
ミサイルがキラキラ降る間に
ガザ情勢の泥仕合の一環としてイランがイスラエルに180発のミサイルを放ったが、イスラエルの市民が地上から撮影したスマホ映像では何やらキラキラ輝く流れ星が降るようで、見ていて綺麗であった。「花火です」のキャプションが付いていたら皆喜んで「いいね!」するような美動画だ。こういう率直な感銘をただ「不謹慎だ!」で済ませていては思考が停止するばかり。あの映像を見ている間に、宇宙人の頭にはいろいろな考えや妄想がよぎったよ。
例えば、こういう「綺麗なミサイル」映像を世界に流してしまう意図。戦争を何としても止めたいなら「綺麗な流れ星のようなミサイル」よりも「破壊された町や人間」を映してその非道に反対する感情を視聴者に喚起した方がいい、というのは本当に正解か。以前、佐藤優氏の話で取り上げたが、ユダヤ人差別のない日本へ好んで旅行に来るイスラエル人が「ガザ侵攻に関心のない日本人を我々は責めない。なぜなら我々も台湾有事には関心がなく、お互い様だからだ」と正直な心境を語ったように、事情をよく知らない遠い国での殺し合いや非難のし合いに本来関心がないはずの我々一般人(外交官や政治家ではない)に、敢えて何某かの映像を見せてその感情を誘発・誘導しようとする意図について、宇宙人は考える。
実際、宇宙人は爆弾や爆撃によって破壊された建物や血まみれの被害者の映像を報道番組で何度も見てきたが、その映像の後に「人目もはばからず泣き叫ぶ遺族」が映し出されると頭がねじれる。泣き叫ぶ遺族がカメラに真っ直ぐ向かって「自分たちがいかに不当な仕打ちを受けているか」を恨みや復讐心のこもった眼差しで訴えるのも、頭がねじれる。要するに同情できない。その映像の編集や選択に非常に意図的なものを感じるからだ。こちらの感情をどこか都合のいい方向へ向けようとしているという不快感があって、被害者は気の毒だとまでは思うが、「だから仕返しをしてくれ」とも取れるそのカメラ目線の攻撃的な目ぢからには、逆に感情が冷えるばかりだ。皆さんはそうでもないですか。宇宙人だけですか。流れ星のようにキラキラ落ちるミサイル群を、撮影したのは他意のない市民だったとしても、それを買い取ってニュースに流し、それが各国の国際報道にも好んで取り上げられることを見越して発信した意図が、果たして戦争の早期終結を希求してのことだったのか、宇宙人は大いに疑問に感じて頭がねじれるのであった。
また、こうも思った。「今まで戦争被害を報じる映像といえば灰色の瓦礫と化した町並みや、怪我をした子供の運ばれる様子や、家を失ってキャンプで暮らす気の毒な人々の姿が定番だったけど、今回新たにミサイルが流れ星のようにキラキラ降って来る映像が出たのは、「定番」に飽きた視聴者に新規な刺激を与えるためなのかな」と。こっちの方が絵として綺麗だから、沢山再生してもらえるかもしれない、という歪んだ目論見を感じるのだが、実際宇宙人の感性も「まあ綺麗」と思ったのだから仕方ない。綺麗だなという感興が、ミサイルのもたらす惨状と遠く離れている。視聴率を稼ぐためにこの新しいやり口がトレンドになったら、世界は益々真実から離れていく気がする。既に戦争を美化する映画や戦争をねたに儲ける商売は山ほどあるというのに、まだ足りないのかね、などと宇宙人は思うのだが、地球人の皆さんはそうでもないですか。
ところでミサイルの形はチ〇ポに似ている。ミサイルとロケットの違いはその先端に爆弾を積んでいるかいないかの差だけだが、北朝鮮が発表したいつかの発射実験の動画では、先端がリアルなチ〇ポ型で失笑した。我が国が打ち上げている人工衛星ロケットもそうだっけ? もし先端に爆弾を積むことで形がチ〇ポ型になるなら、国際条約で「いかなる国もチ〇ポ型の物体を空に向けて発射してはならない。また空から降らせてもならない。これを破る国家はすべからく下品であると国連で決議する」というルールにしたら、世界は幾分平和になるかもね。「イグ・ノーベル賞」に平和賞を新設して、この条約に授与してもいい。このアイデアも地球人の皆さんには賛同頂けないのだろうね。
数年前まで「米ソ(米ロ)は核兵器を何千発も持っていて、この数は地球を何十回も滅ぼすことができる数だ。実に愚かしい」みたいなセリフがさも賢い人の見解のように通用していたが、迎撃ミサイルによる撃ち落しが可能となった今日では、攻撃ミサイルの数が迎撃ミサイルの数を上回れば、たとえ迎撃率100%であっても残りのミサイルは降って来るので、結局数の多い方が勝つ、ということが判ってしまった。数の多い方が勝つなんて、まるで民主主義の原理なのだ。既に民主主義は限界に達している。選挙で投票数を稼げさえすれば意見が通るという政治形態が、人々の幸福に結びつかないことに気付き始めた世の中だというのに、チ〇ポ型ミサイルがこの流れを逆戻りさせねばよいが。
この膨大な数の核兵器製造と開発の労力や予算を、ミサイルではなく宇宙ロケットに投入していたら、人類はとっくに火星にも金星にも土星にも到達していて、宇宙の真実に迫るための、そこでしか得られない貴重な情報やサンプルを得られていたかもしれない。つまり人類の英知を押し広げることができたかもしれない。しかし実際にはそうはならず、膨大なミサイルは今も使われずに武器庫に眠っている。使わないに越したことはないが、全部無駄になるなら実にもったいない労力と財産の使い方だ。無駄と英知は反比例する。知性ある人は無駄なことを好まない。しかし人類全体としては、知性よりも無駄の方を好むようだ。もしかして、これこそが宇宙の法則に合致している人類の営みということなのだろうか。そんなことを考えて宇宙人は頭をねじねじさせながら、ミサイルキラキラ映像を眺めたのであった。
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