【魔拳、狂ひて】西洋人形の電話 三

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 その少女──マリーは、静まり返ったリビングのソファーの上で目を覚ました。
「ん……うう……」
 自分は何故こんな所で寝ているのか。
 そもそも、ここはどこなのか。
 少女の記憶は若干混乱していた。

「気が付いたか」
 唐突に声が掛けられる。
 少女は、声のする方向に顔を向けた。
 その可愛らしい顔が、恐怖で歪んだ。
「え──ぎゃあ!?」
「人のツラ見るなり『ぎゃあ』はねえだろ」

 少女の視線の先──机を挟んだ向かいのソファーには、悪人面の青年が座っていた。
 もちろん、青木衛である。
 目を覚ましたすぐ傍に、このような恐ろしい顔をした者がいたのでは、少女が悲鳴を上げるのも無理は無かった。

「お、思い出した……ここは……!」
 記憶が蘇る。
 少女は、『魔拳』と呼ばれている退魔師の住居に襲撃を仕掛けたのである。
 だが、魔拳の背後を取ったまでは良かったものの、こちらが攻撃をする間もなく、一瞬で気絶させられてしまったのだ。

「ひっ……に、逃げっ、逃げなきゃ──ってあれ、動けない!?」
 すぐに逃げ出そうとする少女。
 だが、ソファーから立ち上がることはおろか、起き上がることさえ出来なかった。
 それもそのはず。今の少女の首から下は、小さめの布団と紐で念入りに縛り付けられ、簀巻きにされていた。

「な、何よこれェ!?」
「見りゃ解ンだろ。拘束させてもらったんだよ。反撃されたり逃げられたりしたら色々面倒だからな。さて──」
 衛が手の骨をバキバキと鳴らす。
 少女を見下ろす両目が、すっと鋭くなった。

「目を覚ましたことだし、早速尋問に移る。女子供に乱暴をする趣味はねえが、敵とあらば容赦はしねえ」
「ふ……ふん! 何をしたって無駄よ! あたしを舐めないでよね!」
 衛の脅しに、少女は芋虫のようにもぞもぞと動きながら、反抗的な態度を見せる。
 しかし、言葉の内容は気丈なものであったが、瞳の中には確かに怯えの感情があった。

「随分と強気だな。だが、大人しく話した方が身の為だぜ。さもなくば──」
「……さ、さもなくば……?」
 衛は右手を掲げ、力を込めてゴキゴキと動かす。
 そして、声のトーンを一つ落とし、こう言った。

「……てめえの顔面を握り潰し、野良犬の餌にする」
「ひっ! い、言います言います!!」
 一瞬で少女は屈服した。
 幾多の修羅場を潜り抜けた退魔師の凄みに、少女が耐えられるはずもなかった。

 その反応を見て、衛が一つ溜め息を吐く。
 そして眼光を若干和らげ、声のトーンを戻して語り掛けた。
「それじゃあ早速聞かせてもらう。名前は確か『マリー』だったな」
「え……ええ、そうよ。あたしはマリー。西洋人形の妖怪よ」
 マリーは警戒しながら、おずおずと話す。

「どうして俺を殺そうとした?」
「こっ、殺そうとなんてしてないわよ!ただ、ちょっと痛めつけて気絶してもらおうと思っただけで……」
「何?どうしてそんな真似を」
「……他の妖怪から襲われないようによ」
 その返答に、衛が眉をひそめる。
 事情がさっぱり呑み込めなかった。

「……どうも分からねえな……。とにかく、詳しく話せ。どういう経緯で、お前が俺を襲うことになったのか」
「う、うん」
 衛の様子からは、先程までの凄みが失せていた。
 それに安心したのか、マリーも警戒を解き、大分リラックスしたような調子で語り始めた。

「……あたしは元々、只の人形だったの。贈り物にされたり、骨董屋に売られたりして、何度も持ち主が変わっていった。そうして色んな人の所を渡り歩いているうちに、あたしの中に心が芽生えた」
 そこでマリーの表情が、若干明るいものになった。
「……あたしに心が生まれた時、あたしの持ち主だったのは、一人の女の子だった。さっちゃんっていってね、とっても明るくて、笑顔が素敵な優しい女の子だった。その子のパパが、あたしを骨董屋で見つけて、さっちゃんにプレゼントしたの」
 マリーは嬉しそうな調子で話し続ける。
 その持ち主の事が、余程好きだったのであろう。
 緊張した調子が完全に抜け落ち、饒舌になっていた。

 その様子を見た衛が、マリーに問い掛ける。
「そのさっちゃんって子は、今どうしてるんだ?」
 その言葉を聞き、マリーの表情が硬くなる。
 徐々に暗い表情になり、そしてぽつりと答えた。
「……分からない」

