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南方貨物線未成線探索の総集編

南方貨物線は国鉄が愛知県内で東海道本線(大府 - 名古屋間)の複々線化や稲沢駅でのスイッチバック解消を目的として建設していた貨物支線です。
しかし、騒音公害問題や国鉄の財政難によって工事は中断され、2002年には完成していた高架の一部の解体が始まりました。
その結果建設費・解体費合わせて約650万人の渋沢栄一(650億円)を地獄送りにする羽目になりました。
そんな悲運な未成線をこれまで6つに分割して探索していきました。
今回はpart1からpart6までの総集編となっているため、記事が極めて長くなっています。
文章や画像は一部修正を加えつつも基本的にはそのままです。

この記事は全て読むのに10分前後かかることを想定しています。
まとまった時間がない時は目次から見たい部分だけを見ることをお勧めします。


part6探索分

part6は名古屋貨物ターミナル駅〜part1探索分までの未探索区間を中心に探索しました。
そのためpart1ではなくpart6が先頭になっている状態です。

part6の記事はこちら↓

名古屋貨物ターミナル駅〜愛知県武道館付近の区間

周辺図はこちら

南方貨物線の起終点の予定だった名古屋貨物ターミナル駅周辺から探索開始
撮影場所はあおなみ線の中島駅
ここから中川運河方面に向けて南方貨物線の高架や用地沿いを歩く

駅を出て地上に到着
この付近には南方貨物線の痕跡はどこにも見当たらない

南に向けて撮影
この付近の用地は駐車場や建物に流用されている

振り返ると鉄道用地を表す柵が設けられている
この柵が南方貨物線と関係あるのかは不明だが一応記録していく

ここからこの道をまっすぐに進む
画像右側が南方貨物線の用地と思われる

周辺図はこちら

変わり映えしない光景が数分間続いた後突き当たりに到着
この突き当たりを左に進んでみる
とその時…

工場の入り口から何かが見える
これは南方貨物線の構造物だろうか?
もう少し近づいてみる

実はここまで歩いてきた区間は今のあおなみ線がある場所に高架がありました。

南方貨物線と疑わしき構造物はこの歩道を歩いて近づく
果たして何があるのだろうか?

木に隠れて見えにくいがこの構造物は鉄道高架に似ている
反対側を見ると…

こんな感じの構造物
立派な高架だが役目を果たすことは1度もない不運な構造物

周辺図はこちら

この付近は線路が3つ敷けそうな構造になっている
本線と思われる高い方の2本は名古屋貨物ターミナルに繋がりそうだが、本線より少し下の1本は接続先不明

反対側を見てみるとこちらも同じ様子
南方貨物線が開業してた世界線があっても、本線より少し下の1本だけが未成線または廃線になったという事もあるかもしれない

場所は大きく飛んでpart1探索区間に重複する部分に入る

周辺図はこちら

この付近は工業地帯なので独特の雰囲気と匂いが来る
高架の上には車が止まっている上に、近くにスロープらしき構造物があるためおそらく駐車場だろう

part1を記録した今年2月には未完成だった住宅が完成
高架の断面がはっきりと見えるようになった
ただこうやって南方貨物線の遺構が消えてしまうのは時代の流れを感じさせる

反対側を見ると遺構の曲線美を眺めることができる
ここまで綺麗な曲線遺構はおそらく廃道でしか見れないもの

周辺図はこちら

ここで愛知県武道館前に到着
市道環状線との立体交差付近
高架には太陽光パネルが設置されている

(2024年9月撮影)

