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震災でうしなわれた命に向き合う物語――『まさきの虎』濱野京子さん・こうの史代さんインタビュー


『まさきの虎』(濱野京子・作 こうの史代・絵 童心社刊)

『まさきの虎』
濱野京子・作 こうの史代・絵

――これが、ぼくの虎。
あれは、だれが口にした言葉だろう。
5年ぶりに戻ってきた、リアス式海岸の海と緑の町。
震災の傷を残したこの地で真莉愛は自身の記憶のカケラを追うことになる。


左から、こうの史代さん、濱野京子さん


濱野京子さん、こうの史代さんによる新作、『まさきの虎』
この物語がどのように生まれたのか、これからを生きる子どもたちに伝えようとしていることとは――。
おふたりのお話をうかがいました。

物語のはじまり


――『まさきの虎』の舞台は、東日本大震災の被災地です。濱野さんの中でこの物語はどのようにはじまったのですか?


濱野:これは聞かれがちなことですが、私にとってとても答えづらい問いでもあるんですよね……。
私はこれまでも、『石を抱くエイリアン』(2014年・偕成社)、『この川のむこうに君がいる』(2018年・理論社)を東日本大震災をモチーフに書いてきました。ほかにも、直接的ではないにせよ、あの震災がなければ書かなかった物語がいくつかあります。
『まさきの虎』は、2013年に釜石の郷土芸能「虎舞」に出会ってから8年あまり経った2021年ごろから書きはじめたものです。その8年間というのは、震災から経過した時間であるとも言えますね。
ふりかえると、これは時間を置いたからこそ書けた物語なんだろうと思うんです。震災を直接語るのではなく、「記憶」について考えたい、それがこの物語を書くきっかけになりました。
主人公の真莉愛は被災地に戻ってきて、震災でなくなったまさきという少年の記憶をたどっていきます。でもまさきは、真莉愛にとっていわば「縁の薄い人」なんです。身内でも親しかった友だちでもない。そんな人を失うというのはどんなことなんだろう? と。

――「虎舞」のことは、濱野さんの中にずっと眠っていたということでしょうか。


濱野:見せていただいた当時は、これが物語になるなんて思ってもみませんでした。ただそのとき、ある方の「家族をすべて失った」というお話を聞きました。それで、まさきくんという人物が、家族とともに亡くなったあとどう記憶されていったのか――、と物語が動いていったんです。

原画を見ながら語り合う(右から)こうの史代さん、濱野京子さん


――こうのさんは、原稿をはじめて読んだとき、どんなことを感じましたか?

こうの:とても静かな物語だと思いました。
主人公の真莉愛が、自分の心と向きあうお話なんですよね。心の物語を絵にするというのはとても難しいのですが、その世界をこわさないように描きたいと思いました。どんなふうに描こうかとワクワクした気持ちでいました。
この物語の中には、仙台、遠野、花巻などの地名も出てきます。そういった場所については、はっきり具体的に描きたいと思いました。読者も真莉愛といっしょに向き合ってもらおうという気持ちで。
濱野さんの言う「記憶」、とくに「縁の薄い人」の死をどう考えるのか、というのは、私自身東日本大震災を描くときにはじめから意識していたことでした。それは私自身が「縁の薄い人」だからなんです。東北出身でも、東北に親戚がいるわけでもない。だから「自分に描く資格が、権利があるのだろうか」と考え、ためらいます。当事者ではないのに、人の心に土足で踏み込んでよいのかと。でも私は、当事者、つまり「中の人」とは誰なのか、と考えるんです。
外国の人にとっては、東北の人も私も、東日本大震災を経験した日本人として「中の人」になるでしょう。被災者の方の中にも被害の程度はさまざまありますし、「中」と「外」を考えだしたらキリがないんですよね。だからこそ私は、そのためらいを乗りこえて、私よりもっと「縁の薄い人」に届けようと描いてきました。

――今回絵を描く際に工夫したこと、考えていたことはありますか?


こうの:絵というのはとても情報量が多いものです。真莉愛が自分の内面と向き合う物語である以上、はたから見た真莉愛はあまりわからないようにしておきたいと考えました。真莉愛の顔を正面からしっかりと描いたのは、最後の最後だけです。
そして、まさきくん。物語の中ではすでに亡くなっているので、リアルタイムでは出てこないんです。存在感をどう出していくか考え、さまざまな場面にちょっとずつ登場させることにしました。

カバー、本文の原画


濱野:読んでいただいた方には、「実はここにまさきくんがいるんだよ」と私もお話ししているんですよ。
初めて表紙を見たときは、「ああ、こうのさんの絵だ!」と思い、うれしかったです。表紙に描かれた雲がすごいですよね。虎の形やひげなど、ここまでリアルな雲は実際にはないけれど、夕方、もこっとして少し赤みが差した雲を見かけると「こうのさんの雲だ!」と思います。

こうの:裏表紙には、物語で描かれているころより少し大きくなった真莉愛の姿も描きました。ちょっと未来の真莉愛の顔をしっかりと見せたかったんです。

東日本大震災を描くということ


――こうのさんの描く絵の中にも、真莉愛の物語が紡がれているんですね。東日本大震災における「記憶」を見つめる今回の物語ですが、おふたりともそれぞれに、被災地を何度も訪れてきました。そのときに目にしたこと、感じたことについてお話しいただけますか。


