天武の息子たち
天武の息子たちは不遇です。
①日本書紀では長男・高市皇子
②日本書紀では皇太子・次男の草壁皇子
③日本書紀では三男の大津皇子
ちなみに日本書紀以外では大津が長男だったりします。
①高市皇子
母は北九州の宗像氏の娘
ほかの2人と違って出世は遅い
持統天皇政権下では太政大臣に
しかし平城京遷都イヤーに亡くなる
②草壁皇子
こちらは母が天智天皇の娘、鵜之(持統)の子
皇太子になるもこちらも短命
③大津皇子
鵜之(持統)の姉の大田姫の子
初代斎宮の大来姫と同母姉弟
なので皇太子になってもおかしくなかった
天武天皇没後、謀反の疑いで殺される
死の直前、斎宮の大来に会いにいく
おそらく死の予感があったのかなと
3人とも早死にですね。
けど高市皇子と大津皇子は持統天皇に殺され気しかしないですね(笑)
結局この3人からは誰も天武天皇の後を継げずに草壁の子が皇統を繋いでいくことに
大田姫と鵜之は同じタイミングで天武に嫁ぐ訳ですが…姉妹で気まづかったのか
当時は通い婚だからさほどでも無かったのか
なんせ天武の直系男士は不遇ですね
ちなみに草壁と大津が石川郎女刀自という女性をとりあったりしてます。
母は姉妹同士ですが、息子同士(従兄弟)は仲悪かったようですね
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