失礼な人には「失礼だ」と伝える事が礼儀だと思っている
今日は久々に色々な場所に出かけ、とても充実した日となったのだが、現在、無茶苦茶むかついている。本日の締め括りとなる今、台無しになるような出来事が発生したからだ。しかしこの気持ちを転換したい。むかついて寝られないのは避けたい。
こういう時は怒りにまかせて相手を罵倒し倒したりしても何も解決しないものだと、この歳になるといい加減学んでいるのである。大人になったのだ。
しかしなんでもかんでも受け止める寛容スタイルはやめた。わたしが思うに、人に失礼な態度を執る人というのは、人に失礼な態度を執っている事に気付いていない。なんなら、自分は最高に気遣いの出来る人間だくらいに思っている可能性すらある。
そこで、「今の態度はわたしにとっては不快である」という事だけはちゃんと伝えるようにしている。出来るだけ端的に。
これは相手に嫌がられる場合も往々にしてある。しかし、失礼な態度を繰り返す様な人間に何と思われようと正直どうでもいい。わたしを面倒な奴と思ったところで、もしわたしの意見が伝われば、面倒な事を言われないように態度を改めてくれる人も出てくるだろう。そうなればわたしが不快になる回数は減り、わたしのストレスは確実に減るので、結果オーライである。
という訳で、本日もとりあえず不快である旨、言葉を放った訳だが、わたしの苦情をどう調理するかは相手次第。
「空気を読む」という文化は、判断を誤らせるケースもあるが、わたしは嫌いじゃない。「言わなくても伝わる」という理解力は素晴らしい。
一から十まですべて説明しなければならない状況は粋じゃないなと思っていて、出来れば「一」を言ったところで、十まで想像して欲しい。現実はそんな人間は一部なのだけれど、そうやって脳味噌を探り合うのが、人間とのコミュニケーションの醍醐味という気がしている。
字に書いた事がすべて、言葉に放った事がすべて、と本気で思っていては、世界はつまらない。単語も辞書に書いてある意味どおりじゃない事もある。そうやって幅を持った世界の方が楽しいと思うのだ。