとする。
 その様子を、衛は冷静に見守っていた。

 その時、マリーの顔が、弾かれたように上を向く。
「そうだ、思い出した! 『しらはまだいさん』って言ってたわ!」
「『白浜第三』? 何かの名前か?」
「うん。『さつきはここに通ってるんだよ』って言ってたし、多分学校の名前じゃないかな」
「でかした。検索してみるか」
 衛は早速、検索エンジンのキーワードの欄に入力を始める。
 白浜第三──そこまで入れると、検索候補に『白浜第三小学校』と出てきた。

「見つけた」
「本当!?」
「ああ。『白浜第三小学校』。和歌山にあるみたいだな」

「和歌山──あっ!」
 マリーの目が見開かれる。
 再び脳内に、過去の記憶の電流が走っていた。
「そうだ……和歌山だ……! 車の中でウトウトしてる時、さっちゃんのパパが『そろそろ和歌山を出るぞ』って言ってた!」
「……よし」
 衛は仏頂面のまま、小さくガッツポーズをする。
 一歩前進した──その確信が、衛の中にはあった。

「それじゃあ、これからどうするの? 早速小学校に乗り込むの?」
 ウキウキとした様子で、マリーが問い掛ける。
 六年間探し続けても得られなかった手掛かりが、僅か数分で掴めた。その興奮に舞い上がっている様子であった。

 ──しかし、そんな彼女を、衛は片手で制した。
「いや、『今すぐに』って訳にはいかない。キッチリと筋を通してから行くべきだ」
 そう言うと、ズボンのポケットから携帯電話を取り出す。
「『すじ』?」
「ああ。電話を一本入れとくだけだ。アポを取らないで行ったら、向こうからは怪しまれるし、多分追い返されるだろうからな」

 モニターに映し出された、小学校のHP。
 そこに記載されている電話番号を、衛は素早く入力した。
 呼び出し音が耳に入って来るのを確認し、マリーにも聞こえるよう、スピーカーホンに切り替える。
 それからしばらくして、気だるげな女性の声が聞こえてきた。

『はい、白浜第三小学校です』
「朝早くから失礼いたします。私は、東京で探偵をしております、青木衛と申します」
 衛が丁寧に挨拶をする。

 探偵というのは、衛の表向きの職業であった。
 一般人に対して退魔師だと告げると、怪しまれるどころか、間違いなく不審な人物だと断定されてしまう。
 しかし探偵と名乗れば、多少胡散臭いと思われることはあっても、退魔師と名乗った場合よりもまともな反応が返って来る。
 そのため衛は、調査等を行う際、探偵と名乗ることがあった。

『探偵……? は、はあ……それで、どういったご用件でしょうか……?』
 電話越しに、戸惑った女性の声が聞こえてくる。
 その言葉に対し、衛ははっきりと用件を告げた。

「……実は昨日、人探しの依頼を受けまして。六年前にそちらの学校に通っていたと思われる『さつき』という名前の女子生徒を探しているのです。よろしければ、何か情報を提供していただけないでしょうか?」

 しばしの沈黙。
 その後、言い難そうな空気を纏った声が返って来た。
『あ~……申し訳ございません、それは個人情報などの兼ね合いもありまして、お伝えするのは難しいのですが……』
「そこを何とかお願い出来ないでしょうか。ほんのわずかな情報でも構わないんです。彼女の足取りを掴むことさえ出来れば──」
 ここで引く訳には行かない──そう思い、衛は電話に食い下がる。

『んん……。そうですね……。ううん……。何と言ったらいいか……』
 相手は歯切れの悪い反応を示す。
 この御時世、個人情報を悪用しようとする者はいくらでもいる。
 下手に情報を明け渡してしまえば、大問題に発展するかもしれない。
 電話の相手が渋るのも、衛には理解出来た。

 しかし、さつきに繋がる情報を得ることが出来るのは、もしかしたらここだけなのかもしれない。
 だからこそ、ここで引き下がるわけにはいかない──衛はそう思い、辛抱強く待った。
 だが、待てども待てども、相手は唸るばかりで、了承することは無かった。

(まだ足りないか。……もう一押ししてみるか)
 そう思い、衛が口を開いた──その時であった。

「お願い!さっちゃんに会いたいの!どこにいるのか教えて!」
 衛の横から、少女の大きな声が発せられた。
 マリーの声であった。

「おいマリー……!」
『なっ、何ですかあなたは……!?』
 電話から、女性の狼狽えた声が聞こえてくる。
 先程まで冷静そうな声を持った青年と話していたのに、突如、相手が幼い少女の声に変わったのである。女性が驚くのも無理はなかった。

 衛はマリーを制止しようとした。
 しかしマリーは、衛の電話をひったくると、大きな声で己の気持ちをぶつけた。
「お願い、お願い! どうしてもさっちゃんに会わなきゃいけないの! ずっとさっちゃんを探し続けてるの! お願い、さっちゃんの場所を教えて! さっちゃんに会わせてっ!!」
 叫び続けるマリーの表情が、徐々に悲しそうな顔に変わる。
 その手から、衛は優しく電話を取り上げた。

