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自分自身を知る⑨:天外理論、天敵と聖者の行進(前)
天外さんがよく書かれている、シャドーのモンスターの投影である「天敵」、その対策としても天敵瞑想。
私にももちろん天敵らしき人物はちらほら現れるんだけど、イマイチ、ピンとこなかった。
それは私の自己否定は「逃避型」(「自己否定感」by天外伺朗)だからかと思っていた。嫌なことからは基本逃げて生きてきた。
天外さんは「克服型」だから、基本的に「逃避型」の人は、天外理論対象外なのではないか、と思ったこともある。
「日本列島祈りの旅1」(by天外伺朗)の中で、天外さんは「聖者の行進」についてご自分の体験を書かれている。
天外さんが様々なセミナーを主催して、大勢の講師陣と接して付き合っていくうちに、最初、講師の人たちは意識レベルが高い、と思っていたら、だんだんと「あれ?」という言動や「なんだ、ただの人間か…」というところが披露され、期待が裏切られたような気持になった。そういう講師がどんどん増えていって、それで、問題は講師たち側ではなく、天外さん自身にあると気づいた、という内容。
私はこの話の方がピンときた。私も天敵に悩まされるというより、期待してがっかり、ということの方が多い、ような気がする。
でも「その問題が天外さん自身にある」という点がなかなか腑に落ちなかった。
武士の末裔でソニーの伝説のエンジニアである天外さんにも自己否定はある、とか言われても「ふーん…」と物語を読む感覚でしか理解しなかった。偉人伝を読んだ小学生が感銘する、という感覚だったと思う。
その後「分離から統合へ」(by天外伺朗、並木良和)の中で、
「ネガティブなイメージを相手に投影して天敵を作って戦うのと同じように、ポジティブなイメージを相手に投影して幻滅する、というパターンもある。どちらも要因は同じでである」
と書かれている
エリック・クランプトンが理想の異性像を相手に投影して、結局、相手は生身のただの人間とわかって幻滅して別れる、という話を、書いている。
この話は他の著書で何度か書かれている。
この「どちらも要因は同じで分離である」
とサラッと書かれていたので、サラッと読んでなんとも思わなかった。