「分からない?」
「うん……。あたしが最後にさっちゃんと一緒にいたのは、さっちゃんの家族と一緒に車に乗るところ。何かの都合で引っ越しをすることになって、新しいおうちにいくことになってたの。でも──」
 マリーの表情が、ますます暗くなっていく。
 不安げな様子が見て取れた。
「気が付いた時、あたしはどこかの海岸に打ち上げられてた。周りには誰もいなかった。さっちゃんも、さっちゃんのパパとママも」
「……」
 不安そうに語るマリー。
 その言葉を、衛は黙って聞いていた。

「……寂しかった……本当に寂しかったの……。その時、あたしには心はあったけど、体を動かすことは出来なかったから、何日もその海岸に転がってた……」
「……」
「さっちゃんに会いたいって気持ちが強すぎて、その内あたしは完全な妖怪になって、人間のような体を手に入れた。動けるようになって、まず最初にしたのは、さっちゃんを探すことだった……」
「……」
「ずっと探してたの……何日も……何ヶ月も……。その間に、悪い妖怪に何度も襲われた。何とか逃げ続けて、それでもさっちゃんを探し続けて……気が付いたら、六年も経ってた」

 その時、マリーの目に涙が浮かんだ。
 口は震え、次の言葉を発するのも辛そうな様子であった。
「そして、気付いたの……『あたしは捨てられたんだ』って……」
「……」
 マリーの目から、涙が零れ落ちる。
 衛は、相変わらずの仏頂面であったが、心の内では、大切な者との別れる辛さに共感していた。
 そんな彼女に対して、何か言葉を掛けようかとも思った。
 しかし、その悲痛な姿を前に、掛ける言葉が見つからなかった。

「それからあたしは、ただひたすら妖怪から逃げ続けた。逃げても逃げても、何度も襲われた。その途中、『魔拳』って呼ばれてる退魔師の噂を聞いたの。どんな強い化け物も、拳一つで退治できる退魔師。あんたのことよね……?」
「……ああ。他の妖怪共はそう呼んでる」
 マリーの問い掛けに、衛がようやく答えた。
 己の声とは思えないほどの低く掠れた声が、衛自身の口から零れた。

「その時のあたしは逃げ続けるので精一杯だったから、その噂を聞いても何とも思わなかった。……でもある日、噂を聞いたの。あたしを襲おうとしてた二匹の妖怪が、あんたに退治されたって」
「……俺が?」
「うん。噂では、その妖怪が、あんたのことをすごく怖がってたって聞いた。他にもあんたのことを怖がってる妖怪が、大勢いるってことも」
 衛が眉をひそめる。
 衛はこれまでに、数えきれない程の妖怪を狩っている。
 マリーを襲った妖怪の正体は、見当もつかなかった。

「その時思い付いたの。そんなに怖がられてる退魔師をあたしが倒せば、他の妖怪から襲われることもなくなるんじゃないかって」
「成程、そういう訳か」
 衛がようやく合点がいったという顔をした。
 そして一言付け加える。
「……妖怪から逃げ回ってた割には、えらく度胸のある思い付きだな」
「……自分でもそう思う」
 マリーがばつの悪そうな顔をした。

「第一、どうやって俺を倒すつもりだったんだ。何か妖術が使えるのか」
「い、一応は。……念話と、人物探知だけだけど」
「『人物探知』?」
「うん。道具に妖気を送って、道具の中に残った記憶を読み取って、道具の持ち主の居場所を突き止める妖術なんだけど」
「へえ、便利な妖術持ってんじゃねえか。……でも、攻撃するための妖術は持ってねえんだな」
「うぐ……そ、そうよ。あたしには、闘うための力は全くない。だから、普通に襲っても、絶対に返り討ちにされるって思った。……それで、考えたの。有名な怪談と同じ方法で襲えば、怖がって隙を見せてくれるんじゃないかなって。それで、念話を使って電話を掛けて『メリーさんの電話』の真似をして襲っただけど……失敗だったみたいね」
「……まあ、悪霊とか妖怪とかには慣れてるからな」
 そう言うと、衛は溜め息を吐いた。

「……取り敢えず、大体の事情は分かった。それで、お前はこれからどうするんだ?」
「え、これから……?」
「ああ。俺を倒す作戦は失敗に終わった。もし失敗したら、その後はどうするつもりだったんだ?」
 マリーが不安そうな顔をする。
 しばらく黙り込み──やがて、ぽつりと答えた。
「考えてなかった……とにかく必死だったから……」

「……やりたいこととかも無かったのか? 作戦が上手くいった後の目的とか……」
「分からない……分からないよ……でも……」
 ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
 そして一言、消えそうな言葉で呟いた。

「さっちゃんに……会いたい……」

 再び、マリーの目に涙が込み上げる。
 それから一拍置いて、衛が問い掛けた。
「会ってどうすんだ? 一度捨てられてる上に、もう六年経ってる。またお前を家に置いてくれるかどうかは分からねえぞ」
「うん……分かってる……あたしは人形だから……いつかさよならしなくちゃいけない時が来るんだって分かってるよ……でも──」
 次の言葉を発する前に、マリーの顔がくしゃりと歪む。
 その表情の上から、涙が零れ落ちていた。

「このままさよならなんて……絶対にいや。……せめて最後に、どうして捨てたのか聞きたい。……ううん、聞けなくてもいい……聞けなくてもいいから──」
 声が震える。
 嗚咽を堪えながら、思いの丈を言葉にし、衛にぶつけた。
「さっちゃんに、さよならが言いたい……! ……最後に、一度だけでいいから……!さ っちゃんに……会いたい……! ……ぅっ……うぅっ……!」
 そう告げると、マリーは静かに泣き始めた。
 静まり返った部屋に響く、幼い少女の悲しい泣き声。
 それを聞きながら、衛は神妙な顔で、これから自分がどうすべきかを考えていた。

 泣き声が徐々に小さくなっていく。
 それからしばらく経った時であった。
 唐突に、くう、という音が鳴った。
 空腹を告げる音であった。
 しんみりとしたその場の空気に似つかわしくない、可愛らしい音であった。

「……?」
 衛が呆けた顔をする。
 衛の腹の音ではない。
 音の出所は、簀巻きにされたマリーの腹であった。
「……ぁぅ」
 マリーが恥ずかしそうに目を逸らす。
 泣き腫らした顔が、更に赤くなっていた。

「……。……はぁ……」
 衛が一段と深い溜め息を吐く。
 ゆっくりと立ち上がり、簀巻き状態のマリーに近寄る。
 そしておもむろに、紐を解き始めた。

「……ちょっと待ってろ」
「……え?」
 マリーを解放すると、衛はキッチンの方へ歩いて行った。その時既に、衛はこれからどうすべきか腹を決めていた。

 ──それからしばらくして、衛がリビングに戻って来た。
 両手の上には皿が乗っており、リビングを包み込むようなジューシーな匂いを発している。
 衛は無言で、その二枚の皿を、机の上に置いた。
 皿の上には、カレーがよそってあった。
 片方の皿には、カレーの上からラップがしてあった。

「食え」
「えっ……?」
 衛は、ラップが貼られていない方の皿をマリーに差し出す。
 その唐突な行動に、マリーは一瞬拍子抜けした。

「食えよ。逃げ続けてる間、ろくにメシ食ってねえだろ。今の内にたらふく食っとけ」
 衛が無表情のままそう告げる。
 ぶっきらぼうな言い方であったが、その声には微かに優しさがこもっていた。

「い、良いの……?」
「良いぞ」
 衛が冷蔵庫から麦茶入りのペットボトルを出す。
「……これ、毒とか入ってない?」
「入れるか。メシに対する冒涜じゃねえか」

 衛は二つのコップに、麦茶を注ぎながら続けた。
「……それから、それ食ったら風呂に入れ。寝るときは、空き部屋を一つ貸してやる。今日はゆっくり休め。明日から忙しくなるからな」
「え……どうして?」
「決まってんじゃねえか」
 衛がコップを優しく机に置く。
 自身もソファーに座り、マリーの目を真っ直ぐに見つめ、はっきりと言った。

「さっちゃんを探すんだろ。俺が見つけてやる」
「え……!?」

 その言葉に、マリーが驚愕する。
「なっ……何で……? どうして……!?」
「関わっちまった以上、このまま放っとく訳にもいかねえだろ」
「い、良いの……? 本当に良いの……!?」
「ああ。もう決めた。男に二言はねえ」
 そう言い、カレーに掛かったラップを剥がしながら続けた。

「ただし、さっちゃんを見つけた後のことは、お前が考えろ。そこから先はどうするか、どうやって生きていくのかをな」
「う……うん……うん……! ありがとう……!」
 マリーの顔がぱっと明るくなる。
 先程までの悲しい表情が、一瞬で吹き飛んでいた。

 その様子を見て、衛の雰囲気も若干柔らかくなった。
 そして、再びマリーに優しく語り掛けた。
「さあ、早く食えよ。味には自信があるけど、冷めちまったら台無しになるぞ」
「う、うん!いただきます!」
 そう言うと、マリーは幸せそうな顔で、カレーを口にする。
「いただきます」
 それに続くように衛も丁寧に合掌し、カレーを頬張った。

 口に入れた途端、甘さとコクが広がる。
 それに遅れて、じわりと辛さが湧き上がる。
 ゆっくりと咀嚼し、味を堪能し──しっかりと飲み込んだ。
 ──美味い。

「……うっ──」
「?」
 不意に、前から妙な音が聞こえた。
 衛が顔を上げる。
 そして、理解した。
 音の正体は、マリーの声であった。

「うっ……ぅぅ……っく……」
 マリーは、泣いていた。
 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして、カレーを食べ続けていた。

「…………。……美味いか?」
「……っく……うん……」
 衛の問い掛けに、マリーは泣きながら頷く。
 その反応に、衛は僅かに目を細め──そして促した。
「……お代わり、いっぱいあるからな」
「……うん」

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