「……落ち着けって。焦る気持ちは分かる。でも、感情的になったら言うことを聞いてくれるって訳じゃないんだ」
「でも……でも……!」
 マリーの目に涙が滲む。
 六年間探し続けた情報がすぐそこにある。
 もう手が届く距離なのに──そう思うと、マリーは己の無力さが歯痒かった。

 衛は溜め息を一つ吐くと、相手に謝罪した。
「……お騒がせして申し訳ありません。今の女の子が、さつきさんを探している依頼人です。無理なお願いをしていることは重々承知しております。ですが、どうしても彼女をさつきさんに会わせてあげたいんです。どうか教えていただけないでしょうか──」
『は、はあ……えっ?』
 その時、女性の声が小さくなり、若干聞こえずらくなった。
 どうやら、電話の向こうで他の誰かが話し掛けたらしかった。

『──えっ?……は、はい……。──も、申し訳ございません、少々お待ちいただけないでしょうか?』
「はい、分かりました」
 衛が了承すると、すぐに保留音が聞こえてきた。

 それから数十秒程経過した頃、スピーカーから再び声が発せられた。
『代わりました、校長の林田です』
 先程の気だるげな女性の声ではない。
 低く、力強い男性の声であった。

(しめた……!)
 校長という単語を聞き、衛はチャンスがやって来たと感じた。
 学校のトップに直接交渉すれば、上手くいくかもしれない。
 そう思い、衛は再び、かしこまった様子で挨拶をした。

「初めまして、校長先生。私は、私立探偵の青木衛と申します」
『そちらの事情は、大体伺いました。何でも、さつきという名の女子生徒を探しているとか』
「はい」
『先程、我々にも女の子の大きな声が聞こえてきたのですが、彼女が依頼人だそうですね?』
「はい」
 そこで林田は、むう、という唸り声を上げた

『こちらもお仕事の協力をしたいのですが、なにしろこの御時世ですから……。個人情報をお伝えするというのは、余程信頼の出来る人にしか出来ないのです』
「承知しております。ですが、さつきさんに至る手掛かりは少なく、もうそちらにお尋ねするしか、私達には手が残されておりません。どうか、ご協力をお願い出来ないでしょうか──」
『ふぅむ……』
 衛の真剣な言葉に、林田が悩み声を発する。
 これから如何すべきか、考えあぐねている様子であった。
 これが最後のチャンスだ──衛はそう思った。
 眉をひそめ、林田の回答を待ち続ける。

 数秒後、再び林田が声を発する。
『青木さん……と、仰いましたね。大変申し訳ないのですが……その依頼人の女の子と一緒に、こちらに来ていただくことは出来ますか?』
「はい、大丈夫です」
 林田の尋ねに、衛は即答した。
『分かりました。では、実際にお会いして、あなたが信用出来る方だと確信出来たら、さつきさんの情報を提供致しましょう』

 その言葉に、衛が僅かに目を見開く。
 マリーも、悲しそうな顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか……! ありがとうございます!」
 衛が礼の言葉を口にする。
 声には僅かに、安心したような響きが含まれていた。

 林田はその声に対し、はははと笑い声を上げた。
『いえいえ。こちらこそ、御足労をかけます。日程はどうしましょうか? 学校が開いている日ならばいつでも大丈夫ですよ。何なら、今日でも構いませんが……』
「ありがとうございます。それでは、これから出発致します。到着はおそらく昼頃になると思うのですが、宜しいでしょうか?」
『ええ、構いませんよ、それでは、道中お気をつけて』
「はい、失礼致します」
 再び礼を言いながら、電話越しの相手に頭を下げる。
 電話が切れた後も、衛は頭を下げ続けていた。

 しばらくして、顔が正面を向く。
 両目は鋭く、瞳に活力が漲っていた。
「……よし」
 そう呟くと、ハンガーに掛けてある、黒いテーラードジャケットを羽織った。
遅れて、マリーも顔を輝かせながら立ち上がる。
「やった……やった……!」
 ──もしかしたら、思った以上に早くさっちゃんに会えるかもしれない。
 そう思い、希望に胸を膨らませていた。

 状況は、確実に進展していた。
 もし、さつきが通っていたのが本当に白浜第三小であれば、当時の記録や資料が何かしら残っている可能性がある。
 また、小学校の近辺には、当時のさつきを知る者がいるかもしれない。
 その人物に接触出来れば、更なる手掛かりが掴めるはず──衛はそう思い、己の心から強い意志が湧き上がるのを感じていた。

 テキパキと準備を済ませ、靴を履く衛。
 電話を終えてから、五分も経っていなかった。
「それじゃあ行くぞ。付いて来いマリー」
「うん!」
 マリーの準備も完了していることを確認し、衛は玄関の扉を開いた。
 二人の心は清々しい程に晴れ渡っていたが、空の模様は今にも雨が降り出しそうなほど曇っていた。

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