算命学余話 #U91「父親が精神を育てる」/バックナンバー
宮脇淳子氏の受け売りではないですが、優秀な人が少数であるというのは真実です。誰しも子供の頃、クラスに頭のいい子がいつも2、3人はいたことを覚えていることでしょう。それは残りの数十名が優秀ではなかったという証拠です。もちろんスポーツや美術が得意な子もいるし、勉強は苦手でも性格がよくて人気者だったりといったことは大いに肯定されるべきではありますが、同学年の子供の目にもすごいと思えるような優秀な子供は、いつの世も集団に数人程度であり、それは大人になっても生涯続く比率なのです。
では彼ら優秀な少数派が幸せな人生を謳歌しているかといえば、決してそうではない。優秀であること(印)と幸福であること(福)は同義ではないからです。しかし子供の頃から優秀なクラスメートを羨望の眼差しで眺めてしまった多くの人は、その子が将来自分の到達し得ない幸運を掴むに違いないと思い込んでしまいます。それがおかしな劣等感や嫉妬心を掻き立てることになる。
事実は逆で、優秀な人は総じて不幸な人生を歩むことになる、というのが算命学のセオリーです。なぜなら優秀な人が活躍できる職業はごく限られているからです。以前の余話でも述べたように、本当の知性とは余人の気付かぬこの世の矛盾を見抜き、周囲の圧力に屈することなくそれを正す精神力を備えていることなのです。成績優秀だから自分だけ外国に逃れて成功すればよいという精神の持ち主は、算命学では知性があるとは見做しません。従って、真の意味での優秀な人は基本的に反骨の人であり、「大部分が優秀ではない人たちの集まり」である体制側に睨まれる言動をする人であるため、社会的な栄達が難しい。栄達(官)を得るために自分には見えている真実を見なかったことにしたり、仕事にありつくために誰でもできるようなつまらない仕事に就くと、知性星は輝きません。持って生まれた星が輝かないということは、不幸だということなのです。
もちろん、真の知性というものは究極的な幸福を約束するものです。水は「水生木」と木性へと流れますから、持って生まれた知性を余すところなく発揮できた人は、この世の真理に到達し、誰も知り得ないような高度な至福感を味わうことができるでしょう。しかしそんな人は、数少ない優秀な人の中でもほんのひと握りであり、そうでない残りの多くは不幸のうちに生涯を終えるのです。こう考えると、親御さんたちが我が子の頭が良くなればいいと考え、そうなるよう尽力することは、子供の将来を暗くする原因となるのであり、本当に幸せになってほしいなら知性はほどほどにして生活力や適応力、処世術を磨くべきだ、という結論に達することになるでしょう。
前回の余話で取り上げた八相局のうち、食局と印局は共に知能の冴えが顕著な命式ですが、上述の理由によりいずれも社会的需要に見合わない、或いは見合いにくい命式であると考えられています。八相局は総じてエキセントリックな性質を付与するので、食局・印局以外でも多かれ少なかれ社会との軋轢が予測されますが、食局・印局は突き抜けて外れています。今回はその辺りについて少し掘り下げ、特に食局のメカニズムと、知能の発達に係わる一般的条件について考えてみます。
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