算命学余話 #U80「辛生まれを考える」/バックナンバー
前回の余話#79で例題として取り上げた著名人の命式では、まだ発症してもいないガンの予防のための手術に踏み切った経緯にスポットを当ててみました。鑑定の実践に当たっては、まず命式をパッと見た時の特徴というのがかなり重要で、前回の例はその点わかりやすい命式でした。星が偏っていたり、五行が偏っていたりといった命式は、風景に置き換えるとその部分が強調されて浮き上がって見えます。そうした特徴が第一にその人の特徴であるので、こうした印象すなわち第一印象には重要なヒントが込められており、単なる印象だと切り捨てるべきではありません。
世間には人を見た目で判断してはいけないという教訓がありますが、見た目は実は重要です。見た目は、少なくとも外面というその人の半分は表しているのです。目に見えない内面が人間のもう半分であるとすると、内面ばかりを当てにしても全体像は掴めません。人を見た目で判断してはいけないというのは、実際に他者から見える部分が外面ばかりで、なかなか内面を窺い知ることは難しいため、その見えない内面にも注目すべきだという訓戒だからなのですが、算命学は陰陽論なので、内面を重視するなら同じくらい外面も重視すべきだとし、双方に同じだけの体重をかけてバランスを取ることを奨励しています。
昨今は女性のみならず男性までもがエステに通う外見重視の傾向が極端に強まっており、女性に至ってはアンチエイジングと外来語で意味を濁した幼児化が進んでいます。算命学的観点から言えば、これは年月と共に老成していかなければならない内面を軽視したアンバランス状態なので、この状態に安逸としている人は反動でいずれ何らかのツケを払うことになります。ある作家の言によれば、現代人は「老いることのできない苦しみ」を味わっているとのことです。じつに言い得て妙です。こちらは、外見ばかり磨いても中身が伴わなければいびつだ、といういい例です。
ぱっと見わかりやすい命式、の話に戻りますと、こうした目に飛び込んでくる印象を宿命の外面とすれば、仔細に見ないと見えてこない地支・蔵干の関係性は宿命の内面と解くことができます。こうしたなかなか見えてこない部分を読み解けるかどうかは鑑定者の腕に懸かっており、逆に云えば、見えやすい特徴的な部分にしか言及しない鑑定者は、まだ内外双方のバランスが取れていない技術者ということになります。
算命学初級者には、星や格法の名前や異名など、キラキラしたタイトルにばかり注目してその内実の意味を吟味しない人が多く見受けられます。最近は親が付けてくれたキラキラネームを改名したいと裁判所に申し出た人のニュースが話題になり、親に似ない子供のまっとうな感覚に安堵しました。この子供は、親が逸脱したバランス感覚を自ら取り戻したわけです。算命学の学習者にも、後で子供に恥をかかせる親の振舞いを教訓に、まっとうな大人の態度で修練に励んで頂きたいと思います。
今回のテーマは前回の事例を少し受けて、辛(しんきん)が日干である場合の特徴について考えてみます。辛は自然界に喩えると宝石であり、磨いて清めればキラキラと光り、衆目を浴びることから、基本的に容姿が優れているのが特徴です。ですが、上述のキラキラネームが周囲の注目と同時に失笑を集めてしまっているのと同様に、辛の生まれだからといって羨望の的になる場合と、失笑や冷笑の的になる場合と、明暗が二手に分かれます。
前回の事例は米国の芸能人でしたが、こうした華やかな世界で活躍するのに辛の容姿は有利に働く一方、常識を欠いた感覚が災いして物議を醸すこともしばしば起こります。ではどうして辛は優れた容貌とは裏腹に常識を欠いてしまう傾向にあるのか、その辺りを考察してみます。
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