論語を言語化する③
言語化するなんて大それたことではないのですが、訳注を自分でしようという話です。
學而時習之。不亦説乎。
「学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや」という論語の最も有名な一節です。
安田登先生訳注
これを安田登先生は、生徒が行きづまったりした絶妙のタイミングで適切なアドバイスを送る。すると羽を広げるように成長する。なんて嬉しいことだろう。
と訳注します。
『時』を一瞬だったり、タイミングと捉えていますね。
そして習うには羽が付いてます。羽ばたくように成長するという意味でみられてます。
私はこれにすごく納得しました。
先日ずっとコーチングについて書いてました。日本はティーチングするコーチが多く、コーチングができていない。
この孔子の言葉を安田登先生訳注だとまさにコーチングのことになります。
おお、素晴らしい視点
安岡正篤先生
それに対して昭和の大宰相・安岡正篤は時勢に応じて学びなさいという意味で訳注しています。
『時』を時勢と捉え、その時代その時代で必要なものを学べという意味だと言ってます。
論語には切磋琢磨など出てきますね。
※切磋琢磨はライバルと競い合って成長しろ!と捉えられてますが、本来は自分に合ったやり方で成長しろ!という意味です。
つまり、切磋琢磨と同様に読みとけば安岡正篤説もかなり精度高い気がしますね!
最近、論語は『時間』という概念から悩みが生まれた反動に対するケアの本であることを紹介しました。
論語は時間感覚を大事にした本です。なので時勢に合わせるというのさ的を射てそうです。
どろぬま説
わたしは難しく考えてません。上記2人の説が素晴らしいので。
私は
これです。学習です。
私は1月、大西つねきさんに会い、経済学の話ばかり書いてました。そしてその波が終わり六教、コーチングと次々と学びたいことが変わります。
学びたい!やりたいと思った時にそれをやる!というのが私の訳注です!
如何でしょうか?
※
教育:決まったレールで教える
学習:自分から学ぶ
皆さんも自分なりの訳注を作ってみては如何?