濱野:はじめて被災地を訪れたのは、2011年の7月です。北上市にいた知り合いの方が、「見るだけでも見た方がいいよ」と声をかけてくれました。
そのとき、津波の被害を受けたエリアで、道を一本隔てて被害状況が全く異なる、という現実を目の当たりにしました。自然災害の理不尽さを感じ、生きることとはなんと不条理なのだろうと感じました。きっとどちらに暮らす人もいたたまれない思いだったのではないだろうか、と想像し、それが震災を書いていくときのベースになったと思います。2012年の秋には福島を、そして2013年、釜石を訪ね虎舞と出会いました。
でも、現地に行ったから、見聞きした状況をくわしく物語に書きこむということではありません。ただ自分自身が五感で受け取ったものすべてが、文章のそこここににじみでると思うんです。そうすることで、物語の遠景が立体的になってくる、そんな感覚があります。

こうの:私はかつてアシスタントをしていた漫画家のとだ勝之さんに声をかけていただいて、被災地の空港にイラストを展示する、という取り組みに参加したことがきっかけで被災地を訪ねました。
福島空港、山形空港、いわて花巻空港と1か月ごとに絵が展示され、私も被災地の方と交流しました。花巻空港を訪れた時、盛岡出身の知り合いの編集者が来てくれ、その足で釜石や大槌町へ連れていっていただきました。
この時代に生きているということは、ある意味ではとても貴重なこと。だからこそ作品として描くかどうかの前に、きちんと見ておきたいと思ったんです。大量のがれきがまだあったんですが、現地の方は「きれいになった」とおっしゃっていて……。どれほど大変な状況だったのだろうと思いました。

――真莉愛のように、人とのご縁をたどり被災地へと入ったんですね。


こうの:物語の舞台になっている2016年は、ちょうどあちこちの被災地をめぐっていたころで、そのとき撮った写真もありました。ただ「虎舞」を見たことはなかったので、今回絵にとりかかる前に見ようと思ったんです。
どうせならもう一度イギリス海岸も見たい、仙台の七夕祭りも見ておきたい、とあちこちへ出かけて行くことになりました。真莉愛といっしょにめぐっていくようで、楽しかったです。
最終ページの絵は、いわて花巻空港で待ち時間に描いたんですよ。思い出深い1枚です。


――そうだったんですね…! それを知ってあらためて見ると、とても感慨深いです。


濱野:仙台の七夕祭りは圧巻ですよね。私が行ったときは解説していただけるツアーに参加したので、初めて知ることがたくさんありました。
なかでも平和七夕のことがとても印象に残っています。千羽鶴の吹き流しがあるその場所は、仙台空襲があった中心地だということでした。そして復興七夕も、とても美しくて……。
すでに原稿はできあがっていましたし、そのこと自体は物語の重要な部分というわけではないのですが、どうしても書きたくなって、だいぶ書き直しました。編集の方にはご迷惑をおかけしてしまいました(笑)

『まさきの虎』(濱野京子・文 こうの史代・絵 童心社刊)より


子どもたちへ、「外」にいるすべての人へ


――濱野さんとこうのさん、それぞれに被災地をご自分の足で訪ね、ご自分の目で見て受けとめたことが、『まさきの虎』でひとつになったのだと感じます。東日本大震災からまもなく14年。この『まさきの虎』を読む子どもたちの多くは、震災を経験していません。そんな読者のみなさんに、この本をとおして伝えたいことはありますか。


濱野:あの震災を実感としてわからない世代がそれだけ育ってきている、という時間の流れに驚きます。震災に限らず、戦争でもどんなできごとでも言えることですが、やはり語りつぐことの困難さを感じますね。
東日本大震災からは時間が経ちましたが、昨年には能登を大きな地震が襲いました。そうやって、生きていく限り災厄というのは起こるんです。災害でなくても、環境問題や戦災など、混迷を深めている今の社会の中で、どうやって生きていけばいいのか、その問いは、私が作家を続けている理由でもあるんです。「人はなぜ生きるのか」「よりよく生きるとはどういうことなのか」という問いを、私はずっと手放せずにいます。だからこそ、それを読者と共有できているのではないかと思うんです。

こうの:私が伝えたいと思うのは、子どもに限らず「遠い世界にいる人」です。
2011年3月11日の東北で起きたことに対して、子どもは時間的に離れた存在ですが、空間的に離れた場所にいた人もたくさんいます。それらすべての人に届けていきたいんです。作家によってさまざまな表現方法があると思いますが、私にできるのは「身近に感じてもらえるように描く」こと。行ったことのない街、生まれていない時代であっても、お話に登場するキャラクターだけでも覚えていたら、もう知らない街でも時代でもなくなると思うんです。友だちが一人そこに住んでいるような感覚というか。

濱野:それはとても大きなことですよね。そんなふうに想像力をはたらかせることで、いろいろなものの見え方もずいぶん変わってくるだろうと私も思います。今の社会の荒れた雰囲気や気分も変化していくのではないかなと。

――「まさきくんが生きていた街だ、真莉愛ちゃんの暮らしている街だ」そんなふうに感じるのが、経験していないことにふれる入口になる、ということなんですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

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