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てんこ盛りの新作ベルばら

 新作の劇場版アニメ『ベルサイユのばら』を観てきた。色々な意味でツッコミどころ満載の内容であった。
 まず全体がミュージカル仕立てになっていて、あの長大な歴史ドラマをたった二時間に短縮するにはこの手があったか、と感心する発想であった。まともにドラマ展開するとシーンと台詞が膨大になるし、ナレーションだけにすると作品全体が味気なくなる。当作品では登場人物らをミュージカル役者に見立てて歌と踊りをさせ、その音楽と歌詞と短いカットの切り替えでエピソードを次々と万華鏡のように展開させていったのだ。これなら歌一曲分の時間しか取らないので、エピソードをいくつも取り込める。そのうちの一つ、マリー・アントワネットがデュバリー夫人に屈するシーンも、台詞ゼロの動画だけで走馬灯のように走り抜けた。勿論、この話を知っている人でなければ何のシーンだかは判らない。そういう「お約束」の判る身内客を見込んだ作りなのだった。

 しかしベルばらファンにも色々ある。宇宙人は世代的にテレビアニメと原作漫画の同時ファンだが、世代によっては原作のみのファンだったり、宝塚のファンだったりする。テレビと原作の違いについては宇宙人も幼少の頃クラスメートと良し悪しを議論したものだ。当時人気の硬派アニメである『あしたのジョー』や『ブラックジャック』を手掛けた出崎統監督作品として、重厚で濃密な場面表現や長身のキャラデザインが好みだった宇宙人は、今回の劇場版は色調が明るくて軽すぎるのが好みでなかった。声優陣も声が細い。唯一オスカルの父親ジャルジェ将軍を、銀河万丈が担当したのが重厚だったくらいだ。肝心のオスカルは、ルパン三世の峰不二子の二代目声優である沢城みゆきで、この人は色々な声が出せる実力派ではあるが、今回に至っては『化物語』の神原駿河役の声に近く、神原駿河のお笑いお色気キャラが頭に浮かんで笑わずにはいられなかった。
 その上、テレビではあまり強調されなかったフランス革命に係る「自由」の扱いについて、今回は敢えて原作に忠実にオスカルが「自由」を論じるシーンが二カ所ほどあった。それが当作品のアニメ製作所であるMAPPAが手掛けた有名な傑作『進撃の巨人』、及びその音楽を担当した澤野弘之のBGMによって、何だか「巨人を倒して自由を得る」「自由のためにはこの壁を越えねばならない」的な風景を想起させ、まるでオスカルが立体機動装置を着けて巨人に立ち向かうかのような錯覚を起こしたのだった。うそー。これってわざとなのかな。MAPPAが仕組んだサブリミナル効果? だとしたら未だかつてない試みである。たった二時間の作品の中で真面目に「自由」を論じるのは現代人には違和感があるのだが、このサブリミナルを狙って敢えてやったのなら、その挑戦を高く評価したい。しかしこれも『進撃』を知っている観客でないと楽しめない仕組みではある。

 他にも、アンドレが目を怪我するシーンが原作と別物になっていたり(正直、雑な扱いだった)、ロザリー・ジャンヌの姉妹やポリニャック伯夫人といった魅力ある脇役が欠場だったり、そうかと思うとオスカルとアンドレが結ばれるシーンはほぼ原作通りで却って浮いていたりと、あれこれツッコミどころがてんこ盛りで、二時間見ていて飽きることがなかった。宝塚ファンにはこのミュージカルの作りに対して言いたいことがあるかもしれない。
 音楽? 宇宙人は澤野弘之の作品が好きで期待して行ったが、ミュージカルの歌の部分はこの人の作曲ではなかったように聞こえた。いずれにせよ、テレビアニメ版のファンだった宇宙人には、往年のテレビ版の音楽の方がクラシカルで良かった。チェンバロの楽曲とかがあって時代性がマッチし、格調高かったのだが、雄大で悲壮な戦闘シーンを得意とする澤野サウンドには、昭和を代表する池田理代子の世界自体が合わなかった気がする。最新技術を駆使した作品だからと言って、旧い時代の作品を凌駕するとは限らないのである。
 ともあれ見方は人それぞれで楽しめる作品なので、興味のある方は是非ご覧下さい。そして色々ツッコミどころを探して下さい。そういう楽しみ方をしていい作品だと思います。

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