憲法とはなんぞや?

憲法といわれて皆様はどんなイメージを持つでしょうか?

・法律のような守るべきもの
・国としての思想、進むべき道
・etc
他にも意見があるかもしれません。
個人的には、国としての思想的なものかなぁというイメージでした。

そして成文法や不成文法があります。
日本国憲法は成文法です。
しかし、当たり前のことは書かない不成文法の国もあります。
このあたりのことは憲法の歴史を学ぶとわかりやすいかなと思います。


十七条の憲法

憲法と言って思い浮かべるのは「十七条の憲法」ではないでしょうか
飛鳥時代に憲法なんて言葉があったのかどうかは甚だ疑問ではありますが、、、

ただ聖徳太子は
・仏教を基本として考えていたこと。
・儒教も入ってきていたが日本国流にアレンジしていたことがわかります。

特に後者。本場中国では「仁義礼智信」ですが、太子は「徳仁礼義智信」に変えました。
中国と比べて「義」が下がりました。
これは上下関係を表す言葉。なので日本は上下関係はない(少ない)ので序列を下げたのでした。

ただ、こちらでは本当の意味の憲法とはいえないと思います。

世界初?!の憲法 マグナカルタ

マグナカルタ(Magna Carta)は、1215年にイングランドで制定された歴史的な文書で、法の支配と個人の権利の確立において重要な意味を持ちます。以下にその背景と意義をまとめます。

### 背景
12世紀末から13世紀初頭、イングランド王ジョン(欠地王)は戦争や高額な課税により貴族や教会との間で緊張を深めていました。ジョン王の重税や専制的な統治に不満を抱いた貴族たちは、王に対して権利を保証する文書を強要しました。この結果、1215年6月15日にジョン王がマグナカルタに署名することとなりました。

### 内容
マグナカルタは63条からなる文書で、特に次の点が重要です。

1. **法の支配**: 王といえども法の下にあることを確認し、恣意的な統治を制限しました。
2. **貴族の権利の保護**: 貴族の特権を守り、彼らの財産や自由を王の恣意的な干渉から保護しました。
3. **正当な裁判**: すべての自由民には正当な裁判を受ける権利があるとされ、不当な投獄や処罰が禁じられました。
4. **課税の制限**: 課税には貴族や聖職者の同意が必要とされ、無断での課税が制限されました。

### 歴史的意義
当時のマグナカルタは貴族や教会の権利を保護するための文書に過ぎませんでしたが、後世においては広く市民の権利や法の支配の基礎として重要視されるようになりました。特に、近代の憲法制定や人権思想の発展に大きな影響を与えました。

### その後の展開
マグナカルタは直後に無効とされることもありましたが、その後何度も再確認され、イングランドの法的伝統に根付きました。今日では、イギリスやアメリカを含む多くの国々の憲法や法体系の基盤として位置づけられています。

マグナカルタは、王権を法で制限し、個人の権利を守るという近代的な法の理念の先駆けとして、世界的に認知されています。

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大事なのは主権者である王でも「法の元では平等」ということです。
つまり、圧政をすれば王でも裁くことができるということです。

できた経緯としても王の圧政に対して、反抗した貴族たちが王の独裁を許さないということで作られました。

権利の章典

**権利の章典(Bill of Rights)**は、1689年にイングランド議会が制定した文書で、イギリスにおける立憲君主制の確立に重要な役割を果たしました。これは、王権を制限し、議会と市民の権利を保障するための基本的な法的枠組みを提供するものです。

### 背景
権利の章典は、イングランドの名誉革命(1688年)の結果として生まれました。この革命では、カトリックのジェームズ2世が退位し、プロテスタントのウィリアム3世とメアリー2世が共同統治者として迎えられました。しかし、彼らが即位するにあたって、議会は王権の乱用を防ぎ、国民の権利を守るための条件として、権利の章典を承認させました。

### 内容
権利の章典は、王権を制限し、議会と市民の権利を保障するために、いくつかの基本的な原則を定めています。主な内容は以下の通りです:

1. **議会の主権**: 王が法律を制定・廃止したり、課税したりするには議会の同意が必要であると規定されました。これにより、王権の専制的な行使が制限されました。

2. **市民の権利の保護**: 市民には、自由な選挙、言論の自由、裁判の公正さなど、基本的な権利が保障されました。また、過度な保釈金や残虐な刑罰の禁止も明記されました。

3. **軍の統制**: 平時においては議会の同意なしに常備軍を維持することが禁じられました。これにより、軍事力を用いた王権の乱用が防がれました。

4. **宗教の自由**: 権利の章典は宗教的寛容を強調し、特にカトリック教徒に対する抑圧的な政策が是正されました。

### 歴史的意義
権利の章典は、イギリスにおける立憲君主制の確立において重要なステップとなりました。これにより、王権は大きく制限され、議会の権威が強化されました。また、権利の章典は、後のアメリカ合衆国憲法の権利章典(Bill of Rights)や、世界各国の人権保障の基礎にもなりました。

### その後の影響
権利の章典は、イギリスの憲法の一部として、現在も効力を持ち続けています。また、世界中の憲法学や人権思想に大きな影響を与え、立憲主義の原則や市民の基本的権利を保障する法的枠組みとして、多くの国で取り入れられています。

権利の章典は、王権と市民の権利のバランスを取るための画期的な文書であり、近代的な民主主義と法の支配の基礎となった重要な歴史的文書です。

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続いてイギリスでは市民革命(清教徒革命)が起こり、主権が王から国民へと変わります。そして出されたのが「権利の章典」でした。
これは権力者から議会と市民を守るためのものです。
イギリスでは当たり前のことなので、憲法に載せられていません。俗に言う不成文法です。

憲法とは弱者の権利を守るもの

このイギリスの憲法関連2例を見てもわかるように、権力者から弱者を守るためのものが憲法なのです。

これは知っておかないといけないことです。

しかしどうでしょう。
今の日本では権力者(政権与党)が憲法を変えようとしているのです。

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