騎馬民族征服説
騎馬民族征服説というのを聞いた事ないでしょうか。
私はこれを勝手に白村江の後の話だと思ってました。
白村江の戦いで大敗し、そのままカウンターパンチで唐・新羅が流れ込んできたという系の流れだと思っておりました。
実際は違うようで(汗)
2世紀頃、10代天皇の崇神天皇がその騎馬民族の長だというのが騎馬民族征服説のようです。
その理由は下記
①崇神天皇の和風諡号の「ミマキ」
崇神天皇の和風諡号「御間城入彦五十」の頭の御間木が
「任那日本府の城」という意味だそう
任那じゃ朝鮮半島における日本領であり、当時の「辰王」が秦韓・弁韓を支配したのちに日本に流れ込んできたとのこと
②ハツクニシラススメラミコト
初代神武天皇と崇神天皇は「ハツクニシラス」という文字が入っていることで有名です。
そして騎馬民族征服説を唱えた江上波夫は「1〜9代は架空」とし、10代の崇神天皇を実質初代としてます。
③旧唐書の記載
旧唐書には「日本国が倭国を征服した」という記載があるそうです。
ここでいう日本国は日本書紀では神武天皇に譲った形になっているニギハヤヒを王とする国である。
なぜなら日本(ひのもと)とは物部氏のつけた名前だからだ。
ということで今日は自分の勘違いしていた騎馬民族征服説でした。