心を壊す建物、治す建物
米国の大統領選でトランプが勝った。開票日の昨日は昼の報道番組が一律に開票特番をやっていて、どうして日本は横並びの番組しか作れないのかと鼻白んだが、番組そのものも大層お粗末だった。だって画面がトランプ票とハリス票を赤と青の帯で色分けして得票数を随時更新して表示していて、昼頃はトランプ票がハリス票のダブルスコアくらいまでぶっちぎっていたのに、アナウンサーは「接戦です」とか言ってるんだもん。どこに目つけているのだよ。算数もできないのかね。苦し紛れに「数字は大きく開いていますが、実際はハリス氏優勢の州がこのあと加算されますので、事実上拮抗しています」とか言うんだけど、その後の展開を見ればトランプ圧勝は開票前半から見えていた。
画面の数字と自分の言っていることがこんなに乖離していて、頭がねじれないのかね。宇宙人はツイストドーナツ状に頭がねじれ上がるので観るのをやめて、夜に結果だけ聞くことにしたよ。ばかばかしい。この風景、以前日本の選挙でも見たなあ。数年前だと思うけど、この国の報道は一歩も成長していないのだな。宇宙人はニュースは早朝ラジオで仕入れるから、トランプ優勢だという確かな専門家の事前分析を耳に入れていたけど、へっぽこ専門家を呼ぶテレビがメインの情報の人は、当選確実までずっと「拮抗」だと思っていたのかな。皆さんはどうですか。騙されてはいませんか。
以前紹介したエドゥアルド・ヴェルキンのハイパー・ディストピア小説『サハリン島』に、究極の刑務所が出てくる。究極の建物という意味なのだが、この建物、ロシア人一般が総じて敬意を払っている日本の、ある天才建築家が設計したという設定で、その屋内を健常者が歩くと構造上の辻褄の合わなさに頭がねじれてきて、心は乱れ、めまいや嘔吐、失神を引き起こすという代物である。そんなからくり建造物も日本人の並外れた独自性と発想力なら可能だと、ロシア人は思っているらしい。小説では、この刑務所での服役生活が囚人の更生に大いに役立っているという。以下は原文。
――不条理と無限ほど精神や意識を抑圧するものはない。不条理と無限にさらされた人格は原始層に分かれ、扱いやすくなる。(不条理と無限で設計された)この刑務所に滞在すると、どうしようもない人殺しも反逆者も事実上仏教徒になって出所していく。出所後の再犯もない。…だが欠点もある。囚人が頻繁に自殺するのだ。――
ここに出てくる「仏教徒」は、ロシア人が認識するところの「人畜無害な人。欲が皆無の人。無為に人生を送れる人。荒行にも耐えられる超人」くらいの意味。しかし注目したいのは、人間は不条理と無限に耐えきれず自殺する傾向があるというところ。そして不条理と無限に耐えられる者は、恐らくは超人か、既に廃人であるというところ。うう、ロシア的両極端なものの捉え方なのだ。でも真理に迫っているなとピンと来るものがある。なに、来ないだとう? そういうあなたの人生にロシア文学は必要ないのだよ。コンビニ・スウィーツでも食べて一生をユルく満喫し給え。
ところで、この架空の狂気の建築物とは真逆の、人の心を癒したり整えたりする建築物は、既に日本に存在している。山崎健太郎という建築家の設計した病院や介護施設では、認知症患者の病状が緩和され、自宅療養できるまでに回復することもあるという。たとえ老齢で回復しなくても、幸せそうに最期を迎えるそうだ。そんな建物が既に実在するとは驚きである。そしてそんな建築のアイデアもまた、ロシア人に言わせれば「日本人の並外れた独自性と発想力なら可能だ」という範疇に当たるのだろう。尤も宇宙人の見立てでは、前者の狂気の建築物は日本人の得意分野とは思えず、発想だけなら当のロシア人がやってのけそうだけれども、実際に実物を具現化できるのはドイツ人のような気がする。そして公的施設としてしっかり実用するのもドイツ人か、それをカネで買って運用する米国人。収監するのは勿論移民なのだった。
山崎健太郎の作品についてもっと知りたい方は、ご自身で検索下さい。千葉にある介護ホームの例で言えば、長大な縁側が細長い敷地を一直線に繋ぎ、等間隔に並ぶ木の柱は剥き出しだが素朴な温かみがある。壁はほぼなく、ドアもない。要するに仕切りが取り払われた昔の日本家屋の形態で、冬は寒そうだが、閉塞感はない。縁側から外光が入り、見通しがよく、遠くにいる人でも気配が判る。干渉しすぎず、どこにいても居心地よく一服できるようにちょっと腰掛けられる小上がりやベンチ、寄りかかれる柱が適度に配置されている。雑談してもいいし、一人で読書してもいい。寝そべってもいい。つまり居場所としてのバリエーションが多いのだ。すると住民だけでなく近所の人や子供たちも集まって来る。老若男女が行き来してはちょっと休んでいく、そういう目的で設計するとこうなるのであった。そしてこうした環境や雰囲気が、認知症の緩和に役立っている。入居者は穏やかになる。
日本の住居が大家族の家から核家族の集合住宅にシフトしたのは戦後だが、それはやたらと仕切りや壁を増やしたり高くしたりして、隣の人間との関係を切断することを目的とし、それが現代的だと称賛された。個人主義とプライバシーの尊重が謳われた。しかしその結果、世の中にはうつ病が蔓延し、引きこもりやネット中毒、独居老人が軽重の犯罪に利用されている。我々がいま住んでいる一般的な近代家屋は、人の心を穏やかにはしないようだ。『サハリン島』の狂気の刑務所とまでは言わないが、思想的には同じラインに立っているように思われる。皆さんはそう思いませんか。
そうは言っても、宇宙人は一人暮らしが長く、このまま行けば独居老人なのであるが、そこに不安も不満もない。強いて言うなら老人を狙った犯罪のカモになるかもしれないという心配程度だ(宇宙人は合気道三段だが、20代の素人強盗数人相手にどう戦うかは色々考えている。勿論素手である必要はない。複数相手は先手必勝だ。ギリギリ正当防衛が成立すればいいのだから選択肢はあれこれあるよ。とりあえず文化包丁はまめに研いでおこう。強盗よ、相手が反撃しないと思ったら痛い目見るよ)。寂しさは今も昔もなく、干渉されるのが嫌いだから、山崎氏の建築哲学からは少し外れた生活者ということになろう。でも快適に暮らせる家には住みたいと思う。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』のように薄暗いけれども、不穏ではなく健康的な家屋というものに住めたらいいなと思う。薄暗くて健康的。そんな都合のいい建築などあるのだろうか。だれか設計してくれなのだ。首尾よくできたらロシア人が小説に取り入れてくれよう。