part1探索分

part1ではpart6重複区間から愛知県武道館を経由し地下鉄名港線に至るまでの区間を探索しました。
part1探索分は愛知県武道館から掲載します。

part1の記事はこちら↓

愛知県武道館〜中川運河の区間

周辺図はこちら

いきなり愛知県武道館の反対向きの様子からスタート
この部分は資材置き場に転用されている模様
市道と立体交差する場所では高架が撤去されている

何故かここだけ一部の構造物が撤去されている
理由や撤去時期は不明

南郊公園に沿って未成線が伸びている
ちなみに南郊公園自体が運河の跡である

周辺図はこちら

高架橋自体の老朽化が進行中
この区間に関しては完成から50年近く経とうとしている
逆に50年間一度も役目を果たしてない構造物が残っていること自体驚き

周辺図はこちら

ここで南郊運河の残存部分及び中川運河と合流
それと同時に高架も途切れている

ちなみにここから対岸まで徒歩22分
短絡路が欲しいところではあるが一旦は我慢

中川運河〜地下鉄名港線の区間

東海橋から見た名古屋駅方面の様子
昔はここから未成線が見えていただろう

周辺図はこちら

未成線に沿って建つ住宅
今となっては痕跡すら無くなっている

周辺図はこちら

南方貨物線(未成線)と名古屋港線(当時は廃線直前)との交差付近
今後は廃物件が豊富なスポットと化するかもしれない

ここに関しては上に何も乗っていない
何かの屋根になっているのか?

ここも50年も放置されていて老朽化が進行中
補修されたような跡はあるけどそれでもボロボロ

周辺図はこちら

まもなく高速道路と交差
地下には名港線も通っている
未成線に関してはしばらく高架下に物置がある程度で特に変わった部分は無し

何を血迷ったのか広告にぼかし処理を施している

末端部分に広告が
構造物の活用法としては結構有用である

part2はここから探索開始
見た感じそろそろ新幹線との並走区間になるはず

(2024年2月撮影)

part2探索分

part2では地下鉄名港線から名鉄常滑線の区間を探索しました。
道中に変な土地、さまざまな高架の再活用法など色々ありました。

part2の記事はこちら↓

地下鉄名港線〜東海道新幹線の区間

何を血迷ったのか広告にぼかし処理を施している(2回目)

前回は構造物の末端部分に広告がある場所で探索終了
今回はそんな物件の反対側に向かう

周辺図はこちら

未成線は画像右の部分を通っている
現在は建物が立っており痕跡を見つけるのは困難

土地の盗撮という概念はないはず

未成線跡地で猫?がくつろいでいる様子
動物の生態は専門外だからどういう状況かは断定できない…

貨物ターミナル方面を向いた時の様子
この付近は住宅地が連続していて痕跡をほとんど見つけられない

この先もうどん店、駐車場、マンションと続く未成線跡地
そろそろ南方貨物線は新幹線との並走区間に入るはず

周辺図はこちら

マンション付近で進行方向を南東に変える未成線
異常に高いブロック塀が目印

未成線はスーパーや製造会社に潰されていて(後者の場合厳密には立ち退きを回避?)跡が見えない
ここからは新幹線との並走区間に入る

東海道新幹線〜堀川の区間

この付近には未成線があったはずだが跡形もなくなっている
間違いなく新幹線の高架付近なんだけどな…

周辺図はこちら

なんだこの土地
こんな狭い(JRの?)所有地なんの役に立つのかいまいち分からない
いっその事公道にすればいいのに
もしかして法律で定められてるから無理だったりする?

未成線はこの駐車場や奥の青果店がある方向に伸びる
ここも相変わらず高架の跡は見当たらない

周辺図はこちら

場所は青果店のさらに奥にある国道154号の歩道橋
歩道橋からは南方貨物線の状況を把握しやすいため多めに撮影した
ちょっと写り具合は良くないけど画像を公開

反対側の様子
相変わらず写り具合は良くない

緑色の建物辺りが未成線のあった場所
この建物は未成線に沿って伸びているので航空写真で見ると目印になる

周辺図はこちら

緑の建物を越えるとついに当時ものの高架が出現
やはりこちらも老朽化は進行しているっぽい

反対側の様子
特に言うことはないから場所だけ言っておく
愛知県名古屋市熱田区千年2丁目

周辺図はこちら

さっきも写ってた当時の高架橋
コンクリートの黒い部分が古さを感じさせる

関係ないけどなんかこの辺り塩素っぽい臭いする

東海通から撮影した水道橋・未成橋(存在しない)・新幹線橋の下にある堀川
もし完成してたらここで新幹線と貨物列車のコラボが撮れてたかもしれない

堀川〜名鉄常滑線の区間

周辺図はこちら

未成線の高架を活用した建築物
ゴミ収集サービス会社の所有する建物となっている

未成線の高架下となるはずだった場所から撮影
正面には未成線の高架が残されている

豊田公園を通り抜けるとこんな感じの場所に出る
高架がはっきりと残されている

周辺図はこちら

愛知県道225号の上に架かる歩道橋
未成線の高架が太陽光パネルの設置場所として活用されている

反対側の様子
2年前には何もなかった高架下に綺麗なガレージが保管されている
これは構造物の有効活用に入るか微妙ではあるが、この未成高架がなければ置いてなさそうだから一応有効活用に入れてる

車が大量に駐車してある場所が未成線の跡
高架は撤去されて小学校の駐車場になっている
ここは少し分かりにくいかもしれない

周辺図はこちら

場所は小学校を超えた先
民家と高架が未成線上に存在する
実はこのシーン少しの間だけ重要になってくるから適当に「明治高架1」と名付ける

反対側の様子
橋脚が2本だけ残されて巨大なガレージっぽく残されている
こっちに名前はつけない

少し進むとまた短い高架の跡が見えてくる
2枚前の写真に写ってる高架とはまた別のやつ
これも適当に「明治高架2」と名付ける

周辺図はこちら

反対側を向いてみるとこんな感じ
手前が明治高架2で、奥が明治高架1

これ以降仮の名付けをした構造物は出てきません。

その後ろにはこんな高架が存在する
この構造物は…

周辺図はこちら

ここまで繋がっている
側面の鉄骨?が剥き出しになっているのがすごく気になる

右上の構造物は名鉄常滑線と新幹線の交差地点
一応探索としてはここで一区切りする

(2024年3月撮影)

part3探索分

part3では名鉄常滑線からJR東海道線の区間を探索しました。
高架がどんどん低くなり、最終的には東海道線に合流して行きます。

part3の記事はこちら↓

名鉄常滑線〜新幹線立体交差部分の区間

周辺図はこちら

今回は国道247号の上に架かる歩道橋から探索開始
名鉄常滑線方面の高架は斜めに切られているのが特徴的

この付近の高架橋はpart2区間の最後と同じく側面の鉄骨が剥き出しになっている
果たしてこの先には何が待っているのか?

周辺図はこちら

国道から1つ奥の部分
この付近は運送会社などの建物に再活用されている
ちなみにこの高架橋は先に進むにつれてどんどん低くなっていくので注目してみてほしい

その奥には高架を取り壊して新たにビルが建設された場所がある
上空から見たときは未成線の筋がはっきりと見える位置

周辺図はこちら

東海通から笠寺駅方面に向かって撮った写真
こちらは建設会社の施設に転用されている

東海通から国道247号方面に向かって撮った写真
ここは理容店に転用されている
この建物かなり秘密基地っぽい構造になっていて建築関係の人は興味をそそられそう(ちょっと偏見)
ストリートビューのURLを共有するのでそちらを参照

東海通を横断して先に進む
この辺りから貨物線の筋が東海道新幹線から離れていってる
立体交差が近づいている証拠

ここで高架の高さが約トラック1台分下がっていることに気づいた人はどれだけいるのだろうか?

ここの建物は障がい者支援施設に転用されている
高架をよく見てみると曲線を描いているのが分かると思う

周辺図はこちら

手前の方の建物は舗装施工請負業者※の建物
その奥はオフィスにそれぞれ転用されている
※超簡単に言うと舗装工事をする会社

この道を右に曲がって右上を見てみると…

なんと当時ものと思われる銘板が
拡大してみると…

こんな感じになる
一部読めない場所があるのは容赦してほしい…

御替地第4高架橋No.1
設計 岐阜工事局
施行 大日本土木株式会社
(中略)
着手 昭和44年(1969年)12月
しゅん功 昭和46年(1971年)3月

高架橋の銘板を一部省略して文字起こし

この写真をスマホでじっくり見てから先に進んでみる

低くない?
新幹線の高架の高さを10とすると、南方貨物線の高架は6くらいになっている
ちなみのこの後ろは新しい住宅地になっていて当時の遺構は全く残されていない

周辺図はこちら

新幹線との立体交差部分に到着
これは国道247号線方面を向いて撮影した写真
高架は塗装会社の施設に転用されている

笠寺駅方面を向いた様子は次の見出しで取り上げます。

新幹線立体交差部分〜山﨑川の区間

周辺図はこちら

新幹線との立体交差部分から笠寺駅方面を向いて撮影した写真
一見建物の外装に見える水色の壁は高架橋のやつ
色を塗るだけで遺構を見つけにくくできるってマジか…

当時は何となくこれを撮っただけで遺構の存在に気づけなかった

周辺図はこちら

国道247号線方面を向いて撮影
白く塗られてる部分が高架橋
少ししか見えないがやはり上の部分は塗装されてないようだ

木に隠れて見えにくいが黒い建物の辺りが高架があった場所
奥に高架があるけどこの写真だけではなかなか気づく人はいないと思う

ちなみにこの付近では12年前はもっと遺構が多かったがやはり時の流れによって消えつつあるようだ

再び国道247号線方面を向いて撮影
上を塗装する理由がないのはこの画像だけでわかると思う

さっき木の隙間から見えた高架橋
どのような再活用がされているのか?

周辺図はこちら

これは資材置き場?
そして鉄道柵がある
この柵があるのは鉄道の沿線しかないので鉄道沿線ではない場所にあるのは結構レアな気がする

新しい家がある場所が未成線の跡
今となっては当時を知れる遺構は全く存在しない

周辺図はこちら

白い家がある場所が未成線の跡で、この付近は遺構が全く残されていない
その先は山﨑川となっている

これって一体?
山の中だと廃道の匂いがプンプンする奴だけど、これは12年前から通れないようだ
何のための道なんだ?

川の向こうは白く塗られた高架橋がある
とりあえずその場所へ向かうことに

山﨑川〜JR東海道線笠寺駅の区間

周辺図はこちら

山﨑川を渡った先にある高架
右端に見えるのは東海道本線
そろそろ探索のゴールも近づいてきた

この高架部分はバス会社の営業所に活用されている

周辺図はこちら

ここから南方貨物線は高架から地上になる
これは橋台跡となっている
笠寺駅までこれに沿って歩いていく

山崎川方面の様子
こちらにも橋を架けそうな土台がある

南方貨物線の橋台
周辺は雑草で覆われている
鉄道用地を表す柵は錆びてそろそろ使い物にならなくなりそう

もう使われてないであろう線路が出現
この線路は南方貨物線とは関係ないのでスルー

そして真横を向くと…

老朽化で鉄筋?が剥き出しになってる
何年放置しているかは分からないけどここまで老朽化するのか
JRの土地ではある(推定)けどここは全く管理されてないようだ

周辺図はこちら

もうすぐで東海道新幹線と2回目の立体交差
この先が笠寺駅となる

南方貨物線もかなり高度を下げてきた
見た感じ地上部は雑草まみれっぽい

周辺図はこちら

南方貨物線の終端付近にやってきた
レールだけ見せても分からないと思うので少し加工してみると…

水色がレール、オレンジ色の枠が南方貨物線用地の推定
左から3本目と4本目のレールが南方貨物線とつながってたであろう

笠寺駅構内の様子
柵で見えにくいがこの辺りは貨物の待避場所?になっていて線路が無数に敷かれている
笠寺駅を境に南方貨物線単独区間と東海道線並行区間が分かれる

ここで地上探索は終了し電車視点に移る

山﨑川〜JR東海道線笠寺駅の電車視点

周辺図はこちら

笠寺駅の先端(その道の人はエキセンと呼ぶ)
この先が次回の場所

予想通り上は草まみれ
どんだけ放置したらこうなってしまうのか

電車内は光の反射があるので見にくくなっている
当時はここまで工夫する余裕は無かった

多分これ人の身長より高いかも
これが廃道とかだったらただの地獄

周辺図はこちら

ここの高架はバス会社の営業所に転用されている
電車からしか見えない視点もやはりあるようだ

山﨑川の上
白い住宅あたりが未成線のあった場所になっているが、ここからでは多分未成線の道筋や遺構は見えないであろう

(2024年4月撮影)

part4探索分(地上編)

part4では笠寺駅〜大高駅の区間を探索していきました。
地上編では沿線に道がなく記録が欠けている部分が至る所にあります。

part4の記事はこちら↓

笠寺駅〜愛知県道36号線の区間

笠寺駅の南側を写した写真
レールだけ見せても分からないと思うので南方貨物線用地に丸をつけてみる

赤い丸をつけた部分がその用地
廃線跡と南方貨物線用地は似たような位置にある

余談だが写真に写っているレールを新幹線を除いて左から見ていくと
東海道本線4本、貨物線3本、名古屋臨海鉄道の線路が1本

(ここだけ2024年4月撮影)

周辺図はこちら

名古屋臨海鉄道の高架を潜ると弦月宝生線に出てくる
この写真はそんな名古屋市道弦月宝生線から撮影
それ以前の区間は道がなく撮影が困難だったため一気にここへ飛ぶことに

貨物線側の様子
南方貨物線とそこまで関係ないから説明は省略

本線側の様子
こちらも特に変わった様子なし
あまりにも味気なさすぎるので電車も併せて撮ってみた

周辺図はこちら

さっきの場所から約370メートル南に進んだ市道で撮影
新幹線橋の手前側の変な構造物が見えるがあれは一体?

特に意味は無さそうだけど橋台の遺構っぽく見える?
ただ当時の航空写真でここが橋だったという形跡は無かったから偶然こういう形で作られたと考えて良さそう

ここには2つのネタが同時に写っている
奥から引き込み線の廃線跡、南方貨物線未成線、東海道本線の順に並んでいる

周辺図はこちら

廃線跡を横から見た様子
見た感じ上にかなり物が乗っている
航空写真から見るとレール自体は残っているが完璧に物置のような感じ
ただここから南方貨物線を見ることができないのは残念

ここからなんと460メートルほど撮影不可・困難ゾーンが続くため、一気に県道にワープします。

愛知県道36号線〜天白川の区間

周辺図はこちら

さっきの場所から約460メートル南に進んだ愛知県道で撮影
この460メートルの間で再び南方貨物線は高度を上げていき、県道ではアンダーパスが不要になる高さまで上昇

大高駅方面を向いて撮影
一直線の壁が永遠と続いているように見える

周辺図はこちら

さっきの写真から400メートルほど南に進んだ場所で撮影
細切れで撮っても何も言うことがないので大幅カット

周辺図はこちら

名古屋市道鳴尾線に出た部分
今まで西側の道路で撮っていたが、今回は東側の道路から西を向いて撮影
奥から東海道本線(かつ南方貨物線用地)、東海道本線跡、東海道新幹線の順に並んでいる
天白川に架かる橋を掛け替える際に真ん中の線は使われなくなった模様

名古屋市道鳴尾線から2本南の道で撮影
奥から東海道本線(南方貨物線用地)、東海道本線の跡地の順に並んでいる
これを見てると地上の様子が気になる

周辺図はこちら

天白川に到着
横から見るよりも上から見たほうが分かりやすいかもしれない

天白川〜大高駅の区間

撮影位置はこちら

東海道本線の橋梁を写した様子
2本の川の上に2つの鉄道橋(東海道本線・東海道新幹線)が架かっている
左が天白川、右が扇川

東海道本線の今の橋梁が架かっている場所は本来は南方貨物線の用地だった

周辺図はこちら

川を渡って愛知県道59号線にやってきた
架線を見た感じ、線路4本の複々線でも大丈夫そうな設備になっている

治安面で明らかに危なそうな場所
とんでもない量の落書きが壁に描かれてる
一度落書きを撮ろうと思ったけど流石にこれだけで勘弁してほしい

周辺図はこちら

そんな危なそうな場所を抜けるとここに来る
コンクリート壁の圧迫感を少し感じた

さっきの場所から240メートル離れた場所、大高駅付近から撮影
駅が近いためかコンクリート壁ではなく自転車駐輪場になっている

大高駅正面
下から見るとあまり南方貨物線の存在を感じにくかった

次は大高駅に入って横からの視点を見てみる

大高駅にはこのように謎の用地がある
画像では右側にある
これが南方貨物線が通る予定だった場所

大高駅から笠寺駅方面を向いて撮影した様子
昔は直線だった線路は橋の架け替えの際に南方貨物線用地に移った
その時の廃線跡?が未だに残されているので、この後の電車内編でついでに見ていくことにする

(2024年5月撮影)

part4探索分(電車内編)

ここからはpart4の中でも電車内から撮ったものをピックアップします。
反射で見えにくい部分がありますがその点はご容赦ください。

笠寺駅〜名古屋市道鳴尾線の区間

笠寺駅から250メートル離れた地点の様子
この付近はまだ笠寺駅構内である
大高駅方面を向いて撮影

笠寺駅から600メートル離れた地点の様子
この付近から使われてないレールが出始めてきた
ここだと引き込み線跡と南方貨物線用地が入り混じっている

笠寺駅から750メートル離れた地点の様子
この辺りからレールから消える
見えている範囲では引き込み線跡は見えないが、航空写真を見た感じまだ続いている模様

笠寺駅から930メートル離れた地点の様子
土台付近は草が生い茂っているが、線路に近い部分はコンクリートの面が見える

笠寺駅から1460メートル離れた地点の様子
愛知県道36号線との交差地点
交差部分には草が全く生えておらず、それ以外は多少草が生えている
このような差が両者の間に出ているのが分かる

笠寺駅から1880メートル離れた地点の様子
この辺りから東海道本線の線路が南方貨物線の用地に迫ってくる
それと同時並行で東側にも変化が現れてくるので、次からはそこを中心に見ていく

この写真からは笠寺駅方面を向いて撮影
この線路は東海道本線の線形変更に伴う廃線跡と思われる

向きが反対なのは時系列が異なるため

笠寺駅から2100メートル離れた地点の様子
いつの間にか線路が2本になってた
この線路は今後どうなってしまうのか…

名古屋市道鳴尾線付近に到達
パッと見複々線(線路4本)区間のようにも見えるが、実際は奥2つの線路はどこにも繋がっていない

名古屋市道鳴尾線〜大高駅の区間

笠寺駅から2270メートル離れた地点の様子
笠寺駅方面を向いて撮影
線路が4本並んでいる状態が続く
ここは前回の最後とあまり変わらない

笠寺駅から約2.3〜2.4キロメートル離れた地点の様子
天白川が近づいてきたところで枯れた雑草がひどくなってきた
ここは除草剤だけ撒いたきり手付かずだろうか?

笠寺駅から2480メートル離れた天白川右岸の様子
橋台を含めて遺構が何も残っていないので特に話すことはない
この付近の東海道本線の位置は南方貨物線が通るはずだった場所

笠寺駅から2650メートル離れた天白川左岸の様子
右端にわずかにレールが見えるがほとんど雑草しかない
それ以外の場所はそもそもレールがなくバラストのみ残されている状態

笠寺駅から2740メートル離れた場所の様子
ここも枯れた雑草がひどい
同じく除草剤だけ撒いたきり手付かずなのだろうか?

笠寺駅から2900メートル離れた場所の様子
旧線は現在の線路に近づいていき次第に消えていく

笠寺駅から3100メートル離れた場所、大高駅に到着
前編の最後の場所に繋がった所でpart4は終了

(2024年6月撮影)

part5探索分

part5では大高駅〜大府駅の区間を探索しました。
全て電車内からの撮影のため見えにくいところがあります。

part5の記事はこちら↓

大高駅〜南大高駅の区間

周辺図はこちら

大高駅の南側
下り線の線路がだんだんこちらに近づいてくる部分
大高駅付近では南方貨物線の用地はしっかりと確保されている

大高駅から約420m南側
線路敷設と電化が出来そうな状態で放置されている
土地がもったいないとしか言えない

周辺図はこちら

大高駅から約820m南側
線路が敷かれそうな場所だけコンクリートの色が違う
余談だがこの付近には数年前まで未成道だった場所がある(探索予定は今のところなし)

大高駅から約1.4km南側
南大高駅が近づいても1つ前の写真と変わらない状態
ここの架線柱は複々線を前提にした設計のままで残されている

周辺図はこちら

大高駅から約1.5km南側
架線が複々線対応ではなくなったと同時に南大高駅が近づいてきた

南大高駅に到着(実際は通過)
駅付近だと南方貨物線の用地がほぼ消えている

南大高駅〜共和駅の区間

周辺図はこちら

南大高駅の南側
未成線の用地が少しづつ顔を出してきた
この写真に写っているのはイオンモール大高

周辺図はこちら

南大高駅から約430m南側
ここだけ何故か用地が削られている
側道の転回用?それとも未成線用地に関係車両を進入させるためのやつ?
高架は名古屋第二環状自動車道(名二環)のもの

南大高駅から約700m南側
一部が草木に覆われている
木の裏側には水主ヶ池やボウリング場がある

周辺図はこちら

南大高駅から約820m南側
南方貨物線の用地に自動車がある
2つ前の写真の場所、もしくはこの先の入れるスペースから入れている可能性がある
分かりにくいが少し写っている高架は伊勢湾岸自動車道のもの
この辺りで名古屋市と大府市の境目がある

周辺図はこちら

南大高駅から約1.3km南側
ここからは大府市内になる
未成線の用地を挟んで向こう側には豊田自動織機の共和工場がある

周辺図はこちら

南大高駅から約1.8km南側
共和駅が近づいてきた
このタイミングで例のごとく用地は視界から消えていく

共和駅に到着
用地はホームと側線に潰されている
と当時は思っていたのだが、奥に用地自体は存在している
単線分の用地が見えないところに存在している

共和駅〜大府駅の区間

周辺図はこちら

共和駅の南側
奥にこっそりと存在していた用地が駅を離れれば離れるほど見えてくる
何故南大高駅と共和駅で土地の残り具合に差があるのかを簡単にいうと、南方貨物線計画中止後に南大高駅ができたのが理由

しばらく風景が変わり映えしなかったため、約800mの間は記録なし

共和駅から約820m南側
南方貨物線の用地に役目を終えた架線柱が並んでいる
資材置き場として活用している模様

周辺図はこちら

共和駅から約1.4km南側
この付近にはテレビでも紹介された経歴もある謎のロータリーが存在する
いずれは新駅を建てるつもりらしいが、15年経った今でも進捗はほとんどない状態
仮に駅が建つとなると南方貨物線の用地がどう変わるのか見ものである

共和駅から約1.9km南側
手前の車が止まっている部分が南方貨物線の用地
踏切部分だけ使用されている土地で使われているのも当たり前だが面白い

周辺図はこちら

共和駅から約2.1km南側
ショッピングモール裏にある南方貨物線用地
大府駅構内が近づいてきたため用地内にレールが出現

共和駅から約2.3km南側
レールを剥がされた線路が謎にある
枕木ごと撤去するのはコストが高かったのだろう

周辺図はこちら

共和駅から約2.8km南側(正確には南南東)
まもなく大府駅に到着
南方貨物線の最終端では貨物線が非常に多く並んでいた
今年2月から始めた南方貨物線の全ての探索を終えて非常に感慨深いものがある
これで長きに渡った未成線の探索は終了

(2024年6月撮影)

終わりに

今回は南方貨物線の探索を全てまとめてみました。
笠寺駅より北側は高架区間で単体の遺構がそこそこ残っていて、南側は東海道線と並走する形で大部分が残っていました。
高架区間ではさまざまな再活用がされており街に馴染もうとしている姿を目撃しますた。
撤去スピードとしては比較的遅めとなっている南方貨物線、今後跡地がどのようになっていくのかが見ものです。
でも10年経つとさらに遺構が減ると思うので遺構探しの際はなるべく早めに来ることをお勧めします。
もし今後大きな変化があれば再び該当箇所にも巡って行きたいと思います。
ここまで非常に長い記事をお読みいただき本当にありがとうございました。

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