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情が湧き、敬意が湧く理由

 前回は例のアニメ講義の話から、最初考えていたのと別の方向へ論が逸れてしまった。本当は、終戦前後の日本人の米ソ観、より正確に言うなら欧米人観とソ連人観が、奇しくもロシア人のガッカリインテリが無理やり持って行きたがった独りよがりの結論と当たらずも遠からずだった、という話をしたかったのだ。勿論ガッカリインテリの辿った道のりとは全然違うアプローチなので、ゴールが一見似ていても中身は全然別物なのだが。
 宇宙人が言いたかったのは、例えば当時の捕虜の扱い。シベリア抑留の話は歴史の教科書でもお馴染みで、その生還率の低さや劣悪な無償労働環境の悪評は鳴り響いているものの、帰国した日本人兵士らの回想録を読んでも、ソ連人やロシア人そのものに対する怨嗟や憎しみはないように、学生時代の宇宙人には思われた。不思議だった。こんなに酷い目に遭わされたという実記が山ほど並んでいるのに、まるでロシア人(と総じておこう)を嫌っていないようだったのだ。

 その理由は、どうやら当地の収容所事情にあるらしいと私は推測している。「シベリア流刑」という言葉で知られるように、往年のロシア帝国の刑罰は日本で言う「島流し」に懲役が付いているようなもので、都会から余りにかけ離れた荒野の開拓や道路・鉄道の敷設に従事させるため、作業は屋外で行われる。逃げても町まで遠すぎて逃げられないから、牢屋に閉じ込めたり鎖でつないだりする必要はない。すると近所に住む村人と路上で普通に接することになる。田舎のロシア人は純朴だ。女性は尚更で、当地の老婆たちが抑留者を国籍に関わらず憐れんで、涙を流しながら少ない食糧や衣類を分け与えた話は抑留者の手記にも見られる。
 ロシア人は自分の国家がどれほど残酷なことをするかを骨身にしみて知っているので、同じ苦しみを受けている外国の捕虜が他人に見えなかったのだろう。特にキリスト教的博愛精神が作用したようには思われない。ソ連は言わずと知れた無神論の国だったからだ。するとこれはロシア人の国民性という解釈が一番近い。そういう老婆たちの同情や、ソ連人囚人も外国の捕虜と等しく残酷に扱われている光景に接した抑留者たちは、憎しみの矛先を異人としてのロシア人に向けられなかったのではないか。当時はソ連の政治局員が抑留者を共産主義で洗脳して帰国させようとした目論見もあったけれども、こういう上から目線の相手にはなかなか情は湧かないものだ。よほど共産主義を愛していて心の底から日本人の幸せを願って共産主義教育を施していた人ならともかく(こういう旧ソ連人は最近まで結構いた)、生還した抑留者の記憶に残ったのは、劣悪な環境で苦役を課した加害者としてのロシア人と、その苦しみを一緒に嘆いてくれた被害者兼擁護者としてのロシア人と、両方があった。一方の肩を持つともう一方の辻褄が合わなくなる。だから白黒はっきりした評価が下しにくい。結果として「ソ連は酷い国だが、ロシア人は憎めない」ということになる。これは宇宙人にも身に覚えのある心境である。「宇宙人よ。あんなに酷い目に遭ったのに、まだお前はロシアが好きなのかい」と自問すると、ちょっと逡巡してからだが、そうだとしか答えようがない。

 一方の欧米人、いわゆる戦勝国だが、戦時中はドイツ・イタリアを除いて敵国であったから、彼らの日本人への当たりが厳しいのは仕方ないとしても、その態度の内容が単なる敵国人への嫌悪というよりは、明らかに人種差別なのがポイントだ。キリスト教徒に典型的だが、「異教徒」には人権は認めないという前提で接していて、そこには公平性がなく、当然憐憫もない。シベリア抑留者は国籍を問わず捕虜・囚人らが等しくぞんざいに扱われているのを見て、ロシア人やソ連人の中に人種差別を感じることはなかった。しかし欧米人は違う。捕虜の扱いが人種で天地ほども違った。南方で捕虜になった日本兵や、米国で強制収容所に送られた日本出身の民間人の証言は、この点かなり一致している。敵国でなくとも、大陸中国が列強に蝕まれていた頃、欧米人が租界地に「犬と中国人は入るべからず」という看板を立てたことは有名だ。インドは言うまでもない。
 宇宙人もまた、若い頃に西欧を旅して同じ扱いを受けた。まあガクト(ヨシキだったかな?)でさえそうだったのだから、むべなるかな。しかしこういう扱いをされると、相手とその民族に情は湧かなくなるよ。よほど美点が際立った文化でもない限り、敬意など湧かない。人種差別を非とする今日の価値観は、彼らがつい最近まで酷い差別をさも正義であるかのように行なってきた反省から生まれたものであって、被害者である我々に植え付けられるべき価値観ではないと、宇宙人は苦々しく思ってきた。白人であることがそんなにエライのかねえ、と思ってふと振り返ると、ロシア人とて北国の民族らしく白い顔をしている。しかしロシア人は歴史的に永らく西欧人に「北方のクマ」と呼ばれ、人種差別を受けて来た珍しい白人であった。この差別をなくすためにピョートル大帝以来ずっと欧化政策を採ってきた。日本の明治政府と同じことをして、列強の一員になって、今度は後進国を見下すようになっただろうか。欧米人の真似をして。そこも微妙だ。何しろ上述のように加害者としてのロシア人と、被害者としてのロシア人がひとつ屋根の下に同居しているのだから。

 いずれにしても、宇宙人の旧ソ連人観と欧米人観は、このようなものである。それが本当にたまたま、根拠薄弱な持論を展開するトンチキなロシア人研究者の目指した結論に近かったので、備忘録までここに記しておく。「キリスト教徒は伝統的に、異教徒を人間として認めないし、人権も認めない。だからアジアやアフリカを植民地化した時、原住民をキリスト教徒に改宗させて使役する必要があった」とは、ガチのクリスチャンである佐藤優氏の言葉だが、ソ連崩壊後はロシアに正教が復活して、殆どのロシア人はいま正教徒を自認している。正教はカトリックやプロテスタントとはかなり様子の異なるキリスト教だが、キリスト教であることに違いはない。しかしそこに「異教徒」への差別意識があるかどうかは疑わしい。地政学的にイスラム教徒と地続きで接する歴史を持ち、モンゴルの支配も受けたロシアは、ソ連という無神論の70年を経て、独自の文化圏と価値基準を今も堅持している。
 米国のポチになって80年の日本の文化と価値基準は、宇宙人の目には米国より遥かにロシアに近く映っているのだが、地球人の皆さんはどうですか。やっぱり米国の言い分が正しくて、日本はそれについていくべきだと感じますか。

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