【魔拳、狂ひて】西洋人形の電話 一
1
──……マリー……マリー……──。
声が聞こえる。
女の子の明るい声が、あたしを呼んでいる。
その声を聞いて、あたしの心臓がトクンと高鳴った。
あたしの大好きな女の子。
あたしの大好きなお友達。
あの子が呼んでいる。
眠ってる場合じゃない。
眠ってなんかいられない。
今日もあの子に会いに行かなくっちゃ。
──眠りから目覚めると、目の前に、お日様みたいに笑っている女の子がいた。
女の子は、大好きなママのまねをするように、あたしに優しく声を掛けた。
「おはよう、マリー。もう朝ですよ。はやくおきないと、パパとママにおいていかれちゃいますよ」
おはよう、さっちゃん。
あたしったら、またお寝坊しちゃったね。
あれ? パパとママに置いて行かれちゃうって?
さっちゃん、今日はどこかにお出かけするの?
「きょうはね、おひっこしをするんだよ。これから、あたらしいおうちにいくんだよ」
お引っ越し?
ああ、そうだったわね。 昨日、パパとママと知らないお兄さんが、忙しそうに机やタンスを運んでたっけ。
あのお兄さんは、お引越しのお兄さんだったのね。
お部屋の中が空っぽになってるのは、そういうわけだったんだ。
さっちゃんが、あたしを優しく抱きかかえる。
まるで、赤ちゃんをあやすママのように。
「さあマリー、いこう? お外でパパとママがまってるよ」
うん、さっちゃん。
パパとママに置いて行かれちゃうもんね。
大好きな人に置いて行かれたら、とっても寂しいもんね。
お外に出ると、パパとママが待っていた。
パパは車の運転席に座っている。
ママは車のそばに立っている。
「おっ。さつき、もう準備はいいのかい?」
「うん!」
パパがニコニコしながら、さっちゃんに声を掛ける。
ごめんねパパ、あたしがお寝坊したから、遅くなっちゃった。
「もう出発するわよ。さあ、シートベルトをしましょうね」
ママもニコニコ笑いながら、さっちゃんを席に座らせた。
よかった。パパもママも、怒ってないみたい。
席に座ったさっちゃんが、シートベルトを締める。
あたしにはシートベルトは必要ない。
だって、さっちゃんが両手で優しく、しっかりと抱きしめてくれているから。
「さつきは本当にマリーちゃんが大好きだな。まるで本当のお友達みたいだ」
「そうねえ。いつも一緒にいるんだもの。私ももう家族の一員みたいに感じちゃってるの」
「『みたい』じゃないよ! 本当のおともだちだよ! 本当の家族だよ!」
パパとママの言葉に、さっちゃんが笑いながら答える。
ありがとう、さっちゃん。
あたしもさっちゃんのこと、大好きなお友達だと思ってるよ。
大事な家族だと思ってるよ。
その時、さっちゃんがちょっぴり寂しそうな顔をした。
そして、あたしだけにしか聞こえないような小さい声で、ぽつりとつぶやいた。
「ねえマリー……。あたらしい学校で、おともだちできるかな……? みんな、さつきとなかよくしてくれるかな……?」
大丈夫だよ、さっちゃん。
さっちゃんが良い子だってこと、あたしは知ってるよ。
きっとみんなも、さっちゃんが良い子だって思うはずだよ。
みんな、さっちゃんのお友達になってくれるよ。
それに、もし出来なくっても、あたしがいるよ。
だから、そんなに寂しそうな顔をしないで。
あたしに向かって、笑って話し掛けて。
いつもみたいに、元気になって。
「さあ、そろそろ出発しようか」
パパが車のエンジンをかける。
車は一度、大きい音を出すと、ゆっくりと動き始めた。
あたしは、さっちゃんに抱き抱えられながら、しばらく車の揺れを感じていた。
そして、さっちゃんとの新しい生活が、どんなに楽しいものになるかを想像しながら、もう一度眠ることにした。
──新しいお家は、どんなところなのかな?
どのくらいで着くのかな?
眠っている間に、お家に着くかな?
お家に着いたら、さっちゃんと何をして遊ぼうかな……──?
──あたしの名前は、マリー。
西洋人形で、この家族の一員。
そして──さっちゃんの、大切なお友達。