インドの宗教の歴史
仏教においての輪廻転生論は仏教オリジナルではなくヒンドゥー教からきていると知りました。
では仏陀は悟りを開いたときにそこの輪廻転生についてどう考えていたのか気になりました。
結論としては輪廻転生論者だったようです。
仏陀の基本思想として「諸行無常」があります。
形あるものはいつか無くなる。それは自分もそう。いつか死ぬ。もちろんだれでもそうだよ。という考えです。
輪廻転生するから死に関して深く考えなかったようです。
ではその輪廻転生はどう生まれたかというとバラモン教時代からあったようです。
どうせ来世があるので記録などいらない。と考えたかどうかわかりませんが、記録や墓がないのがインドの特徴です。
ちなみにインドは火葬が当たり前でした。日本初の火葬はAD700年頃。
僧侶の誰かが最初で、702年の持統天皇の火葬が有名です。
ちなみに日本は古墳文化です。つまりお墓大好き民族だった。
墓に関しても正反対。
インド初の墓はAD1650年頃のタージマハルと呼ばれています。
インドの宗教の歴史
自然信仰の遊牧民
BC1500年頃、インダス文明は滅びます。農耕文明だったインダス文明が気候変動により、生産を落としたとか、遊牧民族であるアーリア人に滅ぼされたと言われています。
そのアーリア人が生み出したのがバラモン教です。
日本でいうアミニズムに近いかもしれませんが、アーリア人も自然の神々の怒りを鎮めるために神々を讃える歌を作りました。
それが本集と呼ばれ聖典となっています。
神々を鎮めるために生贄を捧げるようなこともしていたようです。
遊牧民の農耕民化
そしてアーリア人はガンジス川に勢力を拡大します。森林地域で遊牧ができないので農耕をすることになります。
遊牧民が農耕民に変わったのです。それと同時に先住民との混血が進み、土着の神々を受け入れていくことになります。
この辺りは日本の神仏習合に似ているかもしれません。
遊牧民の時間感覚、農耕民の時間感覚
遊牧民の時間の流れは一直線です。生まれて死んだら別の世界にいく。これはユダヤ教やイスラム教の考え方です。
それに対して農耕民の時間の流れは循環です。畑にタネをまいて、芽が出て、刈り取って、またタネをまく。
こういうことを繰り返すうちに命も死んだら終わりではない。命もまた生まれてくる再生という考え方をします。
ちなみにこの再生や輪廻転生はエジプトにもありました。エジプトは砂漠の国ですが農耕民の国です。
そしてこの輪廻転生や因果応報で下の身分に落とされるカルマ(仏教では「業」)は仏教にも引き継がれます。
農耕から生まれた身分制度
そして、農耕が定着すると生まれたのが身分制度です。
俗にいうカースト制度であり、階級は4つです。
まず第一階級はバラモンです。神々を祀る役であったバラモンの権威が増し、最高権力者になります。
次に戦争をする貴族階級が第2階級、第3階級は一般民、第4階級は奴隷となります。
このカースト外があります。奴隷のさらにその下に「血の穢れ」の仕事に従事する人たちがいました。
平安貴族もそうですが、穢れという思想があったのですね。
ちなみに日常的に家畜を殺す遊牧民に「血の穢れ」という概念はありません。
バラモン教からヒンドゥー教へ
その後のインドはアーリア人同士の抗争が長く続きます。そうなると戦士である貴族階級の権威が強くなり、戦争するための経済を支える一般民も強くなります。
そしてそうなると第1階級であるバラモンの地位が下がります。バラモンの地位が揺らいだことで、貴族はこの世に対する執着を捨てる仏教が好まれ、一般民にはジャイナ教が流行りました。
そしてバラモン教は信者からの寄付に頼っていた宗教のため、信者が減ると困ります。
ですのでより民衆向けになりました。それがヒンドゥー教です。
一ほとんどの民衆が読み書きができないため、教えは至ってシンプルです。
前世の報い(カルマ)と現世利益。この2つだけだそうです。
ただ、この2つ何をどう指導したんでしょうかね?
善行や修行しても転生して上の階級にいけるだけ、なので基本的に現世利益は謳い辛いはずなのですが、、、ましてやカルマともなると何をどうしろと、、、
ちなみに仏教は生み出した釈迦自体が王族であることも影響しているのかもしれませんが、基本的に王族に好まれました。
そして仏教は国の保護を受けることになりました。これは大衆仏教化してもそうだったようです。大衆への教えを広めなくても食っていける。こういう状態になると必ず堕落するんですよね。
そしてヒンドゥー教は民衆の宗教として広がります。
もしかしたらここも仏教の国の庇護が影響あるかもです。布教しなくても食っていける仏教がサボっていたのかもしれません。
そもそも大乗仏教(大衆向け)ができたのも食っていけないからという理由だった気もしますし、要因の一部であったことは間違いないでしょう。
消える仏教、今日に残るヒンドゥー教
そんなインドですが、宗教事情を一変させる出来事が起こります。
それがイスラム勢力の侵攻です。
国の庇護を受けていた仏教はこれにてインドでは消滅しました。
大坐仏教として残っているのはタイやスリランカ、ミャンマーくらいだそう。
そして日本には全く別物とし入ってきて残っていますね。
そもそも諸行無常を謳う仏教に墓はありませんでした。
しかし、日本では葬式仏教として残ったのはどんな因果なのでしょうか。
そしてヒンドゥー教は民間宗教だったので消されても生き残りました。
そして今日の国教になってます。
バラモン教の思想
バラモン教で大事なのが「アートマン」と「ブラフマン」です。
アートマンは今日の我々がいう「魂」とほぼほぼ同じ。
それに対してブラフマンは宇宙全体の生命原理です。仏教では「梵」と言います。
バラモン教のポイントは人は死ぬとアートマンが抜けます。そのアートマンがブラフマンに戻るべきだということです。
これが「解脱」です。輪廻転生から脱するということです。
基本的にインドの考えは人を始めあらゆる生き物は死んでもなお次の生が与えられ、それが苦しみであると考えます。その苦しみである輪廻転生から抜け出すために必要なのが善行や修行であり、それを重ねることで「解脱」に近づくわけです。
ちなみにトップの天井界に転生するのと、解脱するのではどっちが幸せなのでしょう。解脱なのかな?
そこに対して生きた状態でも、悟りを開けて、解脱できるというのが仏陀の考えで、それを「涅槃」